4 コメント コメント日が 古い順 | 新しい順 人生の目標 (春目漱石) 2008-03-28 14:10:39 はじめまして。北国にも春が訪れようとしています。最近、「死にたい」という若い人が急増しているように感じていますね。人は一体、何のために生きているのでしょうか。人はどこから来て何のために、勉強し、働き、生きてどこへ向かっているのでしょうか。なぜ、人は孤独なのでしょうか。愛とは何か、生きる意味、死とは何かなどのことについて、ブログで分かりやすく聖書から福音を書き綴って来ました。ひまなときにご訪問下さい。http://blog.goo.ne.jp/goo1639/「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」(聖書) ★私のブログから----------。「生きる目的は一体何か」http://blog.goo.ne.jp/goo1639/m/200705「人生の目的と意味は何か」http://blog.goo.ne.jp/goo1639/d/20060519 返信する 封じ手 (080717) (お気楽ご隠居) 2008-08-15 11:35:37 今日も高尾本因坊はワイシャツだけで、羽根は背広を着たまま。第6局の二日目。黒番、羽根の封じ手は右辺の白石へのツケ。高尾がハネで応じたのに対し、羽根は30分もかけて、やっとオサエを選んだ。 それまで解説者石田九段を含めて、画面に現れる誰もが「何を考えているんだ」と首をひねる。 封じ手のツケに白がハネで応じたのは、最も自然な手だから、羽根は当然これを予想して、その後の展開を、一晩かけてゆっくり考えられたはずなのに、なぜ30分も手がとまるのか。誰しも、そう思ったに違いあるまい。 羽根がなぜここで時間を費やしたのかは、本人にきくしかないが、羽根の応手を待つ間に、私は川端康成が本因坊秀哉名人と当時七段だった木谷実との半年がかりの対局を描いた「名人」の一節を思い浮かべた。 「名人」は木谷の実名を記さずに、大竹七段という仮の名を与えているが、その記述は創作ではなく、著者が立会人として間近に見続けた対局の経過を、見たままに描写した実録に違いない。 一局の碁を打ち終るのに半年を費やすという、今では信じられないことが現実に行われた昭和13年という遠い過去の話だ。 これを引退碁として打った秀哉名人は、対局後、まもなく世を去った。 この名人が生きた時代は、持ち時間の制約が今からみれば無きに等しいほどゆるやかで、封じ手というルールがなく、碁を打ちかけにするときには、下位者が最後の石を置いて、上位者には次の手を案じる時間が、対局が再開されるまで与えられるという習わしが続いた時代だったが、名人の引退が近づいたころになって、このような不平等が許されなくなり、封じ手のルールが生まれた。名人はこれを時勢の変化とて受け入れはしたものの、やはりなじみにくい気持はあったろう。 その名人が、大竹七段として記述されている木谷が封じた手に、憤然として色をなし、対局を放棄しかけるという場面が現れる。 名人が怒ったのは、木谷が封じた手が、劫立てや時間つなぎのためにアタリを打つような、相手に応手を選択する余地を与えない手だと感じ、それが封じ手というルールを、駆け引きの道具にして、相手の一つしかあり得ない応手を前提に、対局再開までの時間を使って次の手を考えようとした術策だと受け取ったためだ。 川端の記述には、「あんな手を打っておいて、二日の休みの間に、調べようというのですよ。狡い」と名人は吐き出した、とある。 もっとも、名人は、命が尽きるまでにその怒りを解いて、木谷が選んだ封じ手が、封じ手でなくても打たれて不思議はない、その局面に適した有効な手だったと認めたことが追記されている。 封じ手がルールとして定着した今では、これに応じる手が一つしか考えられないような封じ手が現れても、誰もそれを「狡い」ととがめることはなく、むしろ今日の羽根の長考が不思議がられたように、相手が必ず打つはずの手を前提として、次の手を考えるのが当然だとされている。それでは封じ手をした方が得だということになりそうだが、対局者が自分の手番で封じ手ができる時間がきても、それをしないで盤面に石を置き、相手に次の手を封じさせることも稀ではない。封じ手を正しく記入したかどうかが気になるから、自分は封じたくないという棋士もいるらしい。