愛媛県松山市と相互交流を図っている、千葉県習志野市大久保、この習志野市には、旧日本陸軍習志野騎兵旅団司令部があり、騎兵13・14・15・16連隊があった所で、秋山好古が騎兵第1旅団長として赴任していた所である。
陸上自衛隊習志野駐屯地には、秋山好古の絶筆となった「軍馬慰霊之碑」の石碑があり、同地にあった騎兵学校で第2代目校長を務めた所でもある。
画像は、松山市にある秋山兄弟生誕地でボランティアとして活動している研究員8名が自費で
千葉県習志野市にある、旧習志野騎兵旅団司令部跡、旧騎兵連隊第13・14連隊跡(現、東邦大学薬学部・日本大学生産工学部習志野キャンッパス)と、秋山好古揮毫の石碑を見学した様子である。なお、研修・見学には、習志野騎兵連隊史跡保存会 三橋正文会長の案内で研修された。この日は、秋山家宗家第10代、秋山哲兒さん(秋山好古の孫・東京都五反田在住、)も参加された。
(但し、秋山哲兒さんは、令和元年10月2日、逝去されました。享年87歳でした。)
習志野市大久保の皆さんが歓迎表示板を創って頂き出迎えて頂いた。
学園大久保商店街資料館前にて。
学園大久保商店街資料館にて、習志野騎兵連隊史跡保存会、三橋正文会長の歓迎の挨拶を受ける秋山兄弟生誕地の研究員各位。
今回の研修目的に一つである、秋山好古顕彰碑の前で。
平成21年5月17日、NHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」放映を記念して習志野市大久保商店街に建立された秋山好古の顕彰碑。
建立者は、習志野騎兵連隊史跡保存会である。
歓迎会を受けた秋山兄弟生誕地の研究員各位は、現地研修に赴いた。
先ずは、習志野騎兵旅団発祥の地で研修。研修の講師は、習志野騎兵史跡保存会会長の三橋 正文会長と習志野騎兵史跡保存会代表顧問の三橋 秀紀氏であった。
次の研修の地は、東邦大学薬学部構内に移動。
東邦大学薬学部構内にある騎兵第13連隊記念碑の前で説明をする、習志野騎兵史跡保存会代表顧問の三橋 秀紀氏。
東邦大学薬学部構内にある騎兵第13連隊記念碑。
習志野市にある東邦大学校内に秋山好古時代に使われた騎兵13連隊当時の兵舎が現存しており現在は、柔道と空手の武道場として使われている。明治時代の由緒ある建造物のため、東邦大学は永久保存にする事を決定された。その建物を見学した。
次は、東邦大学と隣接する日本大学生産工学部(旧騎兵14連隊跡)に移動。
東邦大学薬学部と垣根で区分されている旧騎兵14連隊跡の日本大学生産工学部にある、旧騎兵14連隊跡の記念碑を顕彰。
日本大学生産工学部の学生さんが制作した「習志野騎兵旅団司令部のジオラマ」
騎兵第1旅団本部跡、市民プラザ大久保の玄関に設置されている。
平成24年1月、習志野騎兵旅団司令部の模型を制作した日本大学生産工学部・スタッフの表示版。
次の研修地である、陸上自衛隊習志野駐屯地に移動。
陸上自衛隊習志野駐屯地の部隊は精鋭隊員たちである。
陸上自衛隊習志野駐屯地広報担当自衛官からの挨拶と駐屯地内での視察注意事項を聞く。
習志野駐屯地内にある「日本騎兵之碑」。
秋山兄弟生誕地研究員が研修に行った陸上自衛隊習志野駐屯地・陸上自衛隊第一空挺団に保存されている空挺館(旧 御馬見所)
御馬見所(現、空挺館)
秋山好古揮毫の軍馬慰霊之碑の前に御馬見所(現、空挺館)がある。
