EEKの紀行 春夏秋冬

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松山祭り 三津浜花火大会

2014年08月05日 | 伊予松山歴史散策
松山の夏祭りの幕開けとなる、松山・三津浜花火大会が8月3日(日)午後8時から開催された。この所台風12号の影響で毎日降雨、当日も時折激しい雨が降っていた。開催大会本部は午前10時予定通り実施する事を決定した。松山花火大会の始まりは、PL教団の教祖である御木徳一(ひとのみち教団の開祖)は松山出身で、「人生は芸術である」のに立つもので、昭和23年松山支部を開設した。御木徳一は死ぬことは世界平和のためになるから、死んだら嘆いたりせずに花火を打ち上げて祝ってくれと常々話していた。徳一が死亡した後、息子であり二代教祖でもある徳近はその遺志を継ぎ、昭和28年(1953)徳一と自身の故郷でもある愛媛県松山市で教祖祭として、初めて花火を打ち上げたのが松山の花火大会の始めで、毎夏松山城三之丸跡で盛大な花火大会を開催し市民に親しまれた。
その後主催者も変更され会場も松山市森松町の重信川(県立松山中央高校の東)そして昭和25年から始まった松山港祭り(三津浜花火大会)が平成12年から「松山まつり」の関連行事として位置づけられ、平成13年から名称も改め「松山港まつり、三津浜花火大会」としてスタートし現在に至っている。
主催は、松山港祭り振興会、共催、松山市である。8月に開催される、松山まつり、道後温泉夏まつり、松山城「光の城」、そして第10回全国女子硬式野球選手権大開、全国高校俳句甲子園大会・・等の開幕を告げる象徴として花火を打ち上げる。規模は四国最大で打ち上げられる花火は1万発、目玉は日本煙芸術協会会員による15号玉作品。超特大15号玉(45センチ)のダイナミックな花火が真夏の夜空に打ち上がった。なお、松山港祭り(三津浜花火大会)が今年第64回、松山まつりは第49回と歴史を刻んだ。
花火大会は午後8時から始まり各地から花火鑑賞に集まった21万人は夜の祭典に酔いしれていた。ぎ少雨があり一時期カメラを収納したが、花火が打ち上げられる時間には止んだ。最初と最後に打ち上げられた15号大玉花火は迫力満点であった。


8月3日、時折降る激しい雨、一番の悩みは大会本部の開催決定、午前10時に開催を決定打ち上げ現場も準備に取り掛かった。


今年の花火大会の企画構成を担当する「花火師・村田さん」まだ若い技師さん。開催決定となりいざ出陣。


花火大会開催第一発目と最後に打ち上げる15号玉。


15号玉を打ち上げ筒に慎重にセットする花火師。


松山花火大会は海上で行われるため台船が使われるので台船で打ち上げ準備作業が行われる。


午後8時ジャストに開会第一弾目に15号玉が打ち上げられた。


高さ400m上空で開花した15号玉。


小雨の中予通り松山港で1万が打ち上げられ、それを鑑賞した21万人は堪能した。


花火を楽しむ市民達、これから松山踊り、伊予松山城本丸で夜の祭典、道後温泉では31迄毎日多彩な行事が開催され、23、24日には、俳句甲子園が開催される。
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