しかし、初めて封じ手のルールを認めさせられたばかりの名人が、おかしいという反発を抱いたのは、理解できることだったろう。 無罪判決を多く出し、それらがいずれも確定した裁判官として知られる木谷明さんは、木谷実の子として生まれたのに、碁打ちにならずに裁判官になったと言われる人である。今も昔も、碁の世界で一大勢力をなしている木谷門下の名棋士たちが木谷家住み込みの腕白小僧であった時代に、彼らと兄弟同然に育てられたに違いない。他人からみれば羨ましいが、弟子たちのために骨身を削ったであろう母美春さんの超人的な努力を目の当たりにしてきた息子としては、それどころではなかったと言いたいだろう。 この人は碁の腕前を、ほとんど披露しないと言われている。素人離れがした棋力の持ち主であってもなお、それを人に知られては、大棋士木谷の名にかかわると思うのだろう。 明さんとは同じ15期の修習生として、ずっと年賀状のやり取りをさせてもらっているが、能力、実績においては月とスッポン、彼の足元にも及ばない私にとっては、近づきたくても近づけない人で、はるかに仰ぎ見るばかりだ。 明さんの妹で女流棋士のトップランナーだった小林礼子さんは、惜しくも早世したが、小林光一九段との間に生まれた小林泉美六段と、彼女のパートナーの張栩九段が、21世紀の棋界を担うスター夫婦であることは、言うまでもあるまい。 今日の本因坊戦は、結局、羽根が中押し勝ちを収め、羽根の三連敗、三連勝という昭和33年の巨人・西鉄戦を思い出させる展開になってきた。 高尾・羽根世代に続いては、平成生まれの井山裕太が破竹の勢いで、今にも新しいスーパースターの座に駆け上がりそうだが、彼が天下を制する日まで、こちらの寿命が持つことを、ひそかに願っている。 返信する 3連敗、4連勝(080723) (お気楽ご隠居) 2008-08-15 11:41:09 6時半、高尾投了。 今日が本因坊戦のファイナル二日目で、暑さもハンパではないので、どこへも出かけないことにし、9時から45分間、対局実況中継を見、午後は暑さを持て余したせいもあって、3時から4時まで、近くのシーサイドオーツカ一ノ宮ホテルの室内プールで泳ぎ、血圧を測って一安心して帰り、6時から再開される実況中継を待つ。画面には、今日も背広を脱がない羽根とワイシャツだけの高尾が現れ、手番の高尾が顔を盤面に近づけて長考に沈む。 昨日の対局開始前に、握りで羽根が先番と決まった。 今度のシリーズでは、高尾も羽根も、黒で2勝、白で1勝しているはずなので、やはり黒が有利だとすれば、ツキが羽根に回ったのか。 盤面では、右辺で黒が大きく地を取り、白は中央のまだ一眼しかない黒の大石を攻めて丸呑みにしなければ、勝てる見込みはないが、黒にはもう一眼作る余地がありそうだと、解説者の蘇耀国八段が言う。 高尾の持ち時間がまだ50分ほどあり、羽根には9分しか残っていないが、蘇八段が言うには、時間に追われて間違えてくれるような相手ではない。 結局、白の攻めは続かず、実況中継は30分で終った。 勝者に笑みはなく、敗者のみが笑みを絶やさない。 鍋に入れた大魚を逃がした高尾の落胆は察するに余りがあるが、「4局目からは力負け、読み負けでした。仕方がない」と、淡々と語る負けっぷりのよさ。 返信する 羽根の二枚腰(080703) (お気楽ご隠居) 2008-08-15 14:28:17 7月2日、水曜日。5時過ぎに帰宅して、すぐに衛星第二の画面に見入ると、向かって左側でワイシャツだけになった高尾本因坊が、盤面に顔を近づけて読みにふけっている。挑戦者の羽根はまだ上着を脱がず、端然として座っている。 解説者の武宮九段が、黒番の高尾が苦しそうだともらす言葉をきいて、局面の映像に目を向けると、これはしたり、白石に囲まれた黒の大石には一眼しかなく、もう一眼はどこにもできそうになくて、マレー沖のプリンス・オヴ・ウェールズの如く、今にも沈没しかけていることが、私にさえ見て取れる形勢。3連敗から立ち直ろうとしている羽根が、会心の2勝目に近づいていた。 高尾は投げ場つくりを求めてか、なお数手の抵抗を続けたが、羽根が正確に応じてゆるまず、結局5時46分という早い時刻に、高尾が頭を下げて終局の合図をした。 大方のファンにとっては、いよいよ白熱する勝負に期待がつながるお待ちかねの展開だろう。 