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続、この国の風景その10

2011年12月28日 | Weblog
危機管理

 「最低の危機管理だ」という見出しがあった。27日の読売新聞朝刊である。原発事故調査委員会の中間報告を受けて、避難生活を余儀なくされる福島県の人々からの怒りの声が上がった。とある。

 不安を募り危機感を煽ろうというわけではないが、現在の日本はその歴史上元寇*21)以来730年ぶり*22)に大陸からの侵略が懸念される状態にある。このため防衛省は、島嶼(とうしょ)防衛部隊の増員と訓練の充実を図っているらしい。今年2011年、列島は1000年に一度言われるマグニチュード9クラスの大地震と大津波に襲われた。禍は忘れた頃にやって来る。歴史は繰り返えされる。

 海岸からの美しい大海原を見て、この海がまさか防波堤を超えて押し寄せる大津波になるとは日頃考えまい。そこに油断がある。まさか現実に他国がこの国の領土を武力で奪いに来るとは考えない。しかし、それは世界の非常識で、平和に慣れきって祖国防衛に脳死状態の日本人だけの想いなのだ*23)。事実北方四島だって竹島だって、ロシアや韓国は「やるなら来い」という武力で威圧して*24)居座っている。

 テレビの報道番組で放映された島嶼防衛部隊の訓練レポートを受けて、その席にいたコメンテーター氏が、「まるで戦争を始めるかのようだ。国家間の諸問題は、まず外交を充実することで解決を図ることが先決ではないか」の趣旨の発言を行ったのには、同席していた取材レポーター氏も複雑な表情であった。このコメンテーター氏の一見正論とも思える発言なり考え方が、戦後のこの国に蔓延した念仏的平和論ではなかろうか。こちらが仕掛けない限り戦争は起こらないと思っている節もある。

 先の大戦が、わが国の真珠湾攻撃に始まったとの印象が強烈だったことや、戦後の米国による日本軍部の暴走による開戦との喧伝が浸透した結果である。さらに戦後教育によって、祖国防衛などの国民の義務は教えられず、民主主義とは個人主義であるかのような国家不在の教育が浸透した。

 だから米国も中国も同格とした外交を展開しようなどと言う鳩山政権当時の日米中正三角形外交などと言う能天気の外交論が堂々と闊歩する。一党独裁で人権も不十分な国と、民主的な同盟国が同等であろう筈はなかろうに。

 来年は日中国交正常化40周年の節目だそうな。日中は外交努力によってその戦略的互恵関係とやらを深化させねばならないというが、かの国がさらに自国有利の要求をエスカレートさせてきた場合、どのように処するというのか。ただでさえ尖閣諸島は中国領だと世界に公言している国なのだ。一方的な強権圧力によって、わが国の国益を損なわされる事態に陥る恐れが強い。

 だからこそ、この政権下でさえ島嶼防衛部隊の増員と訓練の充実を図っているのだ。この機に及んで、真剣にわが国の核武装の必要性を説く専門家もいる。現政権によって大幅に毀損した日米同盟。米国が経済的な理由から日中を秤にかける事態でさえ一応想定しておく必要がある。事が起こってから「想定外」というみっともない言い訳はしてはならない。

 このたびの震災や原発事故、タイ国の水害などの被害が産業界に与えた影響は大きく、あらためて企業に事業継続計画(BCP)の重要性が問われている。中国の経済、軍事の大国化によって、「安全と水はタダ」という神話はすでにこの国に存在し得ない。危機管理能力こそ、政権に国家の指導者に求められる第一の役割であり資質である。一昨年の政権交代の愚がここでもこの国の風景に不安の影を大きくしている。








*21)1274年文永の役、1281年弘安の役
*22)ロシアからの脅威はあったが、朝鮮半島や満州をめぐる攻防であり、わが国への直接的な侵略にまでは及んでいないとみる。
*23)北朝鮮のミサイルや核開発、中国の軍拡、昨年の尖閣での中国漁船の海上保安庁艦艇への突撃などを受けて、日本国民の国防意識は相当に改善はされているが、なお、憲法改正や核開発の喫緊の必要性の認識には至っていない。
*24)1982年にイギリス(首相:サッチャー)とアルゼンチン(大統領:ガルチェリ)の間で、フォークランド諸島の領有権をめぐって起きた、フォークランド紛争を見るがいい。軍事力が強いほうが勝つのである。
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