先に生まれた・・

2017-12-17 16:47:26 | 見る
ドラマ『先に生まれただけの僕』
終わりましたね。

まあまあの出来でしたでしょうか。

カタくなりがちな話を軽めに進めて
ドラマづくりとしてはプロの技ですね。

教師とは
学校とは
生徒が成長すること
若者の生き方
など上手く描かれていました。

ただ私にはもう少し深い内容が欲しかった。
常識的な「あるべき教師像」の提示に過ぎなかった
ようにも思われるからです。

校長先生を主人公にするというところから
そうなるのはミエミエでもありましたけれど。

最前線である「学生・生徒と教師」に焦点がもっと当たって
いれば、というのは欲張りでしょうか。

特に最終回は甘すぎました。
ま、連続ドラマってのはこうなりがちですけれどね。



更新不安

2017-12-15 20:04:28 | 塾あれこれ
このブログもすでに10年以上続けています。
もうひとつの「元井上教室」は最近です。
特に現在、川柳・俳句・短歌ばかりになったのは
今年の夏あたりからです。
いつまで続くでしょうか。

毎日のように「明日は更新できるか。
何も浮かばなかったらどうしょう・・」
という気持ちになります。

もちろん、ふっと過るだけですけれどね。
かかずりあってたらシンドイばかりです。

毎日の更新、だけに私のブログの価値がある
のかもしれません。
日々の移ろいを映せればよいのですが。

それも私ごときには難しいようです。
じゃ、価値などなくて構わない、ですよね。

気楽にいきたいものです。


現在「井上教室」の訪問者=IPが一日平均で
100人くらいでしょうか。

「元」のほうは60人
地味な割には多いとも思います。

とはいえ、早くコンスタントに百を超えたいな。
かなり高いハードルですけれど

大事故になる前に

2017-12-13 19:57:49 | 塾あれこれ
事故というものは、残念ながらなくなりません。
少なくとも一定の確率では起きうることです。

だからこそ、事故防止の精神と実行力が問われるのです。
起きるから仕方がない、は無責任にすぎます。


沖縄では米軍が飛行中に部品を落下させています。

明白な証拠を突きつけられない限り事実も認定しない。
何てゴーマンなこと。

沖縄県民を軽視しているのでしょう。
いや軽視なんて生ぬるいものではないようです。
軍全体にDVの感覚?

菅官房長官は「沖縄県民に思いをいたす」ようですが
私には物足りません。
日本国民の問題ではありませんか。
他人事ではないのです。

日本は米軍の手下でしょうか?
同盟国でしょうか?

そこをはっきりさせないとこれからも事故は続き
より大きな惨事に繋がるかもしれません。



2017-12-13 10:17:18 | 本の話
十年ほど前ですが大量に本を棄てました。(2000冊ほど)

母と同居していた家に置いてあったものです。
母の死後、片付ける必要がおき、今の我が家には
収納場所などありませんから処分するしか無かったのです。


さすがに若干の本は棄てるに忍び難く
無理をして持って来ました。

いくつかの全集と文庫本です。
本の状態も悪くカネメのものはありません。

あの世に行ったらカミサンが処分してくれるでしょう。
(私はこの性格ですからダンシャリできません)


どんな物を持ってきたかといいますと、たとえば

山川菊枝 『武家の女性』
長谷川時雨『旧聞日本橋』
圓仁   『入唐求法巡礼行記』
荻生徂徠 『政談』
大町文衛 『日本昆虫記』
今西錦司 『進化とはなにか』
シルヴァーバーグ『地上から消えた動物』
クライフ 『微生物の狩人』
宮本常一 『忘れられた日本人』
三浦つとむ『日本語はどういう言語か』
橋本進吉 『古代日本語の音韻に就いて』
佐和隆研 『仏教美術入門』
牧野富太郎『植物知識』
安藤鶴夫 『三木助歳時記』
西江雅之 『花のある遠景』
などなど。

