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久米地区に現存する常夜灯:その1 南久米町の常夜灯

2015年08月28日 | 伊予松山歴史散策
夜道の安全のため、街道沿いに設置されていた常夜灯は、現在で言う街灯の役目を果たしており、街道の道しるべとして設置されているものが多かった。港町などには灯台の役目をした大型の常夜灯が設置されていた。集落の中心や神社などの常夜灯は信仰の対象として設置されていたが現在は電灯の発達により、明かりを点さなくなったり、取り壊されてしまう物も存在するが、町のシンボルとして親しまれている物も多い。以前久米地区の神社巡りをした時に村の中心にある常夜灯、また神社境内に移転された常夜灯があったので此れを辿ってみた。
久米地区の常夜灯は、信仰の遥拝所の趣が強く,胴の所に「金・石」または、「金・石・氏」などの文字が刻まれており、「金」は金毘羅大権現、「石」は石鎚大権現を、また「氏」は氏神を表す。「石」の文字を刻んだ常夜灯の前では7月の石鎚山(西日本最高峰・1982m・山岳信仰・日本七霊山のひとつ)のお山開きが来ると通夜が行われ法螺貝を吹き鳴らし灯明を供え、近所の人が集まって遥拝をしていたという。
また、常夜灯は現在の街灯の役割を果たすものであったので、灯明はその周辺の住民が交代で、種油に灯心をひたして毎晩明かりを点し、 金毘羅詣りや石鎚登山の人達の道中安全や氏子の安全を祈願したものとそれに加えて、道標や目標として更に夜間の安全にも役立っていたようである。そして四国遍路にも役に立ったものだと思う。
現在久米地区に現存する常夜灯は12基あり、当時のままの場所にあるもの、道路拡張や、耕地整理等々でやむなく移転されたものが保存されている。 久米地区は、昭和30年5月に松山市と合併した。それまでは9つのがあった。当時は、温泉郡久米村大字南久米・大字北久米・大字福音寺・大字来住・大字南土居・大字高井・大字南窪田・大字北窪田・大字鷹子で、現在は松山市南久米町・北久米町・福音寺町・来住町・南土居町・高井町・久米窪田町・鷹子町と変更した。
参考事項:平成27年8月1日現在の松山市の人口は、515,865人で、久米地区は、30,206人、松山市で3番目に人口の多い地区である。                                                                          
此れから久米地区に現存する常夜灯12基を辿ったので画像を掲載します。南土居町・高井町・鷹子町には2基現存してました。
その1 南久米町の常夜灯です。


所在位置は:松山市南久米町204番地、松山生協久米店前、伊予鉄道久米駅構内にあり、県道松山東部環状線と伊予鉄道久米駅踏切の北側にある。


常夜灯正面で、胴の正面に「金毘羅常夜灯」その上に「讃 ?」と刻まれている。


北面の胴に「寛政十二年庚申三月吉日」と書かれている。
今から215年前に建立された常夜灯で久米地区の常夜灯の中で鷹子町の新畑と同様に一番古い物である。


常夜灯に揮毫されている文字は、正面と北面のみで裏面、南面には何も書かれてない。
南久米町、鷹子町は久米地区の中心部であり、久米宿場の中心であった。大正初期までは南久米には3ヶ所に常夜灯があったと記録されているが現在はこの一基のみである。
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