クロ!

2007-05-15 11:00:35 | 塾あれこれ

大学生位になってもただ黒いだけの茶碗がどーした
と思っていました。
最近、少しだけ分かるような気分になっています。

クロのよさ!

といってもウーロン茶じゃありません(笑えよ・・)

楽焼。
千利休から始まって現代にまで通じる茶碗です。

しかも四百年たつ今でも黒楽が焼かれているスゴサ。
織部なども現代風にして作られていますが、連綿と
黒の芸術が続いているのは尋常ではありません。

その窯の楽家は当然ながら世襲です。

またもやTVからの情報ですが・・
楽家、世襲はするものの親から子へ何も教えない
のだそうです。
黒の釉薬の製法すら伝えない、というスゴサです。

『花伝書』のごときものもないのでしょうね。
免許皆伝の虎の巻なんか恥ずかしくて逃げ出し
そうです。

伝統の大きなプレッシャーがかかることは承知の
上で「教えない」
自分も苦労したのに「教えない」

「教えない」伝え方に長所があると体得できて
いるから、教えないのでしょう。

自分の苦労を子供にさせるというのは現代人の
想像を超えた「辛口」ですね。


すべからく昔の教育はそうであったと思われます。

明治時代、西洋から近代教育が導入され、それ以来
民間でも日本風の教育が薄らいできたようです。

その中心にあることが「教えない」

学校教育ではできないことです。
広い意味での経済性や効率、を考えると採用できませ
ん。公平性の維持も難しいことでしょう。

また上記のように世襲の事であれば十分な時間が取れ
教える側の技量はすぐれ、長い間に教育のツボも作り
あげられてきていると思います。

何もない処から急に「教えない」をしようとしても
たやすいことではありません。
ただ、信頼を醸成すればできない事ではありません。

「面倒見の良さ」の対極にある「教えない」
受身人間を作らないのはどちらでしょうか?

(左のカテゴリーの、教えない、を参照下さい
 ただ、先ほど見るとまとまっていないですね。
 将来手直しをしなくてはいけません。)