お金もうけは悪いこと?

「お金もうけは悪いこと?」(アンドリュー・クレメンツ 講談社 2007)

訳は田中奈津子。
装画、山本直孝。
装丁、高橋雅之。

いつのまにか、アンドリュー・クレメンツの本をぜんぶ読んでいた。
アンドリュー・クレメンツは、おもに児童書で活躍している作家。
作品に社会性を盛りこむのが抜群にうまい。

総括してしまうと、主人公がなにかしようとしたさいにあらわれる障害や、そのクリアのしかたが、ていねいに書かれているのが、クレメンツ作品の魅力だ。

たとえば、「ナタリーはひみつの作家」(講談社 2003)。
主人公ナタリーが書いた小説を出版するまでの物語。

まず、出版社にかけあうにはエージェントが必要。
これは、親友で口の達者なゾーイが担当してくれる。

ゾーイの案で、原稿用紙や封筒、便箋を印刷会社に発注。
先生を計画に巻きこみ、簡易オフィススペースを借りる。
うまく出版契約へ。

じつはナタリーの担当編集者というのは、ナタリーのお母さん。
ナタリーは本名をふせて、原稿をお母さんに送ったのだ。
そして、ここがうまいなあと感心したのだけれど、出版契約をしたからといって、すぐ本が出版されるわけではない。
原稿は膨大な付箋をつけられてナタリーのもとに返ってくる。
付箋は、書き直したほうがいいと思われる部分。

ナタリーはうんざりするが、「それはあなたの仕事よ」と、ゾーイにいわれ、頑張って書き直す。
その過程で、ナタリーとお母さんの関係は深みをましていく。
ぐっとくるプロットだ。

前置きが長くなってしまった。
「お金もうけは悪いこと」の話。

タイトルどおり、今回のテーマはお金もうけ。
主人公は、ニック・ケントン。
小さいころから、マニアックなまでにお金が大好き。
25セント硬貨をもてあそびながら、「この感触が好きなんだよなあ」、なんて思う小学6年生だ。

ある日ニックは、学校が豊かな市場であることに気づく。
マニアックなだけでなく、商才にも長けたニックは、さっそく校内で生徒相手にキャラメルとガムを売りはじめる。
よく売れたが、お菓子は校則違反なので危険。

そこでおもちゃに鞍替え。
インターネットで安く仕入れ、売りさばく。
でも、案の定というか、ダベンポート校長先生から、校内でのおもちゃの販売は禁止とお目玉をくらってしまう。

しかし、不屈のニックはあきらめない。
つぎのアイデアは、自分で続きもののマンガを描き、印刷して売るというもの。
なかなか快調な売れゆきだったが、ほどなく類似品があらわれる。
5歳のころからの宿命のライバル、モーラのしわざ。
ニックは、モーラに食ってかかるが…。

このモーラがでてきたあたりから、物語はぐんと面白味を増す。

クレメンツ作品にはいつも、子どもたちをサポートしつつ、自分たちも変化する大人の姿がえがかれていて、それがまた読んでいて気持ちがよいのだけれど、今回その役目は、算数のゼノ先生。
ユーモラスに書かれているゼノ先生は、マンガの是非をめぐる教育委員会の定例会でこんな発言をする。

「グレッグとモーラが今夜出席できたのはよかった。学校のことがどれほど真剣に考えられているかわかったでしょう」

さらにこんなことも。

「(子どもたちには)今回のことは、自分たち校長先生という図式ではないとわかってほしい」

社会性というのは、意趣返しをすることではない。
そのことも、クレメンツ作品は忘れずに書いている。

以下は余談。
ニックが通うアッシュワース小学校は、4、5、6年生の3学年からなる小学校だそう。
そういう小学校があるのか。

また、国語では、「穴」(ルイス・サッカー 講談社 1999)の原作と映画、どちらがいいかという議論をする授業がおこなわれていた。
ニックは校長室によびだされてしまうので、この場面の描写はないのだけれど、なんとも興味深い授業だ。

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