サイゴン大聖堂の後は、ベンタイン広場を訪れました。
市場前の広場には、15世紀のレ・ロイ王の時代に活躍したチャン・グエン・ハン将軍の騎馬像が置かれています。
市場の中を見学しました。
中は、地元の人や観光客で大混雑になっていました。
ドライフルーツやナッツ類も数多く売られていました。
目をひくのは、ベトナム各地でとられたコーヒー豆でした。
フランス統治の時代 . . . 本文を読む
ベトナム最終日、まずは朝の散歩に出かけました。
ホテル脇の大通りはバイクが群れをなして走っていました。
ホテル近くのメリン広場には、チャン・フン・ダオ像があります。
チャン・フン・ダオ(陳興道)は、ハロン湾の時に触れましたが、元がベトナムに攻め入った時に迎えうった将軍です。功績を称えて、ベトナムの各都市の大通りに彼の名前がつけられています。
像の基部には、レリーフが飾られていま . . . 本文を読む
ベトナムを縦断してきて、最後の訪問地はホーチミンになりました。
ホテルは、ホーチミンを代表するショッピングストリートの入り口にあるマジェスティック・サイゴンでした。時間は11時近くになっていましたが、チェックイン後に散歩に出かけました。
マジェスティック・サイゴンは、ベトナムでも有数の歴史を誇るコロニアルスタイルの老舗ホテルです。有名人やベトナム戦争中のジャーナリストが数多く泊まっています . . . 本文を読む
ミーソン遺跡では、中央部の管理小屋でチャムダンスショーが1日に3回行われ、丁度時間も合って見物することができました。
まずは、壺を持っての水汲みの踊り。
照明が、赤や青に刻々と変化するため、写真撮影の妨げになりました。
続いて笛の独奏。中断することなく、長々と吹き鳴らすのが見せ場でした。
続いて、水の女神アプサラのダンス。マントを被って、思わせぶりな登場。
露 . . . 本文を読む
ミーソン遺跡は、幾つかの群にまとまって点在しており、見学を続けました。一部は、現在でも発掘調査が進められているようです。
アプサラ像が残されていました。
こちらは、破損が進んでいるのが残念。
頭が失われています。
痛みの進んでいる遺跡ですが、壁に像が並んでいました。
崩壊を防ぐため、レンガを補って再建しているものもありました。
頭が失われています . . . 本文を読む
ホイアンの市内観光を終えて、午後はミーソン遺跡を訪れました。
ミーソン遺跡は、ホイアンの南西約40kmの位置にあり、チャンパ王国の聖地でした。
チャンパ王国は、2世紀から17世紀にかけて、ベトナム中部沿海地方を支配し、9世紀以降は海上交易で栄えました。
ミーソン遺跡の入り口の駐車場からは少し歩く必要があり、本降りの雨の中で少々辛い観光になりました。
ミーソン遺跡は、4世紀から13世紀ま . . . 本文を読む
福建会館の後に、市場を見学しました。
フードコーナー。思ったよりもきれいでした。
カウンター席で客が食べていました。
奥に進むと、乾物コーナーが現れました。
各種の穀物が売られていました。
調味料の店。
肉売り場。
通りに出ると、豆腐や揚げ物が売られていました。
麺類、これはフォーのためのものでしょう。
野菜類。
店舗ではなく . . . 本文を読む
来遠橋(日本橋)に戻り、こんどはチャンフー通りを東に向かいました。
落ち着いた街並みが続いていますが、本降りの雨で余裕も無いのが残念です。
貿易陶磁博物館(海のシルクロード博物館)に入ります。
ホイアンは、海のシルクロードの中継都市として栄えました。日本の御朱印船もこの街までやってきていました。
沈没船から引き揚げた陶磁器が展示されています。これは肥前焼きの皿とのこと。
. . . 本文を読む
シクロを下りて、まず来遠橋を見学しました。来遠橋は1593年に造られ、ベトナムを代表する古い建造物になっています。
当時、ホイアンに住んでいた日本人によって造られたことから、日本橋とも呼ばれます。
木星の橋は現在でも現役で、人の通行に利用されています。
橋の上から見たトゥボン川。
橋の内部には、日本の提灯が飾られていました。
橋の名前が書かれた額。
橋の中央部に . . . 本文を読む
ランタン祭りを見学した翌日、順序が逆になりましたが、ホイアンの街の見学を行いました。
最初に、シクロと呼ばれる人力車で旧市街地を一周しました。本降りの雨が続いていたので、雨避けの屋根のあるシクロは、写真撮影のために好都合でした。
団体が貸切利用するので、長い列のシクロが街中を行き交っていました。
ホイアンは、海のシルクロードとも呼ばれる東西海上貿易路の中継貿易都市で、華僑が多く移り住んで . . . 本文を読む