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法曹ソフトボール大会

2008年03月14日 | ムサシ
1 法曹ソフトボール大会は,かつては全国各地で盛んに行われていたが,今では余り行われていないと思われる。それは若手法曹が余りソフトボールをしないことと,かつて熱心にやっていた人達も年を取ってきたためである。しかし姫路のように,今でも春と秋の年2回の大会が続いており,異様に盛り上がっている所もないわけではない。姫路の弁護士会報には法曹ソフトボール大会の顛末が毎回とても面白く描かれている。私もかつて姫路に住み,神戸地家裁社(やしろ)支部に勤務していたころ,姫路の法曹ソフトボール大会に熱心に参加し,裁判所チームのピッチャーとしてそこそこ活躍した。
2 私は小学生のころ熱心にソフトボールをやっていた。毎週のように土曜日の午後,学校に残ってソフトボールをして遊んでいたのである。私はソフトボールが好きであり,得意でもあった。しかしその後,中,高,大学と殆どやる機会はなく,野球部やソフトボール部に所属したこともなく,ズブの素人に過ぎない。
3 私が再び熱心にソフトボールをするようになったのは裁判官になってからのことである。その後転勤するたびに,各地で熱心に法曹ソフトボール大会に参加した。私はピッチャーとして案外活躍してきたと言ってよいだろう。かつて鳥取地家裁米子支部に勤務し,松江市に住んでいたときには,子供の小学校のPTAのソフトボール大会でピッチャーとして参加したこともある。高知の裁判所に勤務したときは,裁判所の本庁と支部などで6チームを編成し,私は民事部のピッチャーとして優勝し,最高殊勲選手(MVP)に選ばれたこともあった。
4 私が郷里の岡山家裁の裁判官として勤務するようになったのは平成11年4月のことである。そのころ岡山では春はボーリング大会,秋はソフトボール大会を行っていたように思う。この年私は裁判官チームのピッチャーとして3勝し,裁判所は久しぶりに優勝した。私はバッターとしても11打数7安打,2ホームランという成績で,当然MVPに相当する活躍をした。しかし私がMVPとなると最優秀投手賞を受ける人がいなくなるという妙な理由で格下げとなり,MVPは別の人が獲得することになって,いささか釈然としなかった。
5 その試合の後の懇親会で,参加者全員がそれぞれ好き放題の挨拶をして大いに盛り上がったが,私は「人は勝った試合よりも負けた試合の方が遙かに多くを学ぶことができる。今日負けたチームの皆さんは,多くのことを学んで下さい。勝った私達は,今日は学ぶことはしないで,勝利の美酒を存分に味あわせて頂きます。」と挨拶をして拍手喝采を浴びた。
 この大会では私の同期の裁判官が裁判所チームの監督をしていたが,優勝を喜んで裁判官チームだけの2次会を企画し,優勝カップでビールの回し飲みをしようと主張した。よく見るとメッキが禿げかけていて,見るからに汚い優勝カップであり,みんなギョッとしたと思う。みんな内心は「バッチイ」と思って反対であったと思われるが,監督が回し飲みを強く主張して聞かないので,監督の迫力に負けて結局回し飲みをした。ビールはとても美味しかった。
6 今は岡山ではソフトボール大会はできなくなってしまい,年1回やっとボーリング大会が行われているに過ぎない。私は毎週土か日に30分,近くの川原のコンクリートの水門に向けてテニスの壁打ちをしているが,その際今でも密かに30球ソフトボールのピッチング練習を続けており,いつでもピッチャーとして登板できる体勢にある。しかしおそらく再び岡山で法曹ソフトボール大会が復活することはないであろうし,私も既に65歳であるから,今後私がピッチャーとしての勇姿を見せる機会もないだろうと思うといささか寂しい思いがする。
 今後はボーリング大会の優勝を目指して秘密特訓をすることにしようかな。(ムサシ)