ラジオ爺の道楽三昧

原発放射能汚染により素人百姓・孫専科を奪われ、病で蕎麦打ちも廃業。最後に残ったアマチュア無線と男の料理の細々生存証明。

研究会

2009年01月31日 | 手打ち蕎麦打ち
昨日から時折みぞれ混じりの強い雨が降り続く悪天候になり、こんな状況の中で倉庫からの機材搬入と撤収が今日一番の難題と思いながら20分前に到着した。
土砂降りの中で青シートで保護しながら台車による倉庫からの機材搬入で、のし板や道具の一部が水濡れになり、被害は何とか最小限に留めた事で、気が付かない訳でもないが、準備に関わらない常連達にとっては、そんな様子も全く無関心のままで何時もの通りスタートした。
参加者は16人、何故か今日は“更科”を打つ人が多く、更に“茶そば”“ゆず切り”の変わりそばまで最近に無い種類の多さで面白い研究会になった。
“ゆず切り”は初めてと言うので少し質問されたが、ベテランでもあるし余り細かい所までは失礼になるので要点だけ説明した。ところがこれが第一歩のツマズキで更科の打ち方を完全にマスターしていなかった様子でズル玉になってしまった。自分の作業と平行しての事とは云え大変申し訳なく、相手に対する気配りから遠慮する事が裏目に出た最悪の事例で深く反省した。ゆずはミキサーにかけてザル(ステンレス?)で裏ごししたらしいが、ザルの目が荒かったのかけっこう粒粒が目立ち、茹で上がりで切断が心配された。次回からはすり鉢で丹念に擂りあげる事を助言した。
自分の今日打つそばは秋田の友人へ宅急便で届ける約束をしたので、研究会自家製粉の粉“北海道幌加内産”は間に合わなかったのでY先生の所から“福井産”を譲っていただき“二八”で1Kg10人前を打った。自分好みの“猪苗代産”考えていたが、山越えの往復3時間と低気圧通過中の悪天候だったので、届けるそばの評価を考えると未練もあったが旨いそば?は後日の楽しみにしてもらった。