ドン・ルイス1世橋を渡るため、ロープウェイを利用して上がることになりました。
短い乗車時間ですが、目を離ない眺めが広がりました。
ボルト観光における最大の見どころになっています。
刻々と移り変わる風景をお楽しみ下さい。
以下、ロープウェイからの眺めを並べます。
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ドン・ルイス1世橋を渡って南岸のヴィラ・ノヴァ・デ・ガイア地区に移動しました。
下から見上げると橋の高さはかなり高くみえます。
川岸沿いには、レストランやワインナリーが並んでいます。
川岸にはラベーロと呼ばれる船が停泊しています。ポートワインは、アルト・ドウロと呼ばれるドウロ川上流地帯で栽培されるブドウからつくられます。絞られたブドウ液が樽詰めされてひと冬を越して、船でヴィラ・ノ . . . 本文を読む
コインブラからバスで1時間半ほどでボルトにやってきました。ドウロ川の北岸沿いに進んで行くとドン・ルイス1世橋が見えてきました。この橋が架かる両岸がボルトの街の観光における中心になります。ボルトは起伏の大きな街で、商工業の中心地として栄えてきました。
ドウロ川の南岸はローマ時代には、カーレと呼ばれる州で港(Porutus)の役割を持っていたことから、ポルトゥス・カーレと呼ばれており、これがポルトガ . . . 本文を読む
コインブラ大学の見学を終えて、歩いて街の中心に向かいました。ポルトガルの街中では多くの教会を見かけます。これはサン・ジョアン・デ・アルメディナ教会。
イエズス会のコレジオ附属教会として1598年建てられた新カテドラル。
坂道を下っていくと旧カテドラルの巨大な建物が現れました。
歩くにつれ旧カテドラルの外観は変わっていきました。
旧カテドラルは、アフォンソ・エンリケスによって . . . 本文を読む
中庭に面して、ジョア二ナ図書館とサンミゲル礼拝堂が並んでいます。
ジョア二ナ図書館は、入場時間がチケット購入時に決められるので、少し待つ必要がありました。
ジョア二ナ図書館は、ジョアン5世統治下の1724年に建てられ、蔵書数は30万冊に及びます。
ジョア二ナ図書館内は撮影禁止のため、大学のホームページの写真を掲載しました。
ジョア二ナ図書館は、ジョアン5世統治下の1724年に建てら . . . 本文を読む
旧大学の構内に入るとまず武器の間がありました。
王立憲兵隊の控室で、槍の装飾が置かれていました。
回廊から帽子の間を見下ろすことができました。学位授与などの儀式が行われます。もともは17世紀に宮廷の広間です。
一番偉い人の座る席。学位授与なら学長かな。
壁には歴代の国王の肖像画が飾られています。
天井を装飾が施されています。
試験の間。部屋の大きさからす . . . 本文を読む
第四日目は、コインブラを見学した後、ボルトへ移動することになりました。
コインブラ大学へと移動中、水道橋が現れました。サン セバスティアンの水道橋と呼ばれ、ローマ時代の水道橋があった場所に、1570年頃に再建されたものです。
階段上の高台にコインブラ大学のキャンパスが広がっています。車は迂回して上がっていきます。
トロリーバスが上がってきていました。トロリーバスは日本では見かけなくな . . . 本文を読む
テンプル騎士団聖堂に続いて主回廊の見学。
ジョアン3世時代の16世紀に、リスボンのジェロニモス修道院を手掛けたジョアン・デ・カステ―リョによって作られました。
スペイン王フェリペ2世は1581年にポルトガルを併合し、ここでポルトガル王フィリペ1世として戴冠し、「太陽の沈まぬ帝国」と呼ばれるスペイン最盛期をもたらしました。フェリペ2世以後、フェリペ3世、フェリペ4世と3代にわたりスペイン・ハ . . . 本文を読む
この修道院で最大のみどころであるテンプル騎士団聖堂。
エルサレムの聖墳墓教会に倣って12世紀に造られました。
ビザンチン風ロマネスク様式で、16角形の円堂になっています。これはすぐに戦いに行けるように、騎士が馬に乗ったままミサに参加できるようにするためです。
中央の洗礼室にはキリスト像。
脇には哀しみにくれる聖母マリア。
天井や壁にも余す所なく絵が飾られています。
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モンサントの後はトマールのキリスト修道院にやってきました。トマールは昨日訪れたバターリャやファティマの東にあり、ポルトガル国内を北上するという旅行の行程からすると少し戻ることになります。
強固な壁を巡らせており、修道院といってもテンプル騎士団のちにキリスト騎士団の拠点として使われたもので、城に他なりません。
キリスト修道院の入り口の門
坂を登っていきます。
堀を巡らせ、高い城壁 . . . 本文を読む
城跡からひと下りした台地に礼拝堂が立っていました、
建物の中を覗くと屋根は無くなっていました。
この山を中心にするトレッキングコースが設けられているようです。踏み跡を辿って大岩の転がる高みに進んでみました。
下り斜面にかかる所で、崖から転げ落ちそうに、球状の大岩が平らな岩の上に乗っているのを見つけました。
なかなかの奇観なので、この岩に名前が付けられているかと思ってネットで . . . 本文を読む
4日目は、コインブラのホテルに連泊して、モンサントとトマールを見学しました。
モンサントは、東のスペインとの国境近くにあります。車窓からはコルクガシの林を見ることができました。コルクガシは、スペインを中心とする地中海沿岸で栽培されており、そこから採れるコルクの世界栽培量の50%をポルトガル産が占めています。
コルクガシの幹の表層には厚いコルク層ができ、これをはぎ取ってコルクの製品を作ります。1 . . . 本文を読む
バターリャ観光の後、南北に広がるポルトガルの中央部にある小さな街のファティマを訪れました。この街が有名なのはバチカンも公認している聖母マリア出現の聖地であることによります。
巨大な建物や広場が設けられていますが、その見学の前に聖母マリア出現の奇跡とファティマの予言について知っておく必要があります。
1916年春頃、ファティマに住む3人の羊飼いの子供(左からルシア10才、フランシスコ9才、ジ . . . 本文を読む
教会に入って左手にある中庭を取り巻いてジョアン1世の回廊があります。1386年に建設が始まり1515年に完成しました。ゴシック様式の簡素な回廊に、100年後にリスボンのジェロニモス修道院を手掛けたボイタックがマヌエル様式の装飾を施しました。
柱にも細かい装飾が施されています。
正方形の中庭です。
アーチ型の狭間飾りが見事です。
レースのような細かい彫刻です。
エン . . . 本文を読む
オビドスに続いてバターリャ修道院を訪れました。
バターリャとは、ポルトガル語で「勝利」という意味です。近郊のアルジュバロータで、1385年8月14日王位を狙って攻め入ってきたカスティーリャ軍をジョアン1世率いるポルトガル軍が破り、スペインに対してポルトガルの独立を守りました。ジョアン1世は、聖母マリアに感謝して修道院の建設を始めました。
1388年に始まった建設は、何人かの建築家に引き . . . 本文を読む