日本裁判官ネットワークブログ

日本裁判官ネットワークのブログです。
ホームページhttp://www.j-j-n.com/も御覧下さい。

ラジオ・ドイツ語講座の楽しみ

2008年03月12日 | 風船
 前々回,続けている習慣として「水泳」の話をしたが,もうひとつ,続いているものとして,ラジオのドイツ語講座がある。大学生のころ「ドイツ文化研究会」という旧制高校的クラブに入って,ドイツ文学に親しんだが,卒業後しばらくは,ドイツ語からは遠ざかっていた。あるとき(もう数十年前のことになる),急に懐かしくなって,NHKのラジオ講座でドイツ語を再開した。以来,熱心に聞くかと思えば,フランス語やスペイン語などに浮気をし(当然ながら,いずれもものにならなかった),しばらく離れると寂しくなって,また聞き出すという繰り返しであったが,最近の10年はとぎれることなく続いている。

 そもそも始めたきっかけは,ドイツ語を流暢に話したいという目的が第1だったが,継続しているわりに上達しないので,それは断念した。ドイツ旅行の際に少しは役立つかもしれない,という気持ちもないではなかったが,実際の旅行では私のドイツ語より家内の英語の方が通用するので,成果があがっているとはいえない。そうなのだ。すでに目的はどうでもよく,ただ,耳にドイツ語が飛び込んでくるのが,なんともいえずうれしいのだ。大学の教養部時代という限られた期間ではあったが,2年間ドイツ語づけになったことで,身体にしみこんだのかもしれない。まさにアンゲネーム(快適)だ。

 こうして,気楽にドイツ語と取り組むと,かえって余裕ができるのか,またドイツ文学を読み返したくなるから不思議だ。カフカの「変身」を取り上げたシリーズがあったので,それをきっかけに,同書を読み返すとともに,裁判所の友人たちとしている読書会で,「審判」を推薦したりもした。そして,先日の放送では,主人公がドイツを旅する金曜日の講座で,作家シュトルムの故郷フーズムが登場した。青春時代,彼の「みずうみ」に心ふるわせ,涙したのは,私だけではないだろう。10年も前になるだろうか,はるばるシュトルムの生家を訪れたことがある。彼は元裁判官であった。生家の管理人とおぼしき女性に,日本からやってきた裁判官で,若い頃彼の小説を読みました旨告げると,「はるばるよく来られましたね」とほほえんでくれた。このように,ラジオ講座は,心の奥底にしまわれていた記憶を呼び起こしてもくれる,宝物のような存在だ。

 これからも,人生の習慣として,生きている限り,聴き続けたい。  (風船)

ある中学校への回答

2008年03月11日 | 
以下の文章は,最北の地のある中学校の一年生が取り組む「社会に目を向ける」というテーマの下に,関心のある職業についてメール等で調べる学習の一環として日本裁判官ネットワークホームページに質問のあった事項に対する私の回答です。自分なりに正直に書いたつもりですが夢多き中学生を落胆させたかなと心配もしている次第です。しかしなかなか良いアイデアの学習と思います。「花」

日本裁判官ネットワークにアクセスをありがとうございます。私たちは現職裁判官が集まって司法機能の強化と開かれた司法を目指して頑張っている団体です。

ご質問に私個人の回答をしてみたいと思います。他の人からの回答もあるかも知れませんのでそれも参考にしてください。

① いまの職業に就かれたきっかけは何ですか。
  
  裁判官になるには司法試験に合格することと司法修習という実務訓練を受ける必要があります。私はこの司法修習の時の裁判官の発言の自由さにあこがれました。会社や官庁では最終的な判断はその組織がする,ということになりますから個々人の意見は参考ということになりますし,上司の意見が優先します。
  裁判所では裁判に関する意見は,年齢,性別,先輩後輩,上司部下,経験の長短など一切関係なく,自分の良心に従って自由に述べ,決定権も平等です。
  三人で裁判する場合にも,裁判長の意見を他の二人が多数決で否決することもたまにあります。自分が納得できない意見には従わなくて良いというのは責任が重くなる反面,他の職業にはない魅力です。
  