どうしても(重目)になります。

少なくとも一貫性はありませんね。


これらの本はイメージなりとも残っていますから
まだマシかもしれません。

内容をまったく思い出せない本も沢山あります。
近年読んだはずの本でも。

読み返してみなければならないかと思っています。

もう新刊など買う必要はなさそうです。

むかし、中学で

2017-12-12 09:37:25 | 塾あれこれ
公立中学で坊主頭になるのが嫌で
私立に進みました。
親不孝なバカ息子です。

ただ私には「合っていた」みたいで
今でも思い出すことが多いのです。

中2の時だったか、とある先生から
「自分の言葉に置き換えて取り入れろ」と言われました。

自分の言葉、というのが新鮮でしたね。

何かを取り入れて頭の引き出しに仕舞う時
自分の言葉に置き換えてあるように!
人さまの言葉では扱いがママなりません。


そこから進むと自分の頭で物ごとを考え発信する
という処へ繋がるのでしょう。

ただ私にはそれが出来てこなかった・・・sigh


自分の言葉、といっても不自由です。

それが貧しくて取り入れられないことも多かったようで
例えばアインシュタインの相対性理論。

異なる時空では時間の流れが違う、というのが
どうしても「腑におちない」のです。

理屈として追っかけられても結論のイメージが
呑みこめないのです。
(ほんとに追っかけられてるのかどうか・・)

最近、少しだけ「こうなのか」というのはありますが
自信がありません。
文系ニンゲンの弱い処ですね。


理解の度合いに段階がついても良いのでした。

一色に自分の世界、というのじゃ難しいことだらけです。

或る程度まで納得できる、ここからは他人の言葉だけれど
取敢えず仕舞っておこう、というのがあっても良いので
そこにいくつものレベルがあって構わないのです。

「これは嫌いだけど」を仕舞う引き出しがあっても。


棺桶に足突っ込んでからじゃ気づいても遅いけれど

時間

2017-12-10 15:49:04 | 塾あれこれ
このブログを始めてもう十年以上たちます。
最初は気を入れていました。

文章も比較的長くかつ仕事に関することばかり
書くにも時間が掛かっていました。

しばしば下書もしていましたから。

それが次第に変わり、内容は身近な日記に、
文章量も少なくなってきましたね。

今はただのボケ防止(のつもり)
それにしては短かすぎますか。


書く時間も勿論短い。

長い時間をかける内容がありませんから。

とはいえ内容によっては時間を要することも
あります。
筆が重いというのでしょうか。

仕事に関することなどの場合が多いようです。


そういうのに限って読んで下さる方が少ない、
勝手なことを小難しく書いているのですから
面白くも何もないですから。

時には「一生懸命書いたのに」などと思う事もあります。
場違いな感想ですよね。


時間が掛かったものは勢いも悪いのでしょうか。

短い文なのですから、ささっといかないと。

(この文もさっと終わります)

大村はま

2017-12-09 10:24:24 | 塾あれこれ
大村はまさんの名著『教えるということ』は
ずいぶん以前にも触れた記憶があります。

塾の仕事を辞めて何年にもなりますが、時折
思いだすのは何故なのでしょうか。

「結局何も出来なかったじゃないか」という声が
聞こえてきます。

大村先生の一番の趣旨は
「相手に気づかれないように支えてあげなさい」
ということだと思います。

坂道で荷を引く人を後ろからそっとサポートする
・・印象的な比喩が語られました。


それでは塾のショーバイに結びつかないと思いますし
自分の仕事の効果も確認できません。

しかし、それでも「気づかれない」こと。

自分が前に出るとイヤラシイのです。

(こんなことを書くこと自体がイヤラシイ)


