春や昔十五万石の城下哉
「この句は正岡子規が、従軍記者として戦地に赴くことになった、明治28年3月14日宇品より松山に帰り、父の墓に詣で、16日料亭「明治楼」で送別会を受けた。翌日広島に帰り4月10日御用船「海城丸」に、近衛師団司令部と共に乗り、宇品から清国へ向かった。
子規は、松山はこれが見納めかと言う思いを込めて、この時この句を詠んだのであろうと言われている。」
さて
松山市の染井吉野桜が開花宣言されてから、14日目(本日4月13日)久しぶりの晴天となった。快晴無風の絶好の花見日和、カメラ持参で松山城本丸に行って来ました。
花は、少し満開を過ぎ綺麗な花弁が風に乗って散り始めていました。花見客は、田舎の松山でも最近は外国人が多く観光に来られ、今日も多くのアジア系の人や白人系の人達が桜を楽しんでいました。
松山城は、「行ってよかった日本の城」に何時も上位にランクされ人気の城です。またご逝去されました、坂東三津五郎さんがお好きな城でした。
では、松山城索道(ロープウェイとリフト)山頂駅から本丸に向かって桜を見ながら、そして主な建城物を見ながら散策してみましょう。本日は最高の鑑賞が出来ました。桜鑑賞は、城の建物を見ながらの散策はいいものです。
松山城は、国指定の重要文化財の建物が21棟あり姫路城に次いで多い城です。では桜鑑賞といたしましょう。
ロープウェイ山頂駅から最初に見えてくるのがこの石垣で、昭和21年12月の南海地震で石垣が孕み、中程から修復工事をしております。奥の櫓は、巽櫓で昭和59年復元しました。
次に見えてくるのが、隠門続櫓で、重要文化財です。この櫓も桜が咲いているのと、背景が青空だから映えるのです。
秋山眞之が少年時代登ったと言われる石垣です。
次に、待合番所跡にある、大きな桜が見えてきます。先ず此処で写真を撮られます。皆さんは!!あ綺麗です。
次に驚かれるのがこの風景、重厚な石垣の奥に天守、手前に太鼓櫓が迫ってきます。この風景は、俳優の榎孝明一押しの場所です。そしてこの道を隘路と言っています。
太鼓櫓と桜と青空、今日は最高ですと登城する観光者は言いながらカメラに被写体を収めておりました。
隘路を進みと無門を潜ると、本丸一の大きな櫓門(筒井門)が見えて、その前(桝形)に大きな桜があります。
筒井門を潜ると、眼前に沢山花を付けた桜が見え皆さん、此処も綺麗と声が飛び交っていました。
綺麗のその桜です。
暫し足を止めて鑑賞、花弁は少し散り始めていました。
角度を変えて見てみると違った鑑賞が出来ます。
後ろの建物は、太鼓櫓と太鼓門西塀で、太鼓門西塀は松山城最後に復元した建築物です。
太鼓門の広場の(桝形)桜です。
太鼓門は、昭和20年7月26日、松山大空襲で焼失し戦後復元されました。
此処で外国人が盛んに写真を撮っていました。
外国人は何故かカメラはニコンが多いです。
さて、太鼓門を潜るといよいよ本丸広場に出ます。こんな場面が目に飛び込んで来ます。標高132m、平地の桜より花持ちが良いようです。
本丸広場でゆっくりと皆さん桜鑑賞されてました。
松山城本丸は、一年で一番の季節です。
今日は、日差しが強かったので桜の下で皆さん一休み。
少し進むと、本丸の本壇になります。三層三階地下一階の伊予松山城の天守で形は、層塔型天守です。本壇にある天守その他の建物の瓦には徳川家の葵の家紋が入っています。
本壇にある小天守下の紫竹門を潜ると立派な桜が見えてきます。それでは紫竹門を潜りましょう。
紫竹門を潜ると大きな桜が、一本だけあります。見える櫓は、小天守で、松山城の復元工事は、小天守から始まり、年次計画的に実施された。小天守の復元工事が完成しそのお祝い行事として開催されたのが、現在のお城祭りの始まりです。
松山城本壇の北隅櫓と、十間廊下櫓、それを支える石垣は、相横矢掛りの石垣。
乾門から一度、本丸から外に出てみましょう。
乾門は、松山城本丸の、裏鬼門に当たる重要な建物です。戦後復元されました。
外の出て振り返ると素晴らしい景色が見えて来ます。
全国の城郭の中で天守本丸に築かれている屏風折れの石垣は松山城だけで、その上に続塀、櫓、小天守等々が一望できる場所で、坂東三津五郎さんが一番好きであった場所です。此処で写真を撮るには、午後がよく時期も今が一番です。午前中は逆光になります。
6月以降になると右側の木々に葉が茂り邪魔になります。
そして本丸広場に帰りました。
今日は最高の桜鑑賞が出来ました。松山は今週の土日は雨天の予報です。今年の桜(染井吉野桜)の開花時期は良く雨が降ります。