② 働いていてうれしいと思うことは何ですか。
 どんな事件でも自分の意見で重大な結果が出てしまうことは,大変な重圧になります。 他のひとの意見に従って判断するのではなく,あくまで自分の良心に従って独立して判断するのが仕事だからです。
 特に有罪,無罪をどうするか,刑務所に入れるべきか,釈放するのか,損害賠償の前提となる責任がどちらにあるのかなど大変迷い,悩むことが少なくありません。でも悩んだ末に出した自分の判決が高裁,最高裁で支持されたり,一生懸命書いた判決や和解案に事件関係者が納得してくれた場合などは,それまでの悩みや苦労が報われたと,大変うれしい気持ちになります。
 
③ 働いていて大変だと思うことは何ですか。
 裁判はどれも,訴えた側が証拠を出し,訴えられた側がそれに反論する証拠を出し,それを繰り返す中で裁判官が事実を認定するという手続きになっています。
 しかし,証拠の中には偽造ではないか思われるものがあったり,信用できない証人もいます。そのなかで間違いないと思われる事実を認定するのはなかなか大変で,裁判官の苦労の大半がこの事実認定の困難さをめぐるもの,といっても過言ではありません。
 
④ やりたい仕事をするために中学校でどんなことを頑張ればよいのですか。
   
 司法試験は大変難しい試験ですからまず勉強はしっかりやってください。
 また裁判官の仕事は激務ですから,からだを鍛えておくことも大切です。
 独立して仕事をすることが独善とならないようにするため,ひとの意見を謙虚に聞く柔軟性が必要な裁判官には,とんぼの目のような複眼的思考ができないと困ります。
 そのためには,いろいろなことに好奇心を持つことや関心を持ったことについて活発に行動すること,本を読むことが大切と思いますが,特に友達とよく話をして,友達の意見の良いところを取り入れて自分の意見を言えるように心がけることも良いと思います。 
 

戦前の少年犯罪

2008年03月10日 | 蕪勢
 「戦前の少年犯罪」という本が版を重ねているようだ(管賀江留郎著,築地書館)。昭和20年の終戦前のわが国の少年犯罪を,当時の新聞記事から丹念に蒐集したレポートである。
 「戦前は小学生が人を殺す時代」「戦前は親殺しの時代」「戦前はいじめの時代」「戦前は教師を殴る時代」等,何か錯覚ではないかと思わせる目次が並ぶ。だが,事実,どのページにも,戦前の少年達の残虐,悲惨,不合理,異常な犯罪がうんざりするほど羅列されるのである。
 たとえば,「東京市向島区(現墨田区)の小学校で,小学4年生女子が女の子(4)をトイレに連れ込み頭をめった打ちにして殺害,迷子になって泣いていた女の子を連れ歩いたが,言うことを聞かないのでやったと自供」(昭和13年,15頁),「静岡県浜松市で,満17歳の少年が,昭和16年8月18日に置屋に侵入して芸妓を刺殺,もう一人の芸妓に重傷を負わせて逃走。8月20日には料理屋に侵入,寝ていた女主人(44),女中(16),雇い人(67)を殺害,警察の調べを受けながら,9月27日には自宅で強盗を装って兄を殺害,兄の妻と子ども,父親と姉に重傷を負わせた。昭和17年8月30日には電車でたまたま乗り合わせた女性(19)の家に侵入,両親を姉と弟を殺害し,女性を強姦しようとしたが失敗して逃走,10月22日に逮捕され,翌日に自供した」(昭和17年,29頁)。何とも驚くべき事件である。この本には,このような殺伐な犯罪がこれでもかこれでもかとばかり埋め尽くされている。