最後まで勝敗が定かに予見できない半目勝負の場合とは異なり、この対局では、白優勢と判定した武宮の言葉が理解しやすかったが、碁と将棋を比べると、碁の解説者の方が慎重な表現をするように思える。おそらく、どちらの王様が早く詰むかで勝負が決まる将棋と、対局が終った後で、やっとどちらが勝ったか、わかる場合がある囲碁との違いから、将棋の解説者の方が形勢の優劣をはっきり言いやすいのではあるまいか。 しかし羽生にようやく19世永世名人の座をもたらした将棋名人戦第6局で、画面に現れる棋士の誰も彼もが、森内名人がどう指しても、もう名人の勝ち目はなくなったと、かなり血も涙もない言い方で、羽生乗りのご託宣を、早めに下していたのには、おどろいた。 それほど優劣の差がついてしまっていたのだろうが、あまり例がないことだろうという気がした。 名人の奥さんが、これをきいていたら、どう思ったか。多分、こんな大事な勝負では、対局者の奥さんがテレビで局面の推移を追うなどということは、辛すぎてできないのが普通で、万一見ることがあっても、決して見たことを口にしないのではないかと想像はするが。 それでも張栩・小林泉美夫妻のように、両方がプロだったら、パートナーがタイトルを争奪する晴れの勝負を、居ても立ってももいられずに、見てしまうことはないだろうか。 テレビという文明の利器がなければ、こんな想像をめぐらす余地はないが。 対局者自身は、録画を後で見たりはしないのだろうか。負けた勝負だったら絶対に、縁起が悪いとして見はすまいが。 あの将棋名人戦で、羽生必勝と言うに近い発言をした棋士たちは、誰も「森内さんが後で録画を見たら」などと気にしてはいなかったように思える。やはり見るはずがないというのが、この業界の常識なのだろうか。 勝負師の心理が、素人にわかるはずはないが、羽生が19世永世名人の座につくことには、大方のファンの期待がかかっていたに違いあるまい。 それが実現した後で、「大政奉還です。私はうれしい」と記したblogがあったが、とにかく今度は羽生に勝たせたいという雰囲気は、かなり濃かったのではないか。そうだとすれば、一足早く18世永世名人の資格を得た森内名人が、損をする順番だったのかもしれない。むろん、そんなことで心理的圧迫を受けたりはしないのがプロだろうが。 返信する 規約違反等の連絡 コメントを投稿 goo blogにログインしてコメントを投稿すると、コメントに対する返信があった場合に通知が届きます。 ※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます 名前 タイトル URL ※名前とURLを記憶する コメント ※絵文字はJavaScriptが有効な環境でのみご利用いただけます。 ▼ 絵文字を表示 携帯絵文字 リスト1 リスト2 リスト3 リスト4 リスト5 ユーザー作品 ▲ 閉じる コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。 コメント利用規約に同意する 数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。 コメントを投稿する
北国にも春が訪れようとしています。
最近、「死にたい」という若い人が急増しているように感じていますね。
人は一体、何のために生きているのでしょうか。
人はどこから来て
何のために、勉強し、働き、生きて
どこへ向かっているのでしょうか。
なぜ、人は孤独なのでしょうか。
愛とは何か、生きる意味、死とは何かなどのことについて、ブログで分かりやすく聖書から福音を書き綴って来ました。
ひまなときにご訪問下さい。
http://blog.goo.ne.jp/goo1639/
「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」(聖書)
★私のブログから----------。
「生きる目的は一体何か」
http://blog.goo.ne.jp/goo1639/m/200705
「人生の目的と意味は何か」
http://blog.goo.ne.jp/goo1639/d/20060519
それまで解説者石田九段を含めて、画面に現れる誰もが「何を考えているんだ」と首をひねる。
封じ手のツケに白がハネで応じたのは、最も自然な手だから、羽根は当然これを予想して、その後の展開を、一晩かけてゆっくり考えられたはずなのに、
