山の報告をさぼっておりますが、蝶ヶ岳からの写真です。
蝶ヶ岳は、幅広尾根といった山頂で、山の姿はいまいちですが、展望はぴか一です。そのため、晴れた時に登らなけらば面白くはないということになります。
テント泊で朝晩の眺めを楽しむのも良いのですが、重荷を背負って猛暑の中登るのもたいへんなので、日帰りにしました。
写真は、蝶ヶ岳ヒュッテと常念岳
蝶ヶ岳は、槍・穂高の最高の展望台といえます。
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景福宮の思政殿は、勤政殿の後方に位置し、国王が御前会議を行い、各種政策を決定するなど臣下と国事をはかった場所です。
思政殿の内部。
勤政殿と同じ屏風が置かれています。
思政殿の左わきには、千秋殿があります。政治・経済・文化の面で優れた業績を残した、李氏朝鮮代四代世宗大王と学者がここで政策を練ったと言います。
千秋殿の内部です。ハングル文字は、世宗大王によって創られました。
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ホテルにチェックイン後に時間があったので、景福宮(キョンボックン)を訪れました。宿泊のロッテホテルから景福宮(キョンボックン)へはすぐ近くです。
国立中央博物館として使われていた朝鮮総督府
景福宮は、李氏朝鮮の創始者の李成桂が1394年に造った、ソウル市内最大の王宮です。16世紀末の豊臣秀吉による文禄慶長の乱、さらに満州王朝の侵入によってほとんどが焼失してしまいました。270年後の19世紀 . . . 本文を読む
シルクロードは、中国と地中海地方といった東西文明を運んだ交易路ですが、重要な交易品として絹が挙げられます。
西域地方では、絹の絨毯が織られて、特産品になっています。
トルファンと敦煌の二か所で絨毯の店に入りましたが、これは敦煌のものです。
手作業で織るところの実演を行っていました。
中国の絨毯は、糸の密度すなわち糸の太さによってクラスが分けられ、400段などと現されます。
一般的な絨毯は . . . 本文を読む
西安で団体ツアーに参加した場合、この陝西省美術博物館には注意が必要です。
中国における偽物がよく話題になりますが、これは博物館の偽物といってよいでしょう。
ツアーの予定表になかったのですが、陝西省歴史美術館訪問の前に、ここに案内されました。
館内に入ると、流暢な日本語を話す博物館のガイドがつきました。館内に見学客はほとんどおらず、吹き抜けから地階をのぞくと、公募絵画の展覧会が行われているよう . . . 本文を読む
今回の西安観光では省かれましたが、先回の旅で訪れた碑林博物館について追加しておきます。
もともと孔子廟であったものを、1950年に博物館にしたものです。
門を入ったところには、小さな池が設けてありました。
通路の両脇には、獅子の石像が並べられています。
これらの石像は、もとは馬をつなぐためのものだったようです。
園内には、中国風の建物が並び、美しい庭園風景を見せています。
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ツアーの最終日、西安空港に向かう前に、大雁塔を訪れました。
大慈恩寺は、唐の三代皇帝高宗が、母のための供養のために建立したお寺です。
当時は、現在の敷地の七倍はあったという大寺院ですが、唐末期の戦乱によって荒廃したといいます。
玄奘三蔵法師がインドから戻ると、このお寺の高僧になり、仏典の漢語訳に従事しました。
大雁塔は、玄奘三蔵法師がインドから持ち帰った経典や仏像を納めるために、6 . . . 本文を読む
西安最後の夜は、唐楽宮で、ディナー付きの歌舞ショーを見ました。
食事の間、舞台では、古楽器の演奏が行われていました。
西安の地元ガイドは、宮廷料理にメインはステーキと言ったので期待していたのですが、なにか甘ったるいソースがかけられた焼き肉が出てきました。中華とも洋食ともつかないものでした。ここでの夕食とショーはツアー料金に含まれていたのですが、個人旅行なら、ショーを見るだけにした方が良 . . . 本文を読む
陝西省歴史博物館の展示物のうち、唐代を中心としたものです。
銅鏡ですが、美しい金箔象嵌が施されています。
純金製の龍の置物。
唐三彩の天王像。
唐三彩の女性像。この時代は、このようなふっくらした容姿が美人として好まれたようです。
天王像。
十二支像です。動物が衣服をまとって、どこか不気味ですね。
墓陵の守護神でしょうか。パリのノート . . . 本文を読む
陝西歴史博物館における秦の時代に続く漢から三国時代あたりの展示物です。
焼き物の人形が並んでいました。日本の埴輪と同じように、素朴ながら、引き付けられる形をしています。
これは、玉製の酒器ですかね。
金を含んだ貨幣のようです。
漢の時代の匈奴の将軍の帽子飾りです。
墓の副葬品として埋められた兵馬俑です。秦のものに比べると、小ぶりになっています。
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