一部の学校の先生にご立派すぎて嫌になるタイプの方が
おられます。

ほんとに全身ご立派なの?といいたくなるくらい。

「気づかれない教育」とは遠いところにおられるようです。
自分を消さなければいけないのですから。


難しそうな言い方をしましたが、そうではありません。

こちらは力がなくても、ときおりそっと支えられればよい
声掛けも無用です。

「大丈夫?」「頑張ろう!」などなど、嫌ですねえ。

経済報道

2017-12-08 19:45:35 | 塾あれこれ
TVの報道にも特徴があります。

政治や事故・事件は当然として
スポーツや芸能関係が目立ちますね。

少ないと思われるのが外国のニュースや
経済に関するものです。
もちろん、一定の報道はありますけれども。

視聴者のニーズも左右するのでしょうが
それを盛り上げるのもまた「報道」です。


ミツビシは、東レは、こんなだといけないだろ。
・・と、日本の会社の近い将来が危ぶまれることを
きちんと、強く、報道してほしいのです。

そこがチェックしないと、現在のようなダラリとした
会社文化が変わらないのです。

品質のよいものをきちんと届ける、
嘘はつかない、
人間を大切に考える、
・・など等

当然のことを行わないといけません。

このままだと世界からの信用がなくなってしまいますから。


日本の社会は「内部告発」を嫌います。

マスメディアの役割が大きくなるのです。

どこも同じか

2017-12-07 09:57:47 | やる気
TVの報道番組です。

中国人が登場。
これまた傍若無人に勝手をしていました。
朝鮮に限らずどこの国も同じなのでしょうか。

江戸川の河口に自生をする牡蠣は日本人は食べない
そうです。食べられたものではないらしい。

ところがそれを中国人が獲ってゆくのだそうで。
その際、河原で牡蠣を打って中身を取り出し
牡蠣殻は辺りに放ってしまうのだそうです。
辺りは殻の山になっていました。

これも日本の税金で片付けなければなりません。


そんなケシカラヌ中国人のあり様をTVカメラが追い
記者が声を掛けています。

すると、・・そうなんです、お家芸の「無視」
せいぜいが聞こえないふり、分からないふり、です。

自分たちさえよければよい。
捕まえられなければ何でもやってのけるのです。

そこにあるのはごくごく貧しい性根と
日本人などを馬鹿にしている心情。
キュウーキョクの自己中ですね。

これが中国「文化」なのです。

もちろん一部の中国人の話なのでしょうが
結構目立ちますね。


先日、岡山の市電の中でのことです。

私たちが乗車したのに電車が動きません。

すると中国人らしき客がノッタリ乗りこんできました。

ワンマン電車の運転手は後ろを振り向き
「乗ったら早く座れ」と身振りも交え大声を出しました。

日本人なら「はい、すみません」でしょ。
迷惑をかけてるのですから。

ところが、・・そうです、
お得意の「無視。」

日本語が分からない、という振りでしょうか。

万国共通じゃバカヤロ。

よほど感性が鈍いか、尊大なのか。


付き合わないですむならそれにこしたことはない民族ですね。

自分自身で

2017-12-06 14:52:34 | 塾あれこれ
私も若いころはアサハカでした。
今もか?

他人をランク付けしていたのです。
会社勤めをしていましたから人付合いも多かった。

「この人はすごい」
人間的にも仕事の能力も、なんて方もおられます。
信じられないけれど。

大きな組織でも評価されたり、独歩されていたりしました。

そんな方、数は少ない。


反対に「こいつは・・」
これは多いですね。

一見ご立派でもアチャ~!はおられました。

私が生意気に申し上げるのもナンデスが。

中でも私が嫌いだったのが自分の意見がない人です。

本人は立派な事を仰っているつもりらしいのですが
新聞やTVのまんま、100%

当人はまったく気づいていないのでしょう。
一般人とは違う意見でも実は新聞や週刊誌の通り。

その無神経さを軽蔑していました。


けれど、私もこの年になってみると大同小異だったように
思えてきました。

「自分の頭で考え自分の言葉で表現する」ことができて
いたかどうか、甚だ怪しい。

情報源の多くがマスメディアからですしね。


それでも今も「このおっさん・・」があります。

滔々と喋るな、っちゅーの。

本音を隠しているのかもしれません。
それも許容範囲は一定程度までですよね。


最近知り合いになったNさん。
ご高齢です。

我ら凡人と似たところも多くありますが
時折きらりと光ることを仰います。

自分の言葉を持ってるナ、と羨ましいのです。