さすらい人の独り言

山登り、日々の独り言。
「新潟からの山旅」別館
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さすらいの風景 コインブラ その1

2021年10月04日 | 海外旅行
第四日目は、コインブラを見学した後、ボルトへ移動することになりました。

コインブラ大学へと移動中、水道橋が現れました。サン セバスティアンの水道橋と呼ばれ、ローマ時代の水道橋があった場所に、1570年頃に再建されたものです。



階段上の高台にコインブラ大学のキャンパスが広がっています。車は迂回して上がっていきます。



トロリーバスが上がってきていました。トロリーバスは日本では見かけなくなっていますが、ヨーロッパの共産圏に属していた国などで良く見かけます。



街を見下ろすように像が立っています。



コインブラ大学を創ったデイニス王の像のものです。



階段下には街の眺めが広がっていました。



丘の上には各学部の建物が並んでいました。これは文学部。



医学部。

文系・理系合わせて8の学部があるようです。デイニス王によって1290年にリスボンに創られた大学は、1308年にコインブラに移されました。その後、他の都市に移転されたこともありましたが、1537年にコインブラに恒久的に置かれることになりました。

世界で継続的に運営されている古い大学としては、1 ボローニャ大学(1088年)、2 オックスフォード大学(1096年)、 3 サラマンカ大学(1134年)、4 ケンブリッジ大学(1209年)、5 パドヴァ大学(1222年)、6 ナポリ大学フェデリコ1224世(1224年)、7 ナポリ大学(1240年)という順番になり、コインブラ大学(1290年)は8位となります。



今回の見学目標である旧大学の入口。



入口の鉄の門は「無上の門」と呼ばれています。この門をくぐったら学問のこしか考えてはいけないとか。



鉄の門の手前の石畳には、知の女神ミネルヴァが描かれています。



鉄格子の上部に取り付けられたぼろきれは、卒業生がマントの裾を切って高い所を目指して置いたものです。



鉄の門をくぐると中庭が広がっていました。



大学のシンボルの時計塔。



一段上がったところにある回廊は、「ラテン回廊」と呼ばれ、ここではラテン語を話すことが義務付けられていました。





学生は制服として黒マントを着ます。コインブラ大学ならではの光景です。



なにやら記念写真を取り合っていたので、声をかけて撮らせてもらいました



開館まで少し早かったので、中庭で少し待ちました。



中庭の奥に立つのはジョアン三世像。この王は、フランシスコ・ザビエルを日本に使わしてもいます。
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