素朴な琴
八木重吉(1898-1927)という詩人がいた。僅か29年の生涯であった。『明治31年東京南多摩に生まれ、大正6年東京高等師範卒業後兵庫県で師範学校そして千葉県の柏で中学(旧制)の教諭を勤める傍ら詩作をおこなっていた』とある。『大正15年肺結核に罹り、神奈川県茅ケ崎で療養生活を送ったが、昭和2年に永眠した。内村鑑三の著作にしたしみ、熱烈なキリスト信徒として敬虔な生涯を送った』ともある。『没後、遺稿をまとめて3つの詩集が出版されている』。-榊原正彦氏編「日本の名詩」-
この明るさのなかへ
ひとつの素朴な琴をおけば
秋の美しさに耐へかねて
琴はしづかに鳴りいだすだろう
-詩集『貧しき信徒』
表題の「素朴な琴」という詩である。今私の身近に琴はないが、秋の日のすがしい空気の中に琴を置けば、ほんとうにひとりでに糸が弾けて鳴りだしそうな想いが伝わってくる。言われてみればそんな気にさせるけれど、そのように詩に表した作者の並々ならぬ感性が好きだ。
「秋」
草をふみしだいてゆくと
秋がそっとてのひらをひらいて
わたくしをてのひらへのせ
その胸のあたりへかざってくださるような気がしてくる
-『八木重吉詩集』
「虫」
虫が鳴いている
いま ないておかなければ
もう駄目だというふうに鳴いている
しぜんと
涙をさそはれる
-詩集『貧しき信徒』
この詩は、虫の鳴きごえと作者自身の詩作を重ねているように思える。作者の29年の生涯は、確かに短すぎるものであったろうけれど、「いま ないておかなければ」と思える時期は長寿の人のそれぞれにもあろう。私も自らの人生の秋の今、この拙いエッセーを綴っている。
八木重吉(1898-1927)という詩人がいた。僅か29年の生涯であった。『明治31年東京南多摩に生まれ、大正6年東京高等師範卒業後兵庫県で師範学校そして千葉県の柏で中学(旧制)の教諭を勤める傍ら詩作をおこなっていた』とある。『大正15年肺結核に罹り、神奈川県茅ケ崎で療養生活を送ったが、昭和2年に永眠した。内村鑑三の著作にしたしみ、熱烈なキリスト信徒として敬虔な生涯を送った』ともある。『没後、遺稿をまとめて3つの詩集が出版されている』。-榊原正彦氏編「日本の名詩」-
この明るさのなかへ
ひとつの素朴な琴をおけば
秋の美しさに耐へかねて
琴はしづかに鳴りいだすだろう
-詩集『貧しき信徒』
表題の「素朴な琴」という詩である。今私の身近に琴はないが、秋の日のすがしい空気の中に琴を置けば、ほんとうにひとりでに糸が弾けて鳴りだしそうな想いが伝わってくる。言われてみればそんな気にさせるけれど、そのように詩に表した作者の並々ならぬ感性が好きだ。
「秋」
草をふみしだいてゆくと
秋がそっとてのひらをひらいて
わたくしをてのひらへのせ
その胸のあたりへかざってくださるような気がしてくる
-『八木重吉詩集』
「虫」
虫が鳴いている
いま ないておかなければ
もう駄目だというふうに鳴いている
しぜんと
涙をさそはれる
-詩集『貧しき信徒』
この詩は、虫の鳴きごえと作者自身の詩作を重ねているように思える。作者の29年の生涯は、確かに短すぎるものであったろうけれど、「いま ないておかなければ」と思える時期は長寿の人のそれぞれにもあろう。私も自らの人生の秋の今、この拙いエッセーを綴っている。