平成11年10月10日,初めて富士山移動して3回目で最後の移動であった。
最初の富士山は年に数回しかないという素晴らしい天候に恵まれで快晴無風気温も高く、筑波山移動、八溝山移動各局と交信出来た。
この時3年は続けて富士山移動をしようと決意した。
最後の富士山移動をJA5MXさん「松山地区SHF研究会副会長」と10月5日の夜松山観光港からフエリーで神戸に渡り、富士山の見える山中湖に宿泊、7日午前7時に須走5合目2000mに移動した。
既に昨夜から移動しているYAMA会の皆さんと須走で再会、5,6GHz・10,1GHz・24GHz各バンドで交信、特に筑波山移動・福島県八溝山移動の皆さんから歓迎のコールを頂いた。
何時もながらYAMA会メンバー各局の高度な技術を駆使して素晴らしい活動を目の当たりにし、その活力を吸収して松山に持ち帰り細々ながら活動のエネルギーにさせて頂いた。
松山での5,6GHzロールコールも継続しており8月15日から2426,22MHzレピ-タ「JR5WC」でのロールコールを開始した。
また、「JP5YCK」5GHzレピ-タも健在で稼働しております。(現在は、廃局)
最後の富士山移動は快晴ではなかったが、無風で気温も高くいい移動日和よりであった。
5.6GHzを中心としたS・EHF帯の活性化と、バンド防衛に微力ながら寄与出来たらと、四国、愛媛県松山市で活動を続けております。
今回もJA5MVさんと富士山須走で別れ、JR府中本町駅でJA1ESH(東京練馬区在住)と合流、日光東照宮、華厳の滝、竜頭の滝を観光し奥日光で宿泊した。翌朝国道120号線で吹割の滝を見てJA1ESHさんをJR高崎駅に降ろし、私は、松本市で宿泊し翌朝、長野道、中央道、名神、山陽道、瀬戸大橋、高松道、松山道を乗り継ぎ帰宅した。
残念ながらこの時の画像の保存先が行方不明で画像を掲載する事が出来ない。
日光観光は高校時代修学旅行に行って以来であった。