新聞社

「新聞社」(河内孝 新潮社 2007)

新潮新書の一冊。
副題は、「破綻したビジネスモデル」。

著者は、毎日新聞社の要職を歴任したひと。
常務取締役のとき、販売の改革に着手したものの挫折し、退任したと、これはあとがきから。
本書は、この著者による、新聞業界の現状と改革案を示したもの。

新聞は危機的状況にあるという。
人口減、メディアの多様化による新聞ばなれ、バブル崩壊後の広告収入減。

さらに消費税アップの恐怖。
この本は、さすがに現場にいたひとが書いただけあって、数字が細かいのだけれど、仮に消費税が8%になると、その追加負担で、各社は利益の大半が吹っ飛ぶか、赤字に陥るのだそう。

それから再販制度の見直し。
05年、公正取引委員会は新聞についての特殊指定を見直す方針を打ち出した。
これに新聞協会は猛反発。
各政党が新聞社側を支持したことから、見直しは「当面見送り」に。

ここで著者は切実な指摘をしている。
戦前の新聞は、国家による新聞用紙の配給割り当てという「生殺与奪の権」により言論を封殺された。
そればかりでなく、東京、大阪、福岡をのぞく各県で「1県1紙」政策が強行され、1936年に1000社以上あった全国の新聞社が、43年には55社に統合されてしまった。

「公正取引委員会の行政権行使が新聞産業の命運にかかわるなら、生殺与奪の権を握られている点で、戦前と同じです」。

加えて、著者は、「ごく一部の業種以外は認められていない特権を享受する以上、経営内容など、読者と国民に透明性の高い情報開示を行うことも必要」とも。

この、「透明性の高い情報開示」がむつかしい。
新聞は、実売部数すらわかっていないのが実態だという。
新聞の売れ残りである「残紙」は、少なく見積もっても、全国の日刊紙で平均10%。

で、発行部数と実売部数のあいだに乖離があると、なにが問題なのか。
直接の被害者は、新聞広告、折込広告をだしている広告主。
単純にいえば、10%の損。

「もし新聞社が自ら残紙の存在、その数量を認めたら、広告主、代理店から料金の値下げはもとより、何年か過去にさかのぼって損害賠償請求を受ける可能性が大きいのです」

これは、最近流行りのことばでいう、偽装というやつじゃないだろうか。

残紙がでるのは、本社と販売店の関係から。
注文数を増やせば、みかけの部数が増え、折込収入や本社からの補助金が増えるけれど、このあとに読者が増えないとこの連鎖は破綻する。
そのため、暴力的な拡販がおこなわれたりすることに。

「戦後60年間、日本の新聞業界は自分の手で販売を正常化することはできませんでした」

それから、新聞主導によるテレビ事業の独占についても一章さいている。
これも興味深いけれど、経緯が細かすぎて、論旨が明快でなくなってしまったように思う。
要は、新聞とテレビ局の資本が一致したことで、相互批判による健全な発展がなくなってしまった。

さて、新聞再生への著者の提案。
ひとつは、読売、朝日の2大師に対抗できる第3極をつくるということ。
三つ巴状態をつくることで、過当競争体質を改善する。
また、2極化による言論独占社会をふせぐ。
ここで著者は、「第3極への道」として、毎日、産経、中日新聞の業務提携という案を述べている。

つぎは、「紙以降」に備えた改革。
インターネットでの収益も、要はアクセス数による広告収入。
となると、新聞社がポータルサイトを目指すのは不可能。
金融取引やオークションやギャンブルが御法度の新聞社は、ヤフーにはなれない。

そこで著者は、専門に特化したかたちを提案。
実用化されるであろうEペーパーをポータルサイトとして見立て、専門性の高い記事を提供する。

「将来、毎日新聞という企業形態が残るとすれば、300~1000種類のニュース・コンテンツを提供するEペーパーのサーバー管理会社になっているのではないでしょうか」

ところで、この本が発行されたのは、2007年3月。
現在、すでに状況が変わっている。
本書では、朝日と読売による業界2極化を憂いているのだけれど、昨年10月、朝日と読売、それに日経は、ネットでの共同事業をおこなうと発表。
さらに、山間僻地での販売配達の提携もするという。

なんだか、著者の提案を相手方が実行しているよう。
わが家はずっと毎日新聞をとっていて、愛着があるので、生き残ってほしいものだ。

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