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この頃気になることなど第6回

2012年06月16日 | Weblog
また逢う日まで

 6月6日皇位継承順位第6位であられた三笠宮寛仁(ともひと)親王殿下が亡くなられた。66歳の若さだった。障害者福祉やスポーツ振興に尽くされた功績は大きく、本当に大切な方を亡くされたわけであるが、1991年以降がんとの闘いを続けておられたこと*3)で、大変な晩年でもあられたわけだ。

 身近な人を亡くせば当然にその喪失感は大きいが、やはり皇室の方をはじめ各界の著名人、芸能人などテレビや映画でお馴染みだった方々の死もインパクトがある。

 一昨年から昨年にかけて、昭和一桁生まれの芸能人の方が次々と亡くなられたのは、育ち盛りに先の大戦で食糧難を経た影響もあったものかと、時代を感じたものだ。谷啓さん78歳、藤田まことさん76歳、池内淳子さん76歳、児玉清さん77歳、長門裕之さん77歳など、1932年(昭和7年)から1934年(昭和9年)のお生まれで、食糧難であった終戦時は11歳から13歳。ただでさえ腹の空く年頃だった。

 昭和を代表するスーパースターといえば石原裕次郎さんと美空ひばりさんを挙げる人は多いと思うけれど、お二人とも52歳という若さでこの世を去ったのは因縁であろうか。裕次郎さんはやはり昭和一桁、昭和9年のお生まれであった。ひばりさんは昭和12年生。同じ年の生まれに緒方拳さんがいた。拳さんは2008年に71歳で旅立たれてしまった。

 最近のスターの訃報では、「また逢う日まで」*4)の大ヒットで知られる尾崎紀世彦さんがいる。1943年(昭和18年)生まれの69歳だった。「また逢う日まで」がヒットした当時私は社会人6年目、製造現場を去る年にあたる。職場の宴会でその歌を歌った記憶がある。寛仁親王殿下も尾崎紀世彦さんも我々団塊世代(昭和22年-25年生)の身近な先輩世代に当たる。

 一時期低迷していた歌謡界も演歌も、団塊世代の懐かしの昭和演歌のリバイバルがあり、尾崎さんなどもテレビ出演の機会も増えていたそうだけれど、無念であったろうと思う。

 日本人の平均寿命は戦後の高度経済成長に支えられる形で伸び続け、男女共世界のトップクラスにある。これは昭和一桁前半以前生まれの方の貢献による。最期まで映画を撮り続けた新藤兼人監督は、今年100歳で逝かれたが、明治45年(1912年)のお生まれで、終戦時はすでに33歳であった。戦争で多くの仲間を失った世代であり、戦争体験からその愚かさを訴える映画と言われる「一枚のハガキ」*5)を製作し、それが遺作となった。

 先の大戦では、陸軍中尉としてフィリピン戦線で終戦まで戦い続けたという私の勤め先だった柔道部の大先輩は、90歳を超えてなお、毎年フィリピンに慰霊の旅に出る。戦場となった地元の小学校などで、子供たちに文具などをプレゼントする活動もしていると聞く。

 このように大先輩方がお元気な中、われわれ団塊世代はこれからどのくらい生きるのか。医術の進歩や住環境の向上などがある一方、残留農薬、食品添加物、大気汚染など、若かりし頃の複合汚染やその後の飽食を相殺しておつりがくるものかどうか。

 「いずれ自分もそちらに行くから、また会おう」とは弔辞で語り掛けられる言葉だけれど、いずれにしても人生には別れがつきものである。去りゆく人を送る時、尾崎さんの残した「また逢う日まで」と希望を残したいものである。





*3)6月7日読売新聞朝刊1面を参考にしています。
*4)1971年リリース。フィリップス・レコード。阿久悠作詞、筒美京平作曲。
*5)2011年、東京テアトル配給。原作・脚本・監督、新藤兼人。大竹しのぶ、豊川悦司主演

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