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品質管理ノート第3回

2018年11月07日 | ブログ
続、品質管理ということ

 1990年代に入り、勤めていた工場でもISO9000(ISO9002)を導入することになった。工場の品質管理部内にISO事務局を置き、工場内特に製造部内の各課・係に向け、まず教宣活動を行う。ISO9000の初版1987年版では、特に文書管理が非常に厳しく、対応させるためには各課係に必要なマニュアルや帳票類を整備する必要があった。これまでの日常業務に加え多くの資料作成の作業が発生することになった。

 そのための新たな人員増はない。第一線の気鋭の係長が、ISO事務局に「われわれは品質管理の仕事だけをやっているのではない」という抗議に乗り込んできたことが強く印象に残っているけれど、当時製造部においては安全管理と生産管理が優先され、品質管理を行っているという意識はあまりなかったのである。

 私の入社1年目(1966年)、現場での三交代勤務。所掌プラントは石油化学プラントでも最も危険なエチレンオキサイド(エチレンに酸素が1個ぶら下がった構造をしているため、酸素を供給しなくても爆発の危険がある)製造プラント、そして直接の誘導品であるエチレングリコール製造プラントであった。

 同期入社は10名。新工場へのベテラン社員の異動に伴う穴埋めに備える大量採用であった。工業高校出身者でも機械科卒、工業化学卒が中心で、電気科出身者は居なかったように思う。電気科卒、機械科卒はメンテナンス部署、工業化学科卒は研究・分析要員が中心となるが、そこから外れた連中がプラントの交代勤務に配属された。

 オキサイドプラントの大型のコンプレッサーがある部署は、主に機械科出身者が充てられ、私は工業化学科出身だからグリコールプラント担当となった。工場内の数ある製造プラントの中で、もっともオペレーションの容易な部署であったと思われる。

 しかし、グリコールの最大顧客である東洋レーヨン(現、東レ)はその主力製品であるテトロン(ポリエステル繊維)の原料であるエチレングリコールの品質に殊更厳しかった。私などが入社する以前に、東レの技術者がしばらくプラントに駐留し、その品質管理を徹底させた。ハーゼンNo.(着色判定)基準や蒸留試験に加えてUV規格を導入していた。微量の不純物も紫外線の吸収で検出するようにしていたのである。

 エチレンオキサイドはエチレンプラントのサイドカット品。ポリエチレン原料などには高度に精製されたエチレンが必要なのに対して、エチレンオキサイド原料には少々の不純物は許容された。

 またエチレンオキサイドの高純度品は、界面活性剤用途等にそのまま出荷され、アルデヒドなどの不純物を含む最終精製塔のボトム品がエチレングリコールの原料に使用された。いわば、3級品の原料を使い、恐らく当時世界の最高品質のエチレングリコールを製造していた。

 そのため、工程管理ではサンプリング頻度を多くし、少しでも品質悪化の兆候があればリアクターへの原料供給水をプラント回収水から高純度水に一時切り替えるなど、「品質管理」という意識はないもののそれを立派に実践していたものだった。




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