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松山市内の銅像巡り17 勝田 主計 立像

2023年05月26日 | 新たに発見好古揮毫石碑 魚沼市で

奥道後壱湯の守に併設されている奥道後歴史記念館に令和5年3月29日移設展示された「勝田主計銅像」。(令和5年5月24日、同記念館の許可を得て撮影)

松山市内の銅像巡りをして来たが、「勝田主計」の銅像だけが残っていた。

その訳は、銅像の所在地が、標高669mの杉立山山頂に建立されており、現地に行くには車で行くことが出来ないためであった。

杉立山山頂に建立されたのは、勝田主計生誕100年を記念して、昭和44年、勝田主計の偉大な人物像を慕う郷里の有志が(坪内寿夫氏が中心となり)拠出し、奥道後の山頂の杉立山の展望台と、坪内寿夫氏が作った公園に、高さ2,8mの勝田主計の銅像が建立された。

奥道後ホテルと山頂の展望台・公園を結ぶロープウェイが平成21年運休閉園となり、現地に気軽に行けなくなり、人目に触れることがほとんどなくなった。

今年(令和5年)3月20日、奥道後国際観光のロープウェイの施設撤去に伴い勝田主計銅像を、奥道後壱湯の守に併設されている奥道後歴史記念館に同年3月29日移設展示された。

これらの画像は、令和5年5月24日奥道後歴史記念館に伺い同館の許可を得て撮影した。

今回の移設は、郷土(愛媛県人)の偉人、勝田主計(第20代大蔵大臣・第24代大蔵大臣、第37代文部大臣)を努めたこの人に再び光が当たるよう期待して、「奥道後 壱湯の守・奥道後歴史記念館」に移設されたことは立派な行為である。
勝田主計を顕彰してもらいたい。

奥道後歴史記念館は、奥道後壱湯の守に併設されている。

奥道後歴史記念館に移設された勝田主計銅像で、長年風雪に耐えたそのままで展示されている。(大気内の塵や風雨にうたれており清掃無しでそのままで展示されている。)

勝田主計銅像の前には説明板が置かれていた。

「奥道後 壱湯の守」(松山市末町)へ移設された勝田主計銅像。


杉立山山頂に建立されていた当時の勝田主計銅像。

杉立山山頂に建立されたのは、勝田主計生誕100年を記念して、昭和44年、杉立山山頂に建立された勝田主計銅像建立除幕式の様子。

勝田主計(しょうだ・かずえ)について

明治2年(1869年)10月19日生~昭和23年(1948年)10月10日没 享年79歳。

明治2年10月19日、愛媛県松山市一番町に生まれ松山藩士・勝田久廉の五男である。
勝山学校、伊予尋常中学、一高を経て、明治28年(1895年)に東京帝国大学法科に進んだ。
大正5年12月、寺内正毅内閣において愛媛県人初の大蔵大臣となる。
大正13年1月、清浦圭吾内閣において再度大蔵大臣となり、前年発生した関東大震災からの復興にあたった。
昭和3年5月、田中義一内閣において文部大臣となりこの時「渡邉スエ女の碑・表彰碑の裏面に文部大臣 勝田主計が献上文を書き上げた。」

同郷の俳人・正岡子規や海軍軍人中将・秋山眞之の友人であった。

特に、秋山眞之が薩摩の郷中教育を参考にして結成した「松山同郷会」発足には尽力し、同郷の青少年の育成と心身の鍛錬に尽くした。

東京では、愛媛県人会を結成し郷土の後輩達を導いた。

朝敵とされた伊予松山藩の嗣子達は、世に出るには教育を身に着けなくてはならない。このことには口に出さずひたすら勉学に励み世に出て活躍し励んだのである。

大正14年5月、新田長次郎氏の招待で元内閣総理大臣・清浦奎吾伯が松山を訪れた時の記念写真である。

大正12年4月、四国で初めて設立開校された松山高等商業学校・現松山大学の視察が主な目的で来松され、滞在は二日間で視察・講演会・揮毫等々過密な日程であった。

写真左から、
秋山好古 陸軍大将・北豫中学校校長
元内閣総理大臣、清浦圭吾 伯爵
(勝田主計・大正13年1月、清浦圭吾内閣において再度大蔵大臣就任)
新田長次郎・株式会社ニッタ社長、松山高等商業学校・現松山大学の創設者 
佐竹義文・第19代愛媛県知事

秋山好古揮毫の石碑が現、西条市三芳に建立されている。

この石碑裏面に当時文部大臣を努めた勝田主計が撰文した鉄製の表彰碑文が埋め込まれている。

1、揮毫碑文 :表彰碑(貞婦・渡邉スエ女)

2.所 在 地:西条市三芳町 「日切山・弘福寺」

3.建立年月日:昭和3年10月

4.揮 毫 者:陸軍大将 秋山好古

5.建 立 者:三芳村(現、西条市三芳)

