アラブ諸国の旅が続いたため、久しぶりに中国に出かけたくなりました。シルクロードに関係した所はできるだけ訪れたいと思っており、西安と敦煌の間の空白地になっている河西回廊方面に出かけることにしました。選んだツアーは以下のものです。
「西夏王国の故地銀川と幻の黒水城、世界遺産嘉峪関と張掖丹霞 9日間」(クラブツーリズム)
2019年
第1日目 6月15日(土) 羽田発 8:40(MU576)10:3 . . . 本文を読む
レバノン土産のまとめです。
レバノン杉の森で購入したマグネット。レバノン杉の小片にレバノン国旗とフェニキアの交易船が描かれています。
国立博物館で購入した青銅製兵士のキーホルダー。
パッチのチョコレート。中東のゴディバとも呼ばれる高級チョコ。空港の売店にて。
Douaihyのアラブ菓子。これも有名なメーカーで、空港売店にて。
アラブ菓子。シュトゥーラのスーパー内の菓子店に . . . 本文を読む
レバノンの食のまとめの続きです。
ティール・アブディーブのホテルでの夕食。前菜。
メインの魚とエビ。
デザート。
ダル・エル・カマル村での昼食。
前菜。
前菜の揚げ物三種は定番のようですが、日本人の口にもあって、昼食にはこの前菜だけでも充分な気がします。
メインの焼肉。
デザート。アラブ世界ならでは激甘スウィーツです。
シュトゥーラ・シュトゥーラパーク . . . 本文を読む
レバノンの食事のまとめです。
朝食はホテルでのビュッフェなので、自分の好みもあってかわり映えしないので、代表例として、シュトゥーラ・シュトゥーラパークでの朝食を載せておきます。
フランス統治時代の影響なのか、クロワッサン等のパンが美味しかったです。また、キリスト教徒の多い国のため、豚肉のハムも出されました。
以下は、昼食と夕食を載せていきます。
ジェイダ洞窟での昼食。
レバノン料理で . . . 本文を読む
世界ネコ歩き・レバノン編です。
ジェイタ洞窟入口にて。
ここには、多くのネコがいました。
レバノン杉の森にて。
聖アントニウオス修道院にて。
ベイルート・海岸遊歩道にて。
シドンの旧市街地にて。
アンジャール遺跡にて。
ニハ遺跡にて。
バールベック遺跡にて。
ベイルートにて。
やはりイスラム圏の国はネコが . . . 本文を読む
国立博物館の見学を終えて外の壁を見ると、レバノン内戦の銃痕を修理した跡がみられました。
最近耳にするようになった「ダークツーリズム」の範疇に含まれるレバノン内戦の痕跡を、今回の旅でも多く見ることができました。レバノン内戦は、複雑な経過をたどりますが、以下のように要約できるかと思います。
中東では、イスラム国家が大部分を占めますが、レバノンではキリスト教徒が中心の国になっています。第一次世界大戦 . . . 本文を読む
国立博物館の二階の展示物を見学しました。
左上は、ビブロス出土の陶器製牡牛の頭部。
この博物館での代表的展示物のひとつであるビブロスのオベリスク神殿地下から出土したブロンズ製の兵士像。
30センチに満たない小型の像ですが、たくさん並んでいるのは壮観です。
これは一回り大きな像。
1階部入り口の眺め。
小さな陶器製の像。
カバのようです。
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国立博物館の地階を見学しました。各時代の葬儀関係の遺物が展示されていました。
帆船とライオンの像が描かれた石棺。貿易の栄えたフェニキア時代のものでしょうか。
副葬品の土器類が展示されていました。
遺体を納めた瓶。
ネックレス。
チュニジアのカルタゴにおけるトフェ(タニト神の聖域)で見た丸と三角を組み合わせたタニトの印に似た感じがします。
フェニキア文 . . . 本文を読む
国立博物館の1階展示物の続きです。素性の判らないものの方が多いですが。
ビブロス遺跡にあった守護神エシュムンの娘イザヤの像
そのアップ。
モザイクも多く展示されていました。
ニハ遺跡やバールベック遺跡でもゲートの要石部に似た鷲の彫刻が施されていました。
中央はアスタルテ神の玉座。
エジプト関係の出土品のようