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品質管理ノート 第2回

2018年11月04日 | ブログ
品質管理ということ

 戦後のわが国の工業製品の品質向上は、デミング博士*註1)やジュラン博士*註2)の指導によるところが大きいとされている。確かに工業的に大量生産において均一な製品を高い歩留まりで生産するための管理技術は、F.W.テーラーの科学的管理法*註3)やシューハートの管理図(1924年)に起源を持つ米国が発祥と言える。

 しかし、それ以前においてもわが国の産業界における品質管理は立派に存在していたと思える。例えば、陶磁器などの職人が、出来栄えの悪い製品を叩き割る姿をテレビドラマなどで目にするように、出来栄えの評価すなわち品質評価は厳密に行ってきた。焼き上がった陶磁器などもその出来栄えによって、等級が付けられ、芸術品から実用品にあっても高価なものから庶民が買えるものまで等級分けされて販売されてきたと思われる。

 江戸時代の浮世絵にしても、絵師、彫師、刷師の分業で、それぞれが非常に繊細な仕事を熟した。彼らが使う絵筆、絵具、彫刻刀、バレンひとつまでも浮世絵の出来栄えを左右する。立派に品質管理されている物である必要があった。

 農産物にしてしかり。現代において1個100万円もするメロンや一粒1万円のぶどうなども、恐らくその育成期間の管理に繊細な心配りがあって、その出来栄え評価も細心のものがあろう。神戸牛や松阪牛などブランド牛肉にしても同様である。

 また名のある飲食店の調理人の、その味をよりよく維持するために行っているノハウハウとその努力は半端ではないようだ。すべて立派な品質管理である。

 すなわち、われわれの品質管理は、長年に培われた職人技をベースに、顧客の目に見えぬところにも注力した伝統の上に成り立ってきたもので、まさに現代工業製品に冠せられた「メイドインジャパン」ブランドのベースはそこにある。

 謙遜かどうか、仲間内で「私は品質管理が分からない」という言葉を聞くのだけれど、科学的管理法としての品質管理は確かに理屈が難しそうに感じるけれど、品質管理そのものは、われわれが庭で花を育て、野菜を作り、子供たちと紙ひこうきを作り、折鶴を折る作業においても自然のうちに行っているものだ。

 日本人は豊かな自然と四季に恵まれ、山の幸、海の幸から繊細な情緒を育まれ、主婦が家事ひとつ行うにも、出来栄えよく、効率よく改善を繰り返しながら行う。手洗いの習慣、細部にまで心を込める習慣。いただきます、ごちそうさま、ありがとう、すみません。そのような伝統の灯を消さないことがまさに品質管理ではなかろうか。




*註1)米国の統計学者(1900-1993)。1950年に来日し、日本の学者や企業経営者に統計的方法による製品設計や品質管理の手法を伝授した。
*註2)米国の経営学者(1904-2008)。1954年に来日し、現場における実践的品質管理の手法(パレート図による重要度分析など)を講義した。「品質管理は経営のための道具である」として、日本の「品質中心主義に基づく経済」への基礎を築いた。
*註3)20世紀初頭の米国で、方法研究と作業測定により、生産工程を成り行き管理から科学的管理に移行させIE(生産工学)の基礎を築いた。作業標準化と作業管理を可能にする組織形態を創設した。すなわち課業管理を行い、従業員に報酬に見合う一定のノルマを課した。テーラーの他ガントやギルブレスらもその発展に寄与した。ただ、科学的管理法は人間性尊重が希薄として、その後の経営学では見直しがされてゆく。



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