なぜ30分も手がとまるのか。誰しも、そう思ったに違いあるまい。
羽根がなぜここで時間を費やしたのかは、本人にきくしかないが、羽根の応手を待つ間に、私は川端康成が本因坊秀哉名人と当時七段だった木谷実との半年がかりの対局を描いた「名人」の一節を思い浮かべた。
「名人」は木谷の実名を記さずに、大竹七段という仮の名を与えているが、その記述は創作ではなく、著者が立会人として間近に見続けた対局の経過を、見たままに描写した実録に違いない。
一局の碁を打ち終るのに半年を費やすという、今では信じられないことが現実に行われた昭和13年という遠い過去の話だ。
これを引退碁として打った秀哉名人は、対局後、まもなく世を去った。
この名人が生きた時代は、持ち時間の制約が今からみれば無きに等しいほどゆるやかで、封じ手というルールがなく、碁を打ちかけにするときには、下位者が最後の石を置いて、上位者には次の手を案じる時間が、対局が再開されるまで与えられるという習わしが続いた時代だったが、名人の引退が近づいたころになって、このような不平等が許されなくなり、封じ手のルールが生まれた。名人はこれを時勢の変化とて受け入れはしたものの、やはりなじみにくい気持はあったろう。
その名人が、大竹七段として記述されている木谷が封じた手に、憤然として色をなし、対局を放棄しかけるという場面が現れる。
名人が怒ったのは、木谷が封じた手が、劫立てや時間つなぎのためにアタリを打つような、相手に応手を選択する余地を与えない手だと感じ、それが封じ手というルールを、駆け引きの道具にして、相手の一つしかあり得ない応手を前提に、対局再開までの時間を使って次の手を考えようとした術策だと受け取ったためだ。
川端の記述には、「あんな手を打っておいて、二日の休みの間に、調べようというのですよ。狡い」と名人は吐き出した、とある。
もっとも、名人は、命が尽きるまでにその怒りを解いて、木谷が選んだ封じ手が、封じ手でなくても打たれて不思議はない、その局面に適した有効な手だったと認めたことが追記されている。
封じ手がルールとして定着した今では、これに応じる手が一つしか考えられないような封じ手が現れても、誰もそれを「狡い」ととがめることはなく、むしろ今日の羽根の長考が不思議がられたように、相手が必ず打つはずの手を前提として、次の手を考えるのが当然だとされている。それでは封じ手をした方が得だということになりそうだが、対局者が自分の手番で封じ手ができる時間がきても、それをしないで盤面に石を置き、相手に次の手を封じさせることも稀ではない。封じ手を正しく記入したかどうかが気になるから、自分は封じたくないという棋士もいるらしい。しかし、初めて封じ手のルールを認めさせられたばかりの名人が、おかしいという反発を抱いたのは、理解できることだったろう。
無罪判決を多く出し、それらがいずれも確定した裁判官として知られる木谷明さんは、木谷実の子として生まれたのに、碁打ちにならずに裁判官になったと言われる人である。今も昔も、碁の世界で一大勢力をなしている木谷門下の名棋士たちが木谷家住み込みの腕白小僧であった時代に、彼らと兄弟同然に育てられたに違いない。他人からみれば羨ましいが、弟子たちのために骨身を削ったであろう母美春さんの超人的な努力を目の当たりにしてきた息子としては、それどころではなかったと言いたいだろう。
この人は碁の腕前を、ほとんど披露しないと言われている。素人離れがした棋力の持ち主であってもなお、それを人に知られては、大棋士木谷の名にかかわると思うのだろう。
明さんとは同じ15期の修習生として、ずっと年賀状のやり取りをさせてもらっているが、能力、実績においては月とスッポン、彼の足元にも及ばない私にとっては、近づきたくても近づけない人で、はるかに仰ぎ見るばかりだ。
明さんの妹で女流棋士のトップランナーだった小林礼子さんは、惜しくも早世したが、小林光一九段との間に生まれた小林泉美六段と、彼女のパートナーの張栩九段が、21世紀の棋界を担うスター夫婦であることは、言うまでもあるまい。
今日の本因坊戦は、結局、羽根が中押し勝ちを収め、羽根の三連敗、三連勝という昭和33年の巨人・西鉄戦を思い出させる展開になってきた。
高尾・羽根世代に続いては、平成生まれの井山裕太が破竹の勢いで、今にも新しいスーパースターの座に駆け上がりそうだが、彼が天下を制する日まで、こちらの寿命が持つことを、ひそかに願っている。
