日本三古泉の一つ道後温泉に新たな湯屋「道後温泉別館湯屋として「飛鳥乃湯泉」が昨日(12月26日)正式開館した。
道後温泉本館耐震補強工事の代わりの道後温泉別館湯屋として「飛鳥乃湯泉」が平成29年9月26日開館していたが、中庭が未だ完成しておらず、愛媛国体開催に合わせ営業していた。9月から改修工事をしていた椿の湯も同日営業を再開し、本館と合わせて椿の湯・飛鳥乃湯の3館の同時営業が始まった。
昨日、中庭で正式開館記念式典が行われ、野志松山市長は、飛鳥乃湯泉は、道後温泉本館耐震補強工事の代替施設でなく、新しい道後温泉の歴史を発信する拠点として生まれた松山の宝です。市民の皆さんと一緒に育てて頂きたいと挨拶した。
画像は、平成29年12月27日撮影。
画像は昨日開園した中庭で、左が「飛鳥乃湯」右が「椿の湯」の温泉施設。
本日午前中撮影に行ってみると地元TV局が取材に来ていた。
正式開湯した「飛鳥乃湯」
飛鳥乃湯から見た椿の湯で、昭和28年、「第8回国体」が四国各県で開催されたときに建設され、その後、昭和59年に改築され、そして今回新たに改修工事が行われた。
飛鳥乃湯泉の命名指針となった中庭に建立された聖徳太子道後温泉碑。
記念碑の現物は亡失して無いが、『伊予風土記』逸文には、推古4年(596年)聖徳太子(厩戸皇子)と思われる人物が伊予(現在の愛媛県)の道後温泉に高麗の僧・慧慈と大和の豪族葛城臣なる人物を伴って赴き、その時湯岡の側にこの旅を記念して「碑」を建て、その碑文が記されていたとされている。
その原文は
「法興六年十月 歳在丙辰 我法王大王与慧慈法師及葛城臣 道遙夷予村正観神井 歎世妙験 欲叙意 聊作碑文一首 惟夫 日月照於上而不私 神井出於下無不給 万機所以妙応 百姓所以潜扇 若乃照給無偏私 何異干(天の誤りか)寿国 随華台而開合 沐神井而?(癒)疹 ?(言巨)舛于落花池而化弱 窺望山岳之巌?(愕) 反冀子平之能往 椿樹相?(蔭)而穹窿実想五百之張蓋臨朝啼鳥而戯?(峠の山が口) 何暁乱音之聒耳 丹花巻葉而映照 玉菓弥葩以垂井 経過其下 可以優遊 豈悟洪灌霄霄庭 意与才拙実慚七歩 後之君子 幸無蚩咲也」(「法隆寺ハンドブック」より)
中庭に植栽された松山市の花「藪椿」が160本植えられた。
椿の湯から飛鳥乃湯泉に行くために造られた渡り廊下。
飛鳥乃湯泉の浴室区分と入浴料金とその案内表示板。
椿の湯の浴室区分と入浴料金とその案内表示板。
道後温泉本館の浴室区分と入浴料金とその案内表示板。
画像は冠山から見た道後温泉本館と飛鳥乃湯泉・椿の湯の位置関係で、本館から徒歩3分の所にある。
道後温泉本館は、築後123年になる。
飛鳥乃湯泉、正面入口。
椿の湯、正面入口。
道後温泉本館、正面入口で、大正13年に増築され現在の入口に変更された。
道後温泉本館、明治27年、建設当時の正面で一階に唐破風が残っている。
画像左から「一之湯」「二之湯」「三之湯」の入口。一之湯は、元士族・僧侶・神職用で、二之湯は、婦人用、三之湯は、庶民男子用と別れていた。
本館建物は、平成6年12月27日、国の重要文化財に指定された。