 昨今,少年非行の増大,凶悪化,低年齢化等が声高に議論され,その対策として,少年法制の見直し,処分の厳罰化等の措置が採られてきた。ただ,識者の中には,少年非行の「憂慮傾向」は必ずしも統計に基づく正確な分析ではないと法改正を強く批判する人達もいた。しかし,そうした声がどこまで届いたか分からぬまま,少年法制の改正は着々と進行してきた。
 テレビなどマスメディアの肥大化は,地方の1事件も,あっという間に全国津々浦々の茶の間に流れ,延々と続く報道の中,まるで犯罪劇をみるような生々しさで,人々に「驚愕」と「恐怖」をもたらしている。戦前の上記の事件などは,前者が読売新聞に小さく出ていただけ。後者の事件の発生時は,検閲によって一切報道がなく,地元は噂によって恐慌状態なっていて,逮捕されれてから一か月後にようやく解禁となって新聞記事になっただけだという。地元以外の人々に与えたインパクトは雲泥の差である。

 著者は,国会図書館に通い,新聞から事件記事を丁寧に探して,膨大なデータを蒐集してきたという。そして,この国の政策を立案,決定をする人々が,正確なデータに基づかないで,ことを進める事態を憤るのである。「虚構と現実を混同してしまっている人たちが,新聞やテレビニュースを通じて過去について全くの妄想を語り,それを信じた人がまた妄想を増幅するというヴァーチャルな円環ができあがって,無意味にぐるぐると回転しています」と痛烈な警告を発している(291頁)。
 なお,この本の著者は,ウェブサイトで
 「少年犯罪データベース」(http://kangaeru.s59.xrea.com/)
も主宰している。
(蕪勢)

釣り考(4)