今日が本因坊戦のファイナル二日目で、暑さもハンパではないので、どこへも出かけないことにし、9時から45分間、対局実況中継を見、午後は暑さを持て余したせいもあって、3時から4時まで、近くのシーサイドオーツカ一ノ宮ホテルの室内プールで泳ぎ、血圧を測って一安心して帰り、6時から再開される実況中継を待つ。画面には、今日も背広を脱がない羽根とワイシャツだけの高尾が現れ、手番の高尾が顔を盤面に近づけて長考に沈む。
昨日の対局開始前に、握りで羽根が先番と決まった。
今度のシリーズでは、高尾も羽根も、黒で2勝、白で1勝しているはずなので、やはり黒が有利だとすれば、ツキが羽根に回ったのか。
盤面では、右辺で黒が大きく地を取り、白は中央のまだ一眼しかない黒の大石を攻めて丸呑みにしなければ、勝てる見込みはないが、黒にはもう一眼作る余地がありそうだと、解説者の蘇耀国八段が言う。
高尾の持ち時間がまだ50分ほどあり、羽根には9分しか残っていないが、蘇八段が言うには、時間に追われて間違えてくれるような相手ではない。
結局、白の攻めは続かず、実況中継は30分で終った。
勝者に笑みはなく、敗者のみが笑みを絶やさない。
鍋に入れた大魚を逃がした高尾の落胆は察するに余りがあるが、「4局目からは力負け、読み負けでした。仕方がない」と、淡々と語る負けっぷりのよさ。
解説者の武宮九段が、黒番の高尾が苦しそうだともらす言葉をきいて、局面の映像に目を向けると、これはしたり、白石に囲まれた黒の大石には一眼しかなく、もう一眼はどこにもできそうになくて、マレー沖のプリンス・オヴ・ウェールズの如く、今にも沈没しかけていることが、私にさえ見て取れる形勢。3連敗から立ち直ろうとしている羽根が、会心の2勝目に近づいていた。
高尾は投げ場つくりを求めてか、なお数手の抵抗を続けたが、羽根が正確に応じてゆるまず、結局5時46分という早い時刻に、高尾が頭を下げて終局の合図をした。
大方のファンにとっては、いよいよ白熱する勝負に期待がつながるお待ちかねの展開だろう。
最後まで勝敗が定かに予見できない半目勝負の場合とは異なり、この対局では、白優勢と判定した武宮の言葉が理解しやすかったが、碁と将棋を比べると、碁の解説者の方が慎重な表現をするように思える。おそらく、どちらの王様が早く詰むかで勝負が決まる将棋と、対局が終った後で、やっとどちらが勝ったか、わかる場合がある囲碁との違いから、将棋の解説者の方が形勢の優劣をはっきり言いやすいのではあるまいか。
しかし羽生にようやく19世永世名人の座をもたらした将棋名人戦第6局で、画面に現れる棋士の誰も彼もが、森内名人がどう指しても、もう名人の勝ち目はなくなったと、かなり血も涙もない言い方で、羽生乗りのご託宣を、早めに下していたのには、おどろいた。
それほど優劣の差がついてしまっていたのだろうが、あまり例がないことだろうという気がした。
名人の奥さんが、これをきいていたら、どう思ったか。多分、こんな大事な勝負では、対局者の奥さんがテレビで局面の推移を追うなどということは、辛すぎてできないのが普通で、万一見ることがあっても、決して見たことを口にしないのではないかと想像はするが。
それでも張栩・小林泉美夫妻のように、両方がプロだったら、パートナーがタイトルを争奪する晴れの勝負を、居ても立ってももいられずに、見てしまうことはないだろうか。
テレビという文明の利器がなければ、こんな想像をめぐらす余地はないが。
対局者自身は、録画を後で見たりはしないのだろうか。負けた勝負だったら絶対に、縁起が悪いとして見はすまいが。
あの将棋名人戦で、羽生必勝と言うに近い発言をした棋士たちは、誰も「森内さんが後で録画を見たら」などと気にしてはいなかったように思える。やはり見るはずがないというのが、この業界の常識なのだろうか。
勝負師の心理が、素人にわかるはずはないが、羽生が19世永世名人の座につくことには、大方のファンの期待がかかっていたに違いあるまい。
それが実現した後で、「大政奉還です。私はうれしい」と記したblogがあったが、とにかく今度は羽生に勝たせたいという雰囲気は、かなり濃かったのではないか。そうだとすれば、一足早く18世永世名人の資格を得た森内名人が、損をする順番だったのかもしれない。むろん、そんなことで心理的圧迫を受けたりはしないのがプロだろうが。