EEKの紀行 春夏秋冬

紀行&散策を画像を交えた紹介です

富士山・黒部立山・上高地・乗鞍岳・高山・紀行回顧録

2011年05月20日 | 富士山・黒部立山・上高地・乗鞍岳・高山・
富士山・黒部立山・上高地・乗鞍岳・高山・紀行回顧録

先日TVで「北アルプス空中散歩」と題して放映され懐かしく思いながら映像を追った。
少し古い話ですが平成11年10月10日、旅をした当時を思いだしながら記録として残しておこうと思いブログに書いた。・・見て頂く皆様はなんだ・・古い事を今更とお叱りを頂くかも・・お許し下さい。
上高地はもう一度行ってみたい・・長野県に親しいアマチュア無線局長が居られ是非来て下さいとお誘いを頂いている。

では、紀行回想録見て下さい。画質も当時のデジカメは画総数も少ないため画像も悪いです。


画像は、平成11年10月10日初めて富士山移動をした時で、移動地点は、静岡県駿東郡小山町須走、新五合目標高2000mである。
移動目的はアマチュア無線5600MHz・10GHz帯の電波伝搬通信実験のためであった。
交信相手局は、東京都の局が、茨城県と福島県境にある八溝山(1022m)まで移動してい頂いた。八溝山から富士山須走は見通し距離、220Kmである。
松山から220Kmだと姫路市までの距離となりこんな見通し距離の地点は確保出来ない。


この日私は、東京麹町のホテルに宿泊していて、富士山移動のため東京メトロ有楽町線の麹町駅から一番電車に乗り、JR有楽町駅から京浜東北線でJR川崎まで行き、ここからはマキ電機社長の車に同乗させて頂き一路富士須走に向った。
天候は最高の天気でこんな快晴無風の富士山は滅多に無い事です。いい時に来ましてね、松山からと言われた。
画像は、24GHzを運用するJA1FS局。


無事220Kmを5600MHz・10GHz帯通信実験完了。
バックに見えるのが富士山で、車で若いカップルが来て富士山どれですか?と尋ねるので、これが富士山ですよと案内した。あまりにも天候がよすぎ、雄大さのあまりびっくりしていた。・・最初私もびっくりした。・天候がよ過ぎ壮大に感じたので。


この画像は、翌年平成12年10月8日に第2回目の富士山移動でこの時は、松山市から車3台で5局が移動した。10月7日午前8時ジャストに松山自動車道川内ICを出発、午後7時30分過ぎに静岡県沼津市のホテルに着き、翌早朝に須走新五合目に向け出発・・この日は前回のように快晴ではなく・・しかし富士山はくっきりと見えたがお昼頃からガスがかかり見えなくなった。
今回も東京の局が茨城県と福島県境にある八溝山に移動してくれました。
そしてFMATV運用実験をしたいと申込みがあり、ATVの設備も持参した。
ATV運用は、JA1AKA局が筑波山に移動して実験をした。


松山市から車で富士山移動をすると言う事で東京から大勢のアマチュア無線局が2000m新5合目須走まで表敬訪問してくれた。


富士山移動後は、私一人別行動をとり以前から行こうと計画していた黒部・立山・上高地・乗鞍岳・高山市を紀行した。
10月8日甲府市で一泊、10月9日松本市に大雨の中移動ここで一泊、10日早朝松本を出発、大町市扇沢まで車走行途中道に迷い大きな時間ロスをした。
扇沢から関電トンネルトロリーバスで黒部ダム湖に・・画像が黒部ダム湖である。


画像は、黒部ダムで天候は小雨が降っていて少しガスがかかり眺望は今一だったが、この日はダムの放流をする日であったので雄大な放流を見る事が出来た。
ダムの堰堤を向こう岸に歩き、ケーブルカーを乗継ぎ、黒部平からロープウエイで大観峰・トロリーバスを乗継ぎ室堂平に着いた。この頃から天候は回復し立山が良く見えた。


中部山岳国立公園の石碑を記念に画像のように天候は回復していた。


室堂平からの立山で、飛騨山脈(北アルプス)北部に位置する標高3,015mの山。
雄山(おやま、3,003m)、大汝山(おおなんじやま、3,015m)、富士ノ折立(ふじのおりたて、2,999m)の3つの峰の総称。立山連峰と言われ、中部山岳国立公園を代表する山である。室堂平に来てきがついた、四国の山と山肌の色が違う何故か??


室堂平から松本市のホテルに夜遅く帰り。11日早朝上高地に向った。
この日は朝から好天で上高地入口からバスで移動(一般車は乗入れ禁止)バスも排ガス抑制のハイブッリット型であった。河童橋手前のバス停で降り、カレーライスを食べ、明神池まで往復し直ぐバスで上高地を後にした。
今考えると、大正池近くのバス停で降りて河童橋まで散策したほうがよかった。次回はそうしよう。画像は、梓川で奥の山は焼岳である。梓川は犀川になり、千曲川に流れ新潟県からは信濃川となり日本海に注がれている。
梓川の水は凄く冷たかった。


有名な、河童橋、奥に見えるのが前穂高3090mだと思う。


上高地を早く発ったのは、この日に乗鞍岳にも行きたかったからである。
私が行った時は、乗鞍スカイラインは自家用車乗入OKでした。何時から禁止になったのか??
上高地から天候はよく、乗鞍岳8合目あたりから槍ヶ岳・穂高連峰が壮大に見る事が出来、眼下に高地も見えた。

画像表記は、奥穂高を長野県・岐阜県と記載したが、長野県松本市・岐阜県高山市の境界に所在し、3190m、日本第3位の高峰であり、槍ヶ岳を長野県と記載したが、詳しくは、長野県松本市・大町市・岐阜県高山市の境界に所在し標高3180m、日本で5番目に高い山である。
この頃は、静止画像でなく、主は8mmで撮影していたので静止画像が少ない。
車の助手席に8mmカメラをセットして乗鞍スカイラインを撮った。


富士山移動帰り、最後の観光地飛騨高山の国選定「飛騨高山街並み保存地区」を早起きをして散策
した。早いから観光者もいなかった。高山祭りは大勢の人出で賑やかだそうだ。
高山から、陸路、東海北陸・名神・中国・山陽・瀬戸大橋・高松・松山道で帰った。
長い車の旅であった。
古い紀行を今回ブログに掲載しました。・・先日放映された「北アルプス空中散歩」をみて思い出したものだから。
なお、翌年も車で富士山移動して、帰りは東京の局の案内で日光まで足を延ばした。

古いものを読み見て頂きありがとうございました。


コメント
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