EEKの紀行 春夏秋冬

紀行&散策を画像を交えた紹介です

教室に残る満蒙開拓の“現在(いま)”2

2017年12月01日 | 伊予松山歴史散策

飯島春光先生のお話を聞かなければ知らなかった事柄で、終戦後72年経過した現在も中国から長野県に帰ってくる4世・5世が居る事実。未だに苦難な生活を虐げられている現実は、それを辿れば明治37年、ロシア帝国の南下政策に端を発し、朝鮮半島の利害関係が下で起こったのが日露戦争、その後国際的に認められない満州と言う国を創設し、荒廃する内地農村を救済するとして満州に開拓民として送り込んだ。その数27万人で長野県からの移住者が一番多かったそうだ。表面は農民救済とあるが、裏を返せば、対ソ戦の防衛に使われたのではないかと書かれる資料もある。満州事変を発端に大東亜戦争えと拡大し、その結果日本本土が攻撃され挙句の果ては広島・長崎に原爆を投下され大勢の市民が被ばくし現在もその苦しみに耐えて生きておられる。そして沖縄問題がある。本土決戦の時間稼ぎとして沖縄が犠牲になり、未だに米軍の基地問題は解決されてない。その他に、シベリア抑留がある。強制労働に従事させられそれがもとで亡くなられた方々、戦争は絶対にしてはならない事である。無条件降伏するくらいなら、もっと早く戦争終結が何故できなかったのか何時になったら戦争の傷は癒えるのでしょうか。

米朝戦争が勃発すると日本には、三沢・横田・厚木・横須賀・岩国・佐世保・嘉手納・普天間に米軍基地があり、此処が攻撃されると日本は大変な事態になる。戦争は絶対避けなければならない。

飯島春光先生に措かれましては、素晴らしい教育をされておられますが、くれぐれもお身体に気を付け、益々のご活躍をお祈り申し上げます。NHKは、日本各地で色んな分野で国民の為に活動されている事例を放送して欲しいものです。

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