ツェンケル温泉には幾つものツーリストキャンプがありますが、私たちが泊まったのはドゥートリゾートキャンプで、二泊しました。
ツェンケル温泉で一番新しいツーリスキャンプということで、きれいな木造のセンターが建てられていました。センターには、レセプション、食堂、トイレ、シャワー、温泉があります。7月からの繁忙期を前にして、トイレ・シャワー棟やゲルを増築中でした。
かなりの数のゲルが並んでいま . . . 本文を読む
カラコルムを出発して、ツェンケル温泉へと西に向かいました。
あいかわらず一面の放牧地が広がっていました。
ツェンケル温泉の入口となるツェツェグレブに到着。アルハンガイ県の県都ということですが、寒村といった感じです。
トイレを使わせてもらった建物。長距離バスのターミナルのようです。
すぐ近くのザハ(市場)を見学しました。この市場で目立ったのは、アーロール(乾燥ヨーグルト)の店 . . . 本文を読む
三日目は、ホスタイを出発して、カラコルムを経てツェンケル温泉に向かうことになりました。
再び西に向かって移動することになりました。途中で、ブルドを通過すると、観光用のラクダが現れました。
ブルド付近には、エルスン・タサルハイ(砂の飛び地)と呼ばれる、ここだけに限局した砂丘が広がっています。
観光客がラクダに乗っていました。
特徴的な岩山の下にツーリストキャンプが設けられていまし . . . 本文を読む
ウギー湖の立ち入り禁止に伴って宿泊地も大幅な変更になり、当初予定にはなかったホスタイのモルツォグエルスツーリストキャンプに泊まることになりました。
まずは、チェックインし、割り当てのゲルに入りました。荷物を放り込んだだけで、ホスタイ国立公園に出かけました。
国立公園のゲートを抜けて未舗装の道に揺られながら進むと、ここの目的の野生馬タヒの群れに出会うことができました。西洋人の一団もタヒ見 . . . 本文を読む
昼食後、野鳥観察のためにウランバートルを離れて西に位置するバヤンノールに向かいました。
郊外に出ると長い貨物列車が走っていました。鉄道はウランバートルを中心に南北に延びており、北に向かえばロシア、南に向かえば中国に通じており、国際列車も運行されているようです。ただ、軌道幅はロシアとは同じですが、中国とは違っているためゲージ変更が必要になります。
また。手前には青いビニールハウスが並んでいました . . . 本文を読む
日本人墓地跡からウランバートルに戻ってガンダン寺を見学することになりました。
正式名称ガンダン・テグチンレン寺は1838年に活仏ボグド・ハーン5世によって建立されたチベット仏教寺院です。社会主義政権でも仏教は許されていましたが、1930年代に入って、モンゴル人民革命党の仏教弾圧が始まり、1937年にはモンゴル全土で3万人の僧侶が殺される大粛清が起きました。1940年代に宗教活動が回復した後は、1 . . . 本文を読む
スフバートル広場に続いて、日本人墓地跡に向かいました。
日本人墓地跡は、ウアンバートル中心部から北東約15kmの距離にあります。民家が郊外にまで広がってきていました。遊牧民の伝統を今でも残しているようで、庭にゲルが設けられているのを良く見かけました。
日本人墓地跡は丘の上にあり、現在は慰霊碑が設けられています。
慰霊碑へと階段が続いていました。
階段下の脇に小さな資料室が設けら . . . 本文を読む
日本の出発が昼過ぎであったため、フライト時間はそう長くはないにもかかわらず、空港を出てウランバートル市内に向かう時には薄暗くなり始めていました。
団地風の味気ない建物の間に歴史を感じさせる建物が点在していました。
道路は渋滞していました。
モンゴルで車は右側通行なのですが、走っている車は右ハンドルの日本車ばかりでした。ソ連崩壊後は、韓国車が多く輸入されたようですが、故障が少ないという理由 . . . 本文を読む
モンゴルは日本から近いにもかかわらず、観光で訪れる人は少ないと思います。モンゴル観光では、ウランバートルでのホテル泊を除いて、数人でのゲル泊になるのが普通で、これはできたら避けたい。6月中は一人部屋として泊まれるツアーがあったので、これに参加しました。
選んだのは以下のツアーです。直前になって、訪問地のウギー湖が口蹄疫発生のために立ち入り禁止となったため、日程が大幅に変更になりました。といっても . . . 本文を読む
チュニジア土産のまとめです。
砂漠のバラ。各所の土産物屋で売っており、これはネフタとショット・エル・ジェリドで買いました。重さを考えて、あまり大きいものは買えませんでした。小さいのはおまけにもらったもの。
モザイク。エル・ジェムの円形闘技場脇の売店にて。
玄関マット用に小さな絨毯。カイラワーンにて。
砂絵。マトマタ にて。
アラブ風のポットとお盆。チュニスのメディナにて。 . . . 本文を読む
チュニジアの食のまとめです。
カイラワーン ラ・カスパでの朝食。
まず朝食。いつものことではありますが、ビュッフェスタイルでは自分の好きなものだけをとるため、あまり変わりばえはありません。
スース ディアル・エル・アナダルースでの朝食。
イスラム教の国では豚肉を食べないので、ソーセージは他の肉を使っていてあまり美味しくないのは残念です。
チュニス アフリカエルムラディでの朝食。こ . . . 本文を読む
ネコ写真の続きです。
エルジェム円形闘技場にて。
スースにて。
人通りの多い土産物屋の軒下で休むネコ。
おねだりネコ。この後、食べ物をもらうことができました。
スースのホテルの中庭。
朝食が始まると、エサをもらえるかと出口で待機していました。
スースにて。
スースのリバトの中庭で出会ったネコ家族。
ビスケットをあげると子供たちは食べまし . . . 本文を読む
一般にイスラム教の国ではネコは大事にされているようですが、その中でもチュニジアは最高密度でいたる所でネコに出会いました。
チュニスの水道橋下の緑地にて。
カイラワーンの夜のメディナにて。人は少なくなっていましたが、ネコが悠々と歩いていました。
カイラワーンのホテルの前庭にて。
カイラワーンの朝のメディナにて。
カイラワーンのシディ・ . . . 本文を読む
中央市場を出てメディナに向かいました。入口のバーブ・ブハル(フランス門)に到着。
入口のビクトワール広場からは幾つかの通りが始まっています。
まずは、カスバ通りへ。土産物屋が並んでいました。
土産物屋は店開きの準備中であったので、広場に引き返しました。
南のRoe Sidi Bou Mendjiに進んでみました。
この通りは、地元民向けの雑貨や靴などの生活用品が売られてい . . . 本文を読む
チュニジア滞在の最終日、チュニスのメディナの案内が済んでいたことで、昼前まで自由時間となりました。
まず、中央市場の見学に向かいました。市民劇場の脇からカルタゴ通りに入りました。ここには路面電車が通っています。
カルタゴ通りはバルセロナ広場に突き当たります。広場の向こうに見えるのはチュニス鉄道駅。
西に向かいます。
中央市場の入口。ちょっと地味な造りです。
中央の広間の周 . . . 本文を読む