2008年03月07日 | ムサシ
1 平成3年4月私は高知から鳥取地家裁米子支部に転勤し,妻が勤務した松江の宿舎に4年間住んだ。転勤の際,高知で家族で桜の花見をして,松江に移動した数日後,再び裁判所の歓迎会の花見の宴があり,この年は2度花見をしたことになる。長女は小学6年生,次女は2年生で,長女も次女も転校によりそれぞれ3か所の小学校に通学した。私は松江から米子まで片道30キロをマイカー通勤した。米子には伯耆大山がある。
2 米子にも釣り師が揃っていた。そして米子の運転手さんが私の釣りの師匠になった。彼はチヌ釣りの名手で,私もその指導を受けてヌカダンゴ釣りではない方法で,45センチ級のチヌを何枚も釣った。60センチのスズキを釣ったこともある。
3 釣りの名所は何カ所もあるが,一番のお気に入りは境港の一文字であった。港から渡船で約500メートルの沖合に長さ1キロを超えるような長い防波堤があり,サビキ釣りでウンザリするほど小鯵が釣れ,子供達のお気に入りの釣り場であった。小鯵を頭と内臓を除去して,小分けして冷凍しておくと,1年位は唐揚げに使えるのである。チヌも釣れたし,投げ釣りでキスやカレイも釣れた。
 私が幻のわが大山山荘で,親しい友人達と小鯵の唐揚げでビールパーティをしたいとしきりに思うのも,みんなでこの防波堤で思い切り小鯵を釣る楽しさを思い描くからである。
4 米子の釣り師達は,岡山県北の人たちは,家族で大きなクーラーをいくつも持ってきて,この防波堤で小鯵を一杯釣って帰り,調理して小分けして冷凍しておき,唐揚げにして1年中食べると非難する。よその県から来て海を荒らすというのである。また「馬の背」というチヌ釣りの名ポイントを,岡山県人が金曜日の昼から押さえてしまい,真面目な米子の人が,金曜日の夕方仕事を終えて駆けつけても,時既に遅しなのだという。そして一晩釣ると次の朝は別の岡山県人にバトンタッチし,更に次の日も同様で,週末は岡山県人がそのポイントを独占するという。かくして岡山県人は何とひどい人たちかと,私は岡山県人を代表して,何度も皆さんの非難を受け,ひたすらお詫びをした。
5 米子の裁判所は,毎晩裁判官の誰かが逮捕状などを発布するという令状当番がある。私もその当番を担当していたから,当番の日は帰宅をできるだけ遅くして,当番を済ましておく必要がある。それでも松江に帰宅した後の夜10時ころ呼び出されて,泣きの涙で再び米子まで出向くこともたびたびあって,いろいろと大変だったのである。
 講談調にいえば,「そこでムサシは考えた」ということになるが,私は一計を案じて,令状当番の日は近くの弓ヶ浜でキス釣りをするという名案を思いついた。そしてキスの投げ釣りをしながら,ポケベルの呼び出しを待っており,暗くなって釣りができなくなると松江に向けて車を走らせたのである。それでも帰宅後Uターンしたことも少なくない。
6 ある夏の土日を使って,一泊で隠岐の島へ釣りに出かけたことがあった。裁判官と職員で総勢20人くらいであったと思う。そしてある防波堤の上で,釣りをしながら一晩を過ごした。夕食は防波堤の上で焼き肉パーティでビールを飲んだ。夜の12時ころから空を見ながらゴロ寝をした。真上にクッキリと見事な天の川が横たわっていた。ああこれは小学生のころ,毎日眺めていたと同じ様な天の川だなと感慨にふけりながら,しばし天の川を眺めていたが,いつのまにか2~3時間眠ったようであった。フト見上げると天の川の角度が30度ほど回転していた。このときは宇宙の不思議を実感した。
 この防波堤ではやや小振りの石鯛がたくさん釣れた。
7 家族で宍道湖でハゼ釣りをしたこともある。秋の快晴の日曜日であった。全部で百匹ほど釣った。家族で釣りをしたときの料理当番は妻となっている。ハゼのテンプラを満喫した。
 翌日長女の担任の先生が,「昨日先生は宍道湖でハゼ釣りをしてたくさん釣った。誰か昨日釣りをした人はいますか。」と聞いたとのことで,長女と男子生徒が1人手を挙げたそうである。先生は驚いた様子で,長女に向かって,「君は釣りが好きですか。」などといろいろと詳しく聞かれて,家族で100匹位釣ったとか,テンプラにして食べたらおいしかったなどと話したことを嬉しそうに報告した。
8 ある冬の日に,釣りの師匠である運転手さんと5人ほどで岩場で釣りをしたときのことである。完全な防寒体勢の服装であった。少し風があり海は荒れ気味であった。岩の上から竿を出していたところ,突然予想を超えた大きな波が胸の高さまで襲ってきて,全員体が浮いてしまった。一瞬死を覚悟した。しかしすぐに同じところに着地できて全員死を免れた。釣り竿入れなど釣具の一部を失った。すぐに場所を変えてそれからもしぶとく釣った。海水も完全に遮断できており,下着は濡れなかった。
 たまに釣りをしていて死亡した記事を新聞で見るが,このようにして死ぬのかと実感した。それ以降は危険な釣行は一切しないことにしている。これは家族の知らないことである。
9 私は山陰が気に入っている。特に伯耆大山に対する思いは年々強くなっているように感じる。まだ元気で車を運転でき,釣りができるうちに大山山荘で暮らしたい。大山山荘の資金についてはいろいろと秘策があるが,一層策を練って,資金捻出の速度を速めたいと考えている。(ムサシ)

集まれ!将棋ファンの裁判官

2008年03月06日 | チェックメイト
昨日の投稿を読んで、とても嬉しくなりました。
何を隠そう、私も大の将棋ファンだからです。
「将棋界の一番長い日」には将棋会館の大盤解説会に駆けつけ、帰宅後も深夜まで衛星放送を見ました。
ペンネームの「チェックメイト」も西洋将棋であるチェスの用語(詰み)です。
法曹界に入って、寂しく感じていたのが、囲碁ファンに比べて将棋ファンが目立たないことです。永世名人のご子息が裁判官になっているとか、県大会優勝の実力者がいるという話はあるのですが、裁判所で将棋ファンの集まりというのは聞いたことがありません。会員が5人集まれば日本将棋連盟の支部を結成することができるのですが、現時点で裁判所の支部は存在しないようです。弁護士会も含め、囲碁の同好会の方が明らかに目立ちます。
しかし、こんなに身近なところに私と同様の熱烈なファンがいることを認識していなかったことからすると、お互いに趣味のカミングアウトが不足していたのかも知れません。
(チェックメイト)

