クトゥルグ・ティムールのミナレットは、元々は11世紀に建設され、13世紀初頭にモンゴル軍によって破壊されましたが、その後14世紀にホラズム総督のクトゥルグ・ティムールによって現在のミナレットが建てられました。
当時は67m(あるいは69m)の高さを誇っており、現在は先端が崩れて62mになっていますが、中央アジア最長のミナレットになっています。先端部が少し傾いてしまっています。
上部のバルコニーは当時は金属製で、20~40km離れた所からも見え、砂漠を行くシルクロードの旅人に街の位置を教えました。建設当時には大きなモスクが付属していたと考えられます。
塔の入り口は少し高い場所にあります。
ミナレットの下には、生活に必要な物を象徴するのかパン焼き竈。
それと井戸が設けられていました。
続けてスルタン・テケッシュ廟。
ホラズム・シャー朝の第六代目のテケッシュ(1172~1200)の霊廟です。君主の称号に初めてスルタンを称したので、スルタン・テケッシュと呼ばれます。ホラズム・シャー朝の第4代君主のイル・アルスランの息子で、イル・アルスランの死後に弟との勢力争いが生じました。
タイル張りの三角屋根が印象的ですが、修理の櫓が組まれているのが残念です。
振り返り見たクトゥルグ・ティムールのミナレット。人と比べると、その高さが判ります。
聖人アロー・ピーク廟。アロー・ピークは、4mもの大男だったと伝えられており、内部には巨大な棺が置かれていました。
聖人アロー・ピークの奥にはクルクムッラーの丘が広がっていました。紀元前5世紀のアケメネス朝の城壁や、モンゴル軍襲撃時のものと考えられる沢山の人骨が発見されています。
丘の上から15mほど上手に転がり落ちると子宝に恵まれる(失敗したら翌週再チャレンジ)という土着信仰が残されていますが、現在は立ち入り禁止になっています。
この展望スポットからは、スルタン・テケッシュ廟、クトゥルグ・ティムールのミナレット、チュラベク・ハニム廟が並んで見えます。
イル・アルスラン廟。ホラズム・シャー朝の第四代目の君主イル・アルスラン(1156~1172年)の廟。またはサラハスディーンという哲学者の廟という説もあります。
屋根は、美しいタイルで飾られています。
さらに遊歩道を歩いていくと、マムーン・ミナレットの基礎部分が現れました。1011年に造られましたが、1895年の地震で倒壊しました。このミナレットも高さ67~69mほどあったようです。
レンガが散乱している区画がありましたが、建物が並んでいたようです。
キャラバンサライ(隊商宿)という説がある不明な建物。街の真ん中に位置しているため、反対意見もあります。当初はモスクとして使われ、後の16~17世紀にキャラバンサライになったという説もあります。
素性は不明ですが、印象的な建物です。
ずいぶんと遠くまで歩いてきてしまいました。戻るのは大変だなと思ったら、バスがキャラバンサライの近くまで回送されてきていました。
バスに戻り、トルクメニスタンの入国が順調に進んで時間に余裕ができたため、行程表には含まれていないクニャ・ウルゲンチの世界遺産に含まれるナジュムッディーン・クブラー廟の見学に向かいました。
当時は67m(あるいは69m)の高さを誇っており、現在は先端が崩れて62mになっていますが、中央アジア最長のミナレットになっています。先端部が少し傾いてしまっています。
上部のバルコニーは当時は金属製で、20~40km離れた所からも見え、砂漠を行くシルクロードの旅人に街の位置を教えました。建設当時には大きなモスクが付属していたと考えられます。
塔の入り口は少し高い場所にあります。
ミナレットの下には、生活に必要な物を象徴するのかパン焼き竈。
それと井戸が設けられていました。
続けてスルタン・テケッシュ廟。
ホラズム・シャー朝の第六代目のテケッシュ(1172~1200)の霊廟です。君主の称号に初めてスルタンを称したので、スルタン・テケッシュと呼ばれます。ホラズム・シャー朝の第4代君主のイル・アルスランの息子で、イル・アルスランの死後に弟との勢力争いが生じました。
タイル張りの三角屋根が印象的ですが、修理の櫓が組まれているのが残念です。
振り返り見たクトゥルグ・ティムールのミナレット。人と比べると、その高さが判ります。
聖人アロー・ピーク廟。アロー・ピークは、4mもの大男だったと伝えられており、内部には巨大な棺が置かれていました。
聖人アロー・ピークの奥にはクルクムッラーの丘が広がっていました。紀元前5世紀のアケメネス朝の城壁や、モンゴル軍襲撃時のものと考えられる沢山の人骨が発見されています。
丘の上から15mほど上手に転がり落ちると子宝に恵まれる(失敗したら翌週再チャレンジ)という土着信仰が残されていますが、現在は立ち入り禁止になっています。
この展望スポットからは、スルタン・テケッシュ廟、クトゥルグ・ティムールのミナレット、チュラベク・ハニム廟が並んで見えます。
イル・アルスラン廟。ホラズム・シャー朝の第四代目の君主イル・アルスラン(1156~1172年)の廟。またはサラハスディーンという哲学者の廟という説もあります。
屋根は、美しいタイルで飾られています。
さらに遊歩道を歩いていくと、マムーン・ミナレットの基礎部分が現れました。1011年に造られましたが、1895年の地震で倒壊しました。このミナレットも高さ67~69mほどあったようです。
レンガが散乱している区画がありましたが、建物が並んでいたようです。
キャラバンサライ(隊商宿)という説がある不明な建物。街の真ん中に位置しているため、反対意見もあります。当初はモスクとして使われ、後の16~17世紀にキャラバンサライになったという説もあります。
素性は不明ですが、印象的な建物です。
ずいぶんと遠くまで歩いてきてしまいました。戻るのは大変だなと思ったら、バスがキャラバンサライの近くまで回送されてきていました。
バスに戻り、トルクメニスタンの入国が順調に進んで時間に余裕ができたため、行程表には含まれていないクニャ・ウルゲンチの世界遺産に含まれるナジュムッディーン・クブラー廟の見学に向かいました。