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いい話を尋ねて⑩

2009年05月01日 | Weblog
国家の品位

 阿川弘之氏の著作「大人の見識」新潮新書2007年刊からの紹介になる。作家阿川弘之氏については、以前少し触れさせて貰ったことがある*8)けれど、東京大学を太平洋戦争最中の昭和17年に卒業され、直ちに海軍に入隊された経歴から海軍に関する著作が多い。海軍のすべてを肯定されているわけではないが、誰しも抱く青春時代への想いと共に、滅び去った大日本帝国海軍への郷愁は尽きないようにお見受けする。以下は「大人の見識」から*9)。

 阿川氏が好ましく感じていた海軍のその伝統に、日本の海軍がイギリス海軍に学んだことによる英国風インテリジェンスがある。その一つがユーモアで、「ユーモアを解せざるものは海軍士官の資格なし」とよく聞かされたとある。近代日本の国家機関のうち、幹部職員にユーモアの必要性を説いた唯一の組織が帝国海軍だが、ユーモアと並べて海軍の重視したものに、精神のフレキシビリティーがあったそうだ。いずれも要は、精神の豊満さ、ゆとりを求めたものでなかったか。

 『海軍士官の採用面接試験で、「ここに5匹の猿がいて六つの菓子がある。菓子に一切手をふれず5匹の猿に平等に分け与えるにはどうするか」と質問され、分からないので態度くらい潔くと、「わかりませーん」と直立不動の姿勢で答えたら、試験官が、「分からなければ教えてやるが、これをむつかしござるという」と言ってニヤリとしたという話しがある。要は、変なことを聞かれたとき、どのくらいフレキシブルに頭を回転させ得るかを問うていたのではないか。』

 ところで、「国家の品位」の話し。あの太平洋戦争をどうにか終結に持ち込むために腐心された昭和天皇のご意向を受けて、昭和20年の4月に内閣総理大臣となった鈴木貫太郎(1868-1948)は、日清、日露戦争にも従軍し、連合艦隊司令長官まで務めた元海軍大将であった。9年前の侍従長時代には、2.26事件でクーデター兵士の襲撃を受け瀕死の重傷を負っている。その鈴木内閣が成立して5日後、敵国アメリカ大統領フランクリン・ルーズベルトが急逝する。

 『その時に、鈴木首相は同盟通信を通じて「深い哀悼の意をアメリカ国民に送る」という簡単ではあるが、ルーズベルトの政治的功績を認めるステートメントを発している。それが世界各国で大きな反響を呼ぶ。

スイスの新聞『バーゼル報知』の主筆が、「敵国の元首の死に哀悼の意を捧げた、日本の首相のこの心ばえはまことに立派である。これこそ日本武士道精神の発露であろう。ヒトラーが、この偉大な指導者の死に際してすら誹謗の言葉を浴びせて恥じなかったのとは、何という大きな相違であろうか。日本の首相の礼儀正しさに深い敬意を表したい」と、社説で讃辞を発表している。

 さらにドイツを代表するノーベル文学賞作家で、当時米国に亡命中であったトーマス・マンは、BBCを通じてドイツ国民に語りかける。「これは呆れるばかりのことではありませんか。日本はアメリカと生死をかけた戦争をしているのです。あの東方の国には、騎士道精神と人間の品位に対する感覚が、死と偉大性に対する畏敬が、まだ存在するのです。これが(ドイツと)違う点です。ドイツでは12年まえに一番下のもの、人間的にも最も劣った、最低のものが上部にやってきて、国の面相を決定したのです」

 『バーゼル報知』の主筆に感銘を与え、トーマス・マンに驚きを与えた鈴木メッセージが、そのまま「国家の品位」と受けとめられ、あの東方の国にはまだ騎士道精神が存在するという解釈になりました。』


 *8)読書紀行7 志賀直哉
 *9)本稿は阿川弘之氏の著書「大人の見識」に基づくもので、『 』内はそのまま引用させていただいていますが、鈴木貫太郎首相の経歴は、一部補足させていただくなど、エッセーの構成上私見を交えて編集させていただいています。ご了承下さい。
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