将棋界の一番長い日 

2008年03月05日 | 風船
 将棋ファンであれば説明は不要なのだが,毎年3月の初旬,将棋界で一番長い日といわれる日がある。A級順位線の最終日で,A級に属する棋士10名が,名人位挑戦と残留をかけて,いっせいに対局するのだ。そして,いつのころからか,その模様を衛星放送が実況するようになった。放送は,朝から始まって昼頃までし、その後3時から夕食休憩の6時まで,そして、夜10時45分から明け方2時まで放送するのだ。

 私は,今回,3時から6時からの分を録画しておいて,夕食時,それを早回しにして見たあと,10時45分から,リアルタイムでみた。私がひいきにしている谷川9段は,「勝てば挑戦者決定」の羽生2冠と対決したが,残念ながらいいところなく破れた。谷川の光速流といわれる攻めを封じた羽生の作戦は,見事というほかなく,挑戦者はあっさり羽生と決まった。将棋界の一番長い日で,誰もが注目するのは残留争いで,降級者2名のうち一人は行方8段に決まっていて、あとは久保8段か、佐藤棋聖のどちらかが貧乏くじをひく。但し、佐藤が負け、久保が勝ったときのみ佐藤棋聖の陥落という状況であった。

 米長永世棋聖は、自分にとっては大一番ではなく相手にとって大事な一番のときほど、必死に頑張り、全力投球をしてきたという。今回、佐藤棋聖と対戦した木村8段の戦いがまさにそうであった。角桂交換のコマ損で、解説者の言によれば必敗の形勢から粘りに粘り、一時は逆転したかにみえるところまで、佐藤棋聖を追いつめた。佐藤棋聖の終盤の空ぜきは有名だが、今回はその咳もあまりでないほどで、ゆがんだように見える顔など、およそ佐藤棋聖とは思えないほどであった。結局、指運にめぐまれて、佐藤棋聖の勝利におわったが、まさにこれぞ、プロの勝負というもので、本当に興奮し、感動した。

 私は、子供のころから将棋が好きで、一応有段者だ。20年ほど前、裁判所のレクレーションで、全国大会の予選があり、広島高裁管内の代表となったこともある(残念ながら、本大会直前体調を崩して東京にいけなかった)。そのときに体験したのだが、将棋でも必死に考えると、本当に疲れてしまい、最後は体力勝負になってしまう。プロの真剣勝負をみていると、命を削るような戦いだ。さらに今回は、三浦8段と久保8段の勝負が千日手(同じ手順を繰り返し無勝負となる)指し直しとなり(その時点で、羽生を星一つの差で追っていた三浦は羽生の勝利を知らず、久保は久保で、佐藤が木村相手に大熱戦を演じていることを知らなかった。一種の不文律らしいが、当然とはいえ、なにかすがすがしいものを感じさせる。)、午後11時半、初手からやりなおすという、大変なものであった。

 将棋にしても、碁にしても、勝負ごとを職業にするのは大変で、趣味として楽しめることの幸せをあらためて感じた。           (風船)

親権をめぐる紛争について

2008年03月04日 | 
家事調停を担当していますが,最近は調停のみならず家事審判事件・離婚訴訟でも,子供の親権をめぐる紛争が特に深刻化しているようにみえます。子の監護をめぐる処分事件(乙類審判)が,全国統計で平成9年と比較して平成18年は約3・1倍になった(家裁月報60巻1号8頁)という数字もその実感を裏付けています。

原因の一つは,父親が親権の獲得に真剣な熱意を持つようになり,実際に父親に養育能力がかなり備わってきたことにあると思われます。もう一つは,親権の争いという外観はとっているものの,実は,相手方への未練や不信,憎しみが背景となって絶対に親権を渡さないと主張していることも考えられます。

原因がいずれであっても,互いに一歩も譲らないという点ではさほど変わりはなく,極端な場合,いずれかの親が下校途中の子供を相手に無断で自宅に連れ帰り,未成年者略取罪で告訴されるという事件も発生しており,ますます話し合いでの解決が困難となることも少なくありません。 しかし,このような深刻な事態が未成年の子に重い精神的負担となることも明らかです。