陸軍騎兵実施学校は東京目黒に置かれていた頃、明治天皇は騎兵実施学校の卒業式をはじめ、しばしば実習を天覧された。明治44年高齢になられた天皇のために騎兵操兵・馬場馬術などを展覧するための施設である御馬見所が建てられた。騎兵実施学校が大正5年船橋に移転し、同時に拡大され騎兵学校と改称、此れに伴い御馬見所も解体移築された。この建物に天皇の登台は都合4回に及んだ。御馬見所は晩年の天皇の体力に合わせて設計されており、入口を入ると真っ直ぐ緩やかな階段となり、バルコニーの手前に出るようになっていて内部の装飾は質素な中にも天皇の品位を保つ格調の高いものとなっている。現在も当時のまま保存され見学できる。
空挺館(旧御馬見所)の説明板。
明治天皇が観閲された「旧、御馬見所 現、空挺館」二階にある部屋。
明治天皇が観閲された部屋以外は、全て展示資料室となっている。
空挺館(旧 御馬見所)展示資料室に掲示されている、西 竹一中尉の雄姿である。
ロスアンゼルスオリンピック馬術で金メダル獲得。硫黄島の戦いで戦死された。
硫黄島総攻撃の前に、米軍は、金メダリストを失うのは忍びがたしとして、投降を促したが、西 中尉は日本軍の戦車第26連隊長として戦い戦死した。
西 竹一中尉は、令和3年現在、夏季オリンピック馬術競技で、日本人初めての馬術で金メダリストである。
展示資料室に掲示されている、歴代の騎兵学校校長の写真で、第2代目校長秋山好古の写真が掲示されていた。
陸上自衛隊習志野駐屯地の空挺館前に好古が揮毫しその筆が絶筆となった石碑を顕彰した。
習志野市学園大久保の皆様と秋山兄弟生誕地の研究員。秋山好古絶筆となった「軍馬慰霊之碑」の前で、好古を偲びながら。
陸上自衛隊習志野駐屯地・空挺館前に建立されている、秋山好古揮毫の「軍馬慰霊之碑」である。秋山好古が北豫中学校長(現在、愛媛県立松山北高等学校)を、昭和5年3月辞任し家族が待つ東京に帰り同年11月4日逝去した。享年72歳であった。
軍馬慰霊之碑は、同年10月5日、好古の揮毫で建立され、これが絶筆となる。建立は昭和5年11月である。
軍馬慰霊之碑建立についての説明板が石碑の傍に建てられている。
昭和11年11月1日、東京市麹町区丸ノ内二丁目18番地、秋山好古大将伝記刊行会、代表者 櫻井 眞清から伝記「 秋山 好古」が発行された。
書籍の背文字「秋山好古」は、陸上自衛隊習志野駐屯地・空挺館前に建立されている、秋山好古揮毫の「軍馬慰霊之碑」に書かれている「陸軍大将 秋山好古」の秋山好古を模して使われ刊行された。
習志野騎兵連隊史跡保存回主催の昼食会を開催して頂きました。
習志野騎兵旅団発祥の地、騎兵第13・14連隊跡、陸上自衛隊習志野駐屯地等々有意義な研修が出来た。
最後に、秋山好古が眠る「青山霊園」に墓参をし、秋山好古さんに研修の報告をして終えた。
現在、秋山兄弟生誕地で奉仕活動をしている研究員は18名いますが、各自日頃から研鑽しご来館される皆様にご案内しております。
秋山兄弟生誕地にお越しになって時にはお気軽にお声がけ下さい。
画像、中央右の男性が「秋山好古の孫である・秋山哲兒さん、令和元年10月2日、ご逝去されました。享年87歳でした ご冥福をお祈りします・・合掌
「降る雪や明治は遠くなりにけり」 古き時代を知る人達が段々と世から他界されていく寂しい限りである。
予定していた研修も全て終わり東京スカイツリーを見学し帰路に着きました。
今回の研修は成果の大きい研鑽が出来ました。関係者の皆さん大変お世話になりました。