旅行5日目、ウィーンを離れて、チェスキー・クルムロフに向かいました。
朝の気温は低く、霧が立ち込めていました。チェスキー・クルムロフに向う途中、車窓から巨大なメルクの修道院が見えました。18世紀に改築されて、オーストリア・バロック建築の至宝とも言われています。1770年にマリー・アントワネットがフランスのルイ16世のもとに途中、この修道院で1泊しています。
緩やかに起伏する丘陵地帯を進んで . . . 本文を読む
雨も上がって夕焼け空が広がりました。国立歌劇場前から再びスタートです。
ケルトナー通りにも、雨が止んだため再び人が戻ってきました。
シュテファン教会の手前でグラーベンに進むと、ペスト記念碑が置かれています。ヨーロッパ中に蔓延したペストは、1679年にウィーンを襲い、10万人の死者を出しました。そのペストの終焉を祝って、レオポルト1世が建てたものです。
グラーベンからコールマルクト . . . 本文を読む
美術史博物館を出たあと、他の美術館は時間切れで諦めることになりましたが、是非とも見たいものが残っており、王宮脇に広がるフォルクス庭園に向かいました。
フォルクス庭園の北端にエリーザベト皇妃の記念碑があります。
宮殿から少し離れたところに置かれているのも、エリーザベト皇妃らしいですね。
ウィーンでは、エリーザベト皇妃にまつわるお土産品であふれていました。
これは、エリーザベト皇妃 . . . 本文を読む
美術史博物館には、ところ狭しと絵画が並べられています。閉館時間も迫っていたため、足早にひと回りしました。
クラナッハ作「アダムとイブ」
これもクラナッハ作の絵
クラナハの描く人の顔は描いた画家の個性が強いものですが、引き付けられます。
ルーベンスの絵も、ひと部屋が与えられ、大作がそろっています。
ルーベンス作「幼子キリストとヨハネ、二人の天使」
ルーベンス作「毛皮を . . . 本文を読む
王宮のリンクを挟んだ向かいは、マリア・テレジア広場と呼ばれ、マリア・テレジアの像が置かれています。
広場の奥に見えるのは、かつて王宮の厩舎であった建物で、現在はミュージアム・クオーターと呼ばれる美術館の複合施設になっています。現代美術やクリムトやココシュカといったウィーン世紀末を代表する絵画が収められているので入館したかったのですが、ここも時間切れになりました。
広場を挟んで、似た建物が向 . . . 本文を読む
シシィ博物館の見学を終えてから王宮宝物館を見学しました。シシィ博物館や美術史博物館に入場するコンビチケットでは、ここも見学できます。
王宮宝物館は、スイス門をくぐった先にあります。
宝物館内は、ストロボや三脚を用いなければ、カメラの撮影は自由でした。照明は暗めでしたが、手持ち撮影に問題はありませんでした。
入場してまず目にとまるのは、オーストリア帝国の王冠・王笏・宝珠
幾つもの皇帝 . . . 本文を読む
王宮の中も撮影禁止のため、ガイドブックからの写真になります。
謁見のための控室
フランツ・ヨーゼフ皇帝は、毎週二回謁見を行いました。民間人も許可され、男性は燕尾服、軍人は制服、女性はドレスに帽子着用が求められましたが、それを準備できない人のため、各地の民族衣装も認められました。国民のあらゆる地方の各階層の人々が集まったといいます。
謁見の間
皇帝は立ったまま謁見を受け、1日100人以上 . . . 本文を読む
ミヒャエル宮ドーム下にシシィ博物館の入り口があります。
生涯変わらなかったウェストサイズ50センチのシシィのシルエットが飾られています。
シシィ博物館に入場すると、王宮銀器・食器調度コレクション、シシィに関する展示物、王宮各部屋の見学といった流れになります。
王宮銀器・食器調度コレクションは、膨大な数が展示されており、これをざっと眺めるだけでも1時間ほどかかってしまうようです。今回は . . . 本文を読む
午後は自由時間となりましたが、時間も限られており、どこを見学するか選ぶ必要があります。20年ほど前にウィーンを訪れた時に見ていない、シシィゆかりの教会や博物館を見ていくことにしました。
まずは、国立歌劇場からスタートします。
ケルントナー通りから脇に入ったところにあるカプツィーナ教会に向かいました。
地か墓地の入り口は、教会の入り口とは別に、正面右側にあります。
この教会の地下は、 . . . 本文を読む
午前中の観光の最後に、リンクをバスとトラムを乗り継いで一周することになりました。
ベルヴェデーレ宮殿を出て、カールス教会の前を通りました。マリア・テレジアの父カール6世が、ペストの鎮静を記念して建築させた教会で、1739年に完成しました。ローマのトラヤヌス帝記念柱にヒントを得た大円柱が立つバロック建築です。
セセッシオン
ウィーンの芸術家グループ「分離派」が自ら築いた展示館です。「金色の . . . 本文を読む
シェーンブルン宮殿に続いて、ベルヴェデーレ宮殿を訪れました。
ベルヴェデーレ宮殿は、トルコ軍からウィーンを救ったオイゲン公の夏の離宮として造られました。上宮と下宮に分かれており、上宮はオーストリア絵画の美術館、下宮はオイゲン公の居室や中世美術の展示室があります。
バロック様式の宮殿が、池に影を映しています。
ベルヴェデーレ宮殿にも多くの観光客が集まっていますが、ツアーによっては外観の . . . 本文を読む
ウィーン観光では、朝一番にシェーンブルン宮殿に向かいました。
シェーンブルン宮殿の前には、すでに大勢の観光客が集まっていました。
シェーンブルン宮殿は、ハプスブルグ王朝の歴代君主が夏の離宮として使ってきました。
皇帝レオポルド1世がヴェルサイユ宮殿をしのぐ大宮殿の建築を命じましたが、財政難によって規模は縮小され、結局、女帝マリア・テレジアの命によって現在の形に整えられました。
宮殿の壁 . . . 本文を読む
ブラチスラヴァからウィーンへは1時間ほどの距離です。まだ明るいうちにウィーン市内に到着し、夕食のために郊外のグリンツィングに向かいました。
この日の夕食は、ホイリゲでとることになりました。
ホイリゲとは、今年とれたワインを指すと同時に、そのワインを飲ますレストランもそのように呼びます。
ホイリゲは、軒先に吊るした松の枝が目印になっています。日本酒の酒蔵で、新酒ができたことを知らせるた . . . 本文を読む
デヴィーン城は、ブラチスラヴァ市街地の西約10kmの、ドナウ川湖畔にあります。
1~5世紀にかけてローマ帝国の戦略的に重要な地点となり、9世紀には大モラヴィア王国の要塞として働きました。その後も改築が続けられて巨大な要塞になっていきましたが、1809年にナポレオン率いるフランス軍によって攻め落とされて廃墟になりました。
駐車場からは、丘の上に広がる要塞を見上げることができます。
崖をめぐ . . . 本文を読む
ドナウ川を見下ろす丘の上にブラチスラヴァ城があります。
入り口の門をくぐって坂道を登っていきます。
ブラチスラヴァ城が姿を現しました。ウェブ上の以前の写真を見ると薄茶色をしていますが、最近修復が終わって真っ白な姿を見せていました。
もう一つ門をくぐります。
城の4隅に塔が立っているので「ひっくり返したテーブル」とも呼ばれています。城の正面広場からでは、4隅の塔を入れた城の全体像 . . . 本文を読む