大学生位になってもただ黒いだけの茶碗がどーした
と思っていました。
最近、少しだけ分かるような気分になっています。
クロのよさ!
といってもウーロン茶じゃありません(笑えよ・・)
楽焼。
千利休から始まって現代にまで通じる茶碗です。
しかも四百年たつ今でも黒楽が焼かれているスゴサ。
織部なども現代風にして作られていますが、連綿と
黒の芸術が続いているのは尋常ではありません。
その窯の楽家は当然ながら世襲です。
またもやTVからの情報ですが・・
楽家、世襲はするものの親から子へ何も教えない
のだそうです。
黒の釉薬の製法すら伝えない、というスゴサです。
『花伝書』のごときものもないのでしょうね。
免許皆伝の虎の巻なんか恥ずかしくて逃げ出し
そうです。
伝統の大きなプレッシャーがかかることは承知の
上で「教えない」
自分も苦労したのに「教えない」
「教えない」伝え方に長所があると体得できて
いるから、教えないのでしょう。
自分の苦労を子供にさせるというのは現代人の
想像を超えた「辛口」ですね。
◎
すべからく昔の教育はそうであったと思われます。
明治時代、西洋から近代教育が導入され、それ以来
民間でも日本風の教育が薄らいできたようです。
その中心にあることが「教えない」
学校教育ではできないことです。
広い意味での経済性や効率、を考えると採用できませ
ん。公平性の維持も難しいことでしょう。
また上記のように世襲の事であれば十分な時間が取れ
教える側の技量はすぐれ、長い間に教育のツボも作り
あげられてきていると思います。
何もない処から急に「教えない」をしようとしても
たやすいことではありません。
ただ、信頼を醸成すればできない事ではありません。
「面倒見の良さ」の対極にある「教えない」
受身人間を作らないのはどちらでしょうか?
(左のカテゴリーの、教えない、を参照下さい
ただ、先ほど見るとまとまっていないですね。
将来手直しをしなくてはいけません。)