ラジオ爺の道楽三昧

原発放射能汚染により素人百姓・孫専科を奪われ、病で蕎麦打ちも廃業。最後に残ったアマチュア無線と男の料理の細々生存証明。

文化祭初日

2008年10月25日 | 手打ち蕎麦打ち
              
「福島手打ちそば研究会」は発足当時から月二回の研究会を市役所支所に併設された各地区の学習センターを放浪しながら実施していたが、ここ吉井田学習センターは道具の一部も保管可能で便利な事から何時の間にかここへ定着してしまった。地域に密着したグループ以外の異質の我々に、再び館長から学習発表会参加協力の要請があり、昨年に続き二日間メンバーの総力を挙げて手打ちそば打ちの実演と新そばの提供を実施した。
   
             
                     
館内では学習発表会、戸外ではバザーやJA支所婦人部の農産物直売、商店会、一部サークルの模擬店も出店して当“福島手打ちそば研究会”も調理室とこの駐輪場を利用して実演販売をした。
手打ちそば屋は一番乗りで8時前から作業開始、各店販売開始の10時には万全な体制でスタートした。うす曇の穏やかな天候に誘われて多くの市民が訪れて大盛況、何故か今市内の手打ちそば屋で競い合って売りにしいる北海道産の幻のそばと言われる“牡丹蕎麦”より自分達の方が、そば通の市民に何れは軍配と期待を込めて自家製粉の“10割”50食と“二八”100食を提供した。何と大好評で12時前に完売して、明日使用予定の粉で“二八”を50食分追加する大繁盛だった。
今年は直前になって会長決断で予め決定していた定番の使い捨て容器から“せいろ”に変更。女性陣は今朝自分の報告で始めて知り、当然お叱りも一手に受けてこれまで専従だった“茹で”を放棄、責任を取って洗いの水場を一手に引き受け担当した。数が多いし時間制限もあり一人ではとて無理、でもやるしかないと覚悟していたが、現役組最年少の看護士Yさんが自ら志願してくれたのでピンチを脱出して感謝感激。そして配膳をお客さんから直接手にする水場の特権、一様に皆んな「とても旨かったー!」の感想に心も癒されてここ数日間のわだかまりも何となく消失した気もするが・・・・・でも何故か火の粉は残る。