最近の家庭裁判所調査官は,子の親権を巡る紛争を子供本位に考えましょう,という呼びかけをいろいろなツールを使って努力しているようです。最高裁作成の離婚と親権についてのDVD(子役が非常に名演技で良くできている。)や調査官が翻訳した外国の絵本,調査官が創作した絵本などを使って親や子向けに単なる説得ではなく,自発的に考えてもらおうと懸命の努力をしています。

最近,親権という言葉は適切ではなく,養育義務というような内容に即した言葉に変えるのはどうか,とか外国に例がある共同親権などという考え方を取り入れるべきではないかという議論が学会でなされているようです。確かに親権を相手方がとることは他方の負けというような硬直した感じ方も紛争激化に拍車をかけているかましれません。そうすると,もう少し柔軟な対応ができる仕組みを考えるのも法律家の役割かもしれない,と思います。「花」

三浦元被告人の逮捕と各弁護士会の動き

2008年03月02日 | 瑞祥
 この一週間では、三浦元被告人が、旅行中のサイパン島で、米当局に殺人容疑で逮捕されたとの報道が衝撃的でした。これについては、当ブログの2月26日欄で取り上げています。一度無罪が日本で確定したのになぜという疑問は多くの方がもたれたことでしょう。今後の推移を見守りましょう。なお、三浦元被告人のいわゆるロス疑惑のうち、三浦元被告人は、「殴打事件では85年9月に保険金目当てで実行を依頼した元女優とともに逮捕され、懲役6年の実刑が確定。銃撃事件では、実行役とされた駐車場経営会社社長とともに88年10月に逮捕され、1審で無期懲役の判決を受けたが、東京高裁で逆転無罪。最高裁が検察の上告を棄却し、03年3月無罪が確定した」(毎日)という経緯があります。なお、当のアメリカでは、逮捕についてあまり報道はされていないようです。特に東海岸地方では。
 次に、司法改革の今後について、揺れる弁護士会については、先週も「改革の疲れでしょうか」で、お伝えしましたが、この一週間でもいろいろな動きがありました。
 まず、裁判員制度関係では、新潟弁護士会が、臨時総会で「裁判員実施延期決議」をしています。一方、先週有志の決議案が出されたことをお伝えした仙台弁護士会では、総会で、実施延期決議案の賛成は提案者数と同じ42人、反対89人、棄権28人で否決されたそうです(河北新報)。そのほかにも、埼玉弁護士会が裁判員制度の見直しを求める同会執行部提案の決議案を議題とする予定のようです。
法曹増員問題については、仙台弁護士会が、「2010年までに司法試験の合格者数を年間3000人まで増やすとする政府方針の変更を求める決議を採択した」(河北新報)とのことです。「全国の弁護士会で法曹増員の反対・見直しを決議したのは埼玉、愛知県の両弁護士会と中国地方、中部の両弁護士会連合会に続き5団体目」(河北新報)とされます。この関連では、京都弁護士会の就職説明会では参加修習生が180名であるのに対し、参加が4事務所、横浜弁護士会の就職説明会でも、参加予定修習生が240名であるのに対し、参加が3事務所という報道がされています。修習生にとっては大変な事態ですが、仕事を増やす提案がなかなかされなかった中で、「中小企業半数 弁護士利用なし 有望な“市場”開拓へ 日弁連」(産経)との記事が目を引きました。日弁連が中小企業を対象にアンケートを実施したところ、「弁護士を利用したことがない企業の59・3%が法的課題があると認識していることが判明。法的な課題について弁護士以外の誰に相談しているかを聞いた質問では、未利用企業の場合、税理士が多かった。」「具体的にどんな法的課題があるかを全調査企業を対象に聞くと、債権回収や雇用問題、クレーム対策、契約書のリーガルチェック、事業承継・相続対策が上位を占めた。」(産経)ということです。法化社会を実現するために、このような市場開拓の努力が大切で、かつ前向きな感じがします。