王家の谷の見学を終えて、ハトシェプスト女王葬祭殿に向かいました。
ハトシェプスト女王葬祭殿の駐車場は、前回の訪問と比べると空いていました。
駐車場から入口へは、土産物屋の中を歩いていきます。
入口の先にはビジターセンターが設けられており、葬祭殿の模型が展示してありました。
右側の大きな建物がハトシェプスト女王葬祭殿で、左側にメンチェヘテプ2世葬祭殿、左奥にトトメス3世神殿が隣接して . . . 本文を読む
王家の谷には多くの墓が設けられて入口が穴を開けています。右に見えるのは、ホルエンハブの墓。ホルエンハブは、王の書記・将軍として、アメンヘテブ4世、次いでツタンカーメン、アイの下で働いた後に、自ら王になりました。
フィンランドの作家ミカ・ワルタリの歴史小説、さらにこれを基にしたハリウッド映画の「エジプト人」では、このホルエンハブが副主人公として登場します。興味のある人は読むか見てください。
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太陽も昇って、王家の谷も輝き始めました。
ツタンカーメンの墓の入口。このツタンカーメンの墓は、ラメセス6世の墓の脇の空き地で、人夫小屋も建てられたため、盲点になって発見が遅れたようです。
ツタンカーメンの墓の中は撮影禁止だったので、先回の旅行記の他の本からまとめをどうぞ。先回はこの墓の入口の写真も撮れなかったので、再訪の価値はあったことになります。
ツタンカーメンの墓
続いて、ラメセ . . . 本文を読む
最初にラメセス4世の墓を見学しました。ラメセス4世の在位は、B.C.1166~B.C.1160です.
王家の谷の入場券では、開放されている一般王墓のうち三つに入場できます。ただ、人気のあるツタンカーメンの墓は、別料金になっています。
入口の脇には、説明版が置かれており、墓の構造も書かれています。
ラメセス4世の属する第20王朝は、ほとんどの王がラメセスと言う名を持っていることからラムセス . . . 本文を読む
ルクソールに停泊しているアマルコ1号に乗船したのは、1時近くになっていました。
船のロビー。先回乗ったナイルクルーズ船よりは、新しい感じです。
この部屋で2泊することになります。本当は3泊のはずでしたが。
部屋には、夕食の代わりなのか、スナックとサンドイッチが用意してありました。急いで荷物の整理、シャワー、このサンドイッチを食べて寝たのは2時を回っていました。
三日目は、二 . . . 本文を読む
エジプトには、2010年に訪れているのですが、妻が行きたいというので付き合うことになりました。2011年にエジプトでの民主化運動が起きて観光しにくい状態が続いていましたが、最近はエジプト旅行も復活しつつあります。観光客誘致のためか、王家の谷やカイロの考古学博物館への写真撮影可能になるなどの変更もあって、再訪の価値はあります。
内容を重視して、以下のツアーを選択しました。
「日本ーエジプト直行便 . . . 本文を読む
インドといえば紅茶。ツアーで寄った紅茶店で買いました。左からニルギリ、アッサム、ダージリング。
チョコ入りクッキー。これは美味しかったです。個包装でパッケージもしっかりしているので、バラマキ土産にうってつけ。
中身が判らないで買ったのですが、粉を食べているようで、はずれ。
ピーナッツのキャラメルがけ。これは好みでした。
カシューナッツ。
木彫りのガネーシャ。宝くじがあ . . . 本文を読む
インド人の食事は、多様な宗教に対応するため、ノンベジ(肉類も可)とベジ(野菜だけ)に分かれて提供されます。エアインディアでは、国際線ではノンベジとベジの食事が提供されますが、国内線ではベジだけになって簡略されています。
ホテルのビュッフェの料理にも、ノンベジとベジの表示がされています。
また、ボパールのジャハンヌマ・パレスの朝食では、各料理の名前の脇には、ノンベジは赤丸、ベジは緑丸の表示が . . . 本文を読む
国立博物館の後は、近くのインド門に向かいましたが、デモに会いました。この一帯は官庁街なので、しばしばデモが行われるようです。
路線バスも停められて通行不能になっており、Uターンして別の道に進みました。
迂回して何とかインド門に到着しました。先回の訪問では、車窓から眺めただけなので、改めて訪問したいと思っていました。
インド門は、第一次世界大戦で戦死したイギリス領インド帝国の兵士(約8 . . . 本文を読む
博物館の一室では、人だかりがしていました。
人々がお祈りをしながら見ているのは仏舎利です。この仏舎利は、インドとネパールの国境付近のピブラーワーで発掘されたものです。
釈迦入滅の地クシナガラの統治部族マッラ族は、当初仏舎利の専有を表明し、仏教を国教とする周辺国との間に仏舎利を巡って争いが発生する事態となりました。結果として8等分され、それに、容器と残った灰を加えて周辺内外の10か所の寺院に . . . 本文を読む
ボパールからデリーへと飛行機で移動しましたが、成田へは夜の出発のため、デリーの市内観光を行いました。メインは、国立博物館。主に紀元前3000年頃のインダス文明から現在に至るインドの彫刻・絵画・美術品・工芸品・文書を収蔵しています。
前庭に進むと、さっそく彫刻が現れました。
世界破壊のため踊る「舞踊の神ナタラージャ」の姿のシヴァ神。
ムルガン(スカンダ)像かな。
スーリヤ(太陽神 . . . 本文を読む
ボパールは、18世紀以降、インド独立までボパール藩王国の首都になってきた古都ですが、この街を目的に訪れるというよりは、サンチー遺跡の宿泊地として利用する者がほとんどと思われます。
サンチー遺跡からボパールに戻ってくると、道路脇にスナック売りをしばしば見かけるようになりました。
ボパールをネットで検索すると、観光情報よりは、ボパール化学工場事故に関する記述が並んでいます。この化学工場跡の脇を . . . 本文を読む
ボパールは、サンチー遺跡見学のために訪れた街ですが、ここでは二泊しました。ボパールでの宿のジャハンヌマ・パレスは、シャムラー・ヒルの上にあり、1890年に藩王の家族のために建てられた邸宅を改築したヘリテージホテルです。
ホテルのフロントには、昔の武器が展示されていました。
フロント前の広間に置かれた椅子。昔の藩主と思われる肖像画が飾られていました。
ボパールは、18世紀からインド . . . 本文を読む
大ストーゥパ(第1塔)の後は、第3塔を見学しました。第1塔よりも小さく、塔門(トーラナ)も一つで、覆鉢の上の傘蓋も一重になっており、簡略化されています。
塔門(トーラナ)の彫刻は、大ストーゥパ(第1塔)のものとほぼ同じでした。
豊穣の男神ヤクシャ。
仏舎利に礼拝する人々。
何の神か判りません。
二頭の象から水をかけられるラクシュミー。
馬に乗る男女像。
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東西南北の塔門(トーラナ)を見学したので、上段の繞道(にょうどう)に進みました。
上段の繞道(にょうどう)からは、僧院跡の眺めが広がっていました。
塔門(トーラナ)の裏面の彫刻も近くなって、良く眺めることができるようになりました。
これは西の塔門(トーラナ)。
中段の横材。
北の塔門(トーラナ)。上段の横材。
中段の横材。豊穣の男神ヤクシャが描かれています。
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