ラジオ爺の道楽三昧

原発放射能汚染により素人百姓・孫専科を奪われ、病で蕎麦打ちも廃業。最後に残ったアマチュア無線と男の料理の細々生存証明。

青葉手打そば教室3回目

2008年05月10日 | 手打ち蕎麦打ち
教室へ行く前に、講師陣4人で渡利の弁天山の麓に一ヶ月ほど前に開店した“Q庵”という手打ちそば屋に立ち寄った。店主は、詳細は不明だが“蕎麦道楽”と云う飯坂の医王寺近くにある手打ちそば屋一門のそば教室の卒業生らしく、そば粉は北海道牡丹そば契約栽培の自家製粉と話していたが、どうやら蕎麦道楽で一門の店向けに一括製粉しているらしい。麺は春雨位のごく細で、太目好みの自分には若干物足りなかったが、見事に綺麗に揃った“切り”には、今自分の最大の課題だけにただ感服してしまった。
近年ここ福島にも多くの手打ちそば屋が誕生して「何処のそばが旨いの」とか「食べ歩きはしないの」と偶に聞かれる事もあって困ってしまうが、どうやら自分で打ったそばのほうが、不幸にも裏側を知ってしまったばっかりに、たとえ不味くても納得出来てしまうのである。現物の撮影失念、我ながらボケの進行が気にかかる昨今。
            
今日で三度目、三年通ったこの教室も立場が変ると、でも精神的にも体力的にも少し慣れて幾らか楽になって来た。今回も4人だけの休みだったとかで大盛況、12:30~17:30までこの写真の撮影とトイレに2回、缶コーヒーを飲んだ時が唯一の休憩時間だった。自分は未熟なので出来る限り新人を相手にした方がお互いに良いのではと今日までやってみたが、これは大変な錯覚で“未熟”などとボランテア講師とは云え相手に対しては許されない事、教える事の難しさを思い知った。今にして思いばSさんの遺言であったかも知れないが、あの時“強く辞退”が正解ではなかったかと・・・でも今更、頑張るしかないだろう。