さすらい人の独り言

山登り、日々の独り言。
「新潟からの山旅」別館
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さすらいの風景 ボルト その1

2021年12月05日 | 海外旅行
コインブラからバスで1時間半ほどでボルトにやってきました。ドウロ川の北岸沿いに進んで行くとドン・ルイス1世橋が見えてきました。この橋が架かる両岸がボルトの街の観光における中心になります。ボルトは起伏の大きな街で、商工業の中心地として栄えてきました。

ドウロ川の南岸はローマ時代には、カーレと呼ばれる州で港(Porutus)の役割を持っていたことから、ポルトゥス・カーレと呼ばれており、これがポルトガルの語源になっています。

ローマ帝国の衰退後は、西ゴートの時代を経て8世紀には、支配権はイスラム教徒に移ります。11世紀にフランス貴族がイスラム教徒から国土を取り戻しました。その功績からドウロ川とその北のミーニョ川に挟まれた地域を与えられ、その地名からポルトカリア伯爵と呼ばれました。

ポルトガルの国土は、ポルトカリア伯爵の息子のアフォンソ・エンリケスによって拡大し、ほぼ現在の大きさになり、初代ポルトガル国王になりました。ボルトはポルトガル発祥の地ということになります。

1415年にはエンリケ航海王子の指揮のもと、ボルトを出港した船団が北アフリカのセウタを攻略し、大航海時代の先陣を切ることになりました。



南岸の丘の上に見えているのは1537年に造られてセーラ・ド・ピラール修道院。



ドン・ルイス1世橋は上下に二段に分かれています。



下段は車と人用で、上段は地下鉄と人用。なにか逆のような気がしてしまいますが。



川岸の駐車場でバスを降りて、まずは昼食をとることになりました。



昼食後に周辺を散策しました。丘の斜面には家が建ち並んでいます。



ドウロ川沿いには、レトロな感じの市電が走っていました。カフェの席ぎりぎりを通っており、椅子の置き場所によっては電車にひかれそうです。



サン・フランシスコ教会。14世紀に造られた修道院附属の教会で、当初はゴシック様式であったものが、17世紀にバロック様式に改築されました。教会の内部はターリャ・ドゥラーダ(金泥細工)と呼ばれる金箔を貼った装飾が施されています。残念ながら入館は無しでした。



18世紀に造られたサンニコラウス教会。



エンリケ航海王子公園に出ました。前方に見える二本の塔はカテドラルのものです。



公園に隣接してボルサ宮があります。



公園の左手に見えているのはボルサ宮です。ボルサとは証券取引のことで、火災によって焼失したサン・フランシスコ修道院の跡地に1848年に商工組合の建物として造られ、最近まで証券取引所として使われてきました。今ではレセプション会場として使われており、内部には豪華絢爛な「黄金の間」、石膏の壁に木目そっくりの模様を再現した部屋、アルハンブラ宮殿を模した「アラブの間」があるといいます。



広場にはエンリケ航海王子の像が置かれています。



ここでの観光はここまでで、引き返しました。



丘の上には、テドラルの塔がみえています。



バスに戻り、南岸のヴィラ・ノヴァ・・デ・ガイア地区へ移動しました。
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