連絡カートを下りて、川辺に並ぶ船を見て驚きました。
丸太を並べたいかだの上に横二つ、三列の座席が乗せられ、船外機で進みます。
岸辺には、隙間が無いほど、いかだ船が並んでいます。
このいかだ船は、中国人や個人旅行者が主な利用客で、日本の団体ツアーでの利用はほとんどないようです。
大型の観光船よりも、水面近くからの眺めを楽しむことができ、面白い体験ができました。
漓江下りといこと . . . 本文を読む
興平老街を抜けると漓江の川べりに出ました。、観光用ボートが並んでおり、川下りの期待が高まりましたが、まずは昼食です。
昼食は、老塞山旅館でとりました。この旅館は、日本人の林さんが経営しており、NHKや民放での桂林の録画では、ここがベースになったようです。
昼食を終えて、観光の再開です。
老塞山旅館脇の遊歩道を上っていくと、和平亭に出ます。上下二段になった展望台です。
山道をさら . . . 本文を読む
桂林観光のハイライトは、漓江(りこう)下りです。一般に漓江下りというと、桂林の郊外の竹江船着場から陽朔までの4時間ほどのクルーズが一般敵ですが、今回のツアーでは、途中の興平鎮からのミニクルーズになりました。時間的には短いものの、通常では体験できない船下りを楽しむことになりました。
バスで興平鎮までは2時間ほどかかりました。
桂林は、街自体が岩峰が立ち並ぶ中にあります。
道順の関係で、一旦 . . . 本文を読む
七星公園は、桂林市内最大の公園で、山の並びが北斗七星に似ていることから名前が付けられています。
公園内には、駱駝岩や鍾乳洞などの見どころがありますが、併設の動物園にいるパンダに会いに訪れました。
大熊猫館という標識に従って進みます。
園内は、美しく整備されています。
駱駝岩の頭の部分が見えていました。右手の胴体の部分は木に隠されています。近くによれば、全体像を良く眺めることがで . . . 本文を読む
カタクリ
2011年04月24日 | 花
本日4月24日に小千谷の丸山から城山へ、カタクリ見物のために歩きました。
今年は、例年にない大雪のため、小千谷付近の水田脇の雑木林から大量の雪が残っています。残雪のトラバース道が続きました。
それでも、雪解け部は、カタクリのお花畑が広がっていました。
連休で中越方面の山に来られる人もいるかと思いますが、残雪に注意する必要があります。
白花のカタクリも見られました . . . 本文を読む
蘆笛岩(ろてきがん)で最も有名な「水晶宮」と呼ばれる眺めです。桂林観光の目玉である漓江(りこう)下りの風景を、地底湖に映る岩のシルエットで現しています。
水面に広がる波紋は、天井から滴り落ちる水滴によるものです。
この水晶宮は、竜王のすみかという見立てで、この石柱は孫悟空が手に入れることになる如意棒ということになっています。
鍾乳洞をさらに眺めていきます。
. . . 本文を読む
桂林一帯はカルスト地形で、そのため鋭い岩峰が林立して、景勝地を形作っています。また、地下には浸食による鍾乳洞が造られて、いくつかが観光地化されています。
桂林観光は、混雑する前にということで、まず蘆笛岩から始まりました。
蘆笛岩(ろてきがん)は、市内の北西3kmにある光明山内部に造られた鍾乳洞です。全長500mの見学コースが造られています。
昔、山の斜面に開いた小さな洞窟を吹き抜ける風が蘆笛 . . . 本文を読む
5日間の日程で、中国の桂林に出かけてきました。参加したツアーは以下のものです。
「たっぷり桂林 5日間」(新潟日報旅行社)
2011年
第一日目 4月16日(土) 新潟発 9:30(MU-296)上海(浦東)着 11:45
上海(浦東)発 18:50(MU-5693)桂林着 21:10
(桂林 桂林幸福酒店泊)
第二日目 4月17日(日)
桂林観光(蘆笛岩、七星公園パンダ館、興坪老街、 . . . 本文を読む
国会議事の隣にウェストミンスター寺院があります。
イギリス国教会の教会で、聖ペテロ修道教会がはじまりです。11世紀にエドワード懺悔王が建設し、1066年以降、英国国王の戴冠式が行われています。14世紀末から17世紀までの長期間にわたって建設されたゴシック様式の建物です。
戴冠式などの王室行事が執り行われ、内部の壁と床には歴代の王や女王、政治家などが多数埋葬されています。エリザベス1世やスコット . . . 本文を読む
ロンドンは、いわずと知れたイギリスの首都で、現代の文化発祥の地であると同時に歴史上の遺構の残されている大都市です。
ますは、ウェストミンスター橋から見たビッグ・ベンと国会議事堂の風景から始めましょう。
国会議事堂は、正式にはウエストミンスター宮殿といい、現在の建物は1852年に建てられたものです。
もともとは、11世紀にエドワード・コンフェサー王が宮殿を建て、1512年まではイギリス国王 . . . 本文を読む
雨による暗く沈んだ風景も、この死の街にはふさわしい感じがしました。
墓標のようです。
ポンペイの裕福な商人であったヴェッティの家を訪れました。
中庭を囲む回廊がめぐらされており、長い年月の間、土砂に埋もれていたため壁画は良く残されています。
生殖の神プリアポスの壁画
ポンペイの壁画は、成人指定になるようなものが多く残されていますが、日本でも金精さまのようなものがあり . . . 本文を読む
ポンペイは、ローマ人の余暇地として栄えたナポリ近郊にあった都市で、79年のヴェスヴィオ火山噴火による火砕流によって地中に埋もれてしまいました。18世紀に発掘が開始され、現在は世界遺産に選ばれています。
火砕流は一瞬にして5 メートルの深さに町全体を飲み込み、当時の人々の生活をそのまま凍結状態で保存しました。そのため、ポンペイは、建造物や街区が当時のままの残されている唯一の町として知られています。 . . . 本文を読む