6.碑石大きさ:高さ・1m74㎝ 横幅・1m22㎝ 厚み・16cm

表彰碑建立の由緒

旧愛媛県周桑郡三芳村は、下記の如く、渡邉スエ女の功徳を称えその事を後世に残す為昭和3年10月、表彰碑を建立した。揮毫は、陸軍大将 秋山好古である。

「スエ女は渡邉小市の妻として農業の手助けをしていたが、夫がリューマチに罹り病床で呻吟する身となった。

スエ女は病夫の枕辺に付き添い看病に勤しむ傍ら、三児の養育を一身に引き受け、14年の長い年月を働き続けた。

しかし、その甲斐もなく夫は明治21年他界した。

官府及び各種団体はスエ女の貞操を表彰し、賞状及び金品を十数度にわたり贈っている。

スエ女はあとに残された子女の成長に望みをかけ働いたが、今までの疲労が重なり病気となり明治36年に亡くなった。」
 スエ女の貞操は「人の鏡」と題して、小学校修身書に載せられた。

この時の文部大臣が、勝田主計であった。小学校修身書に載せられたのは勝田主計文部大臣の功績である。

秋山好古が揮毫した表彰碑(貞婦・渡邉スエ女)の裏面に埋め込まれている。
文部大臣 勝田主計の献上文書である。

参考事項1:田中義一内閣において文部大臣となりこの時「渡邉スエ女の碑・表彰碑の裏面に文部大臣 勝田主計が献上文を書き上げた」

参考事項2:勝田家と秋山好古、秋山眞之の生家とは近く、特に秋山眞之、とは幼少時代竹馬の友であった。

参考事項3:渡邉スエ女の表彰碑文の揮毫依頼は、村長が秋山好古に依頼、この時好古は北豫中学校長で、また御大典記念の年である。

表彰碑(貞婦・渡邉スエ女)の裏面に、が埋め込まれている。文部大臣 勝田主計の表彰碑文である。

表彰碑(貞婦・渡邉スエ女)の裏面に埋め込まれている文部大臣 勝田主計の表彰碑文である。

東京の久松邸、松平(久松定昭)の法要で参列した旧松山藩の嗣子達である。

写真真中に「久松定謨・その左に、秋山好古、右に仙波太郎」、中段左から二人目が、勝田主計、後列右から4人目が秋山眞之、翌年病気で逝去する。秋山眞之の右が加藤恒忠・・白川義則も居る。
正岡子規が存命であればこの場に居たが逝去していた。

朝敵とされた伊予松山藩の嗣子達は、教育という甲冑を身に着け世に出て活躍した。

勝田主計は、政治家として、秋山好古は、軍人としてまた教育者として、仙波太郎、秋山眞之も軍人として、正岡子規は、短詩形文学者として短命ではあったが活躍した。

(写真は、秋山兄弟生誕地所蔵より)

前記の写真から「秋山好古・久松定謨・仙波太郎」を切り抜いてみました。

左から「秋山好古・第13代 近衛師団長」・「久松定謨・第19代近衛歩兵第1連隊長」・「仙波太郎・陸軍歩兵第1師団長」である。

衛戍地である東京を、朝敵とされた旧伊予松山藩出身の嗣子達、秋山好古・久松定謨・仙波太郎・の3名が守護した。この3名は予測していなかった事で驚いた。

陸軍省人事局から異動が発令された
大正4年2月15日付、
秋山好古が第13代近衛師団長として、天皇と宮城(皇居)を警備する師団で、一般の師団とは異なり、部隊は最新鋭、最古参の儀仗部隊 秋山好古はそのトップに就いた。
陸軍大学校1期生。

大正4年2月15日付
仙波太郎が第11代陸軍歩兵第1師団長として、当時6師団の中で近衛師団に次いでの精鋭部隊でその長として首都東京を守護する師団のトップに就いた。
陸軍大学校1期生。

大正3年5月11日付
久松定謨は、第19代近衛歩兵第1連隊長として、天皇と宮城を護り抜く連隊長に抜いた。
3名は、久松定謨邸で、これで朝敵の汚名を晴らすことが出来たと喜び祝杯を上げたそうだ。
フランス・サンシール陸軍士官学校歩兵科卒業。

勝田 主計が揮毫した「伊豫絣創始頌功碑」

伊予絣頌功碑「松山市道後公園」に建立、場所は、松山地方気象台の「染井吉野桜」の標本木のすぐ傍にある。

 ※ 石碑の碑文は、菊屋新助と鍵谷カナの功績を称える碑文が刻まれている。

伊予絣が隆盛をきわめた大正6年(1917年)には、伊予織物同業組合が二人(菊屋新助と鍵谷カナ)を称える「伊豫絣創始頌功碑」を道後公園に建立し、篆額は当時大蔵大臣であった勝田 主計が揮毫した。

石碑右側に、

大蔵大臣 正四位 勲二等 勝田主計 篆額・・と揮毫してある。

そして沢山の「伊豫絣創始頌功」の碑文が揮毫されている。

石碑左側に、

大正6年7月 伊豫松山 南州外央 近藤元粋 撰併書と揮毫してある。

伊豫絣創始頌功の篆額で

大蔵大臣 正四位 勲二等 勝田主計が揮毫した。

※ 篆額とは、石碑など上部に篆書体で書かれた題字。 

道後公園に建立されている、勝田 主計が揮毫した「伊豫絣創始頌功碑」の裏面で、大きな三段構えの花崗岩でこのような造りの石碑は初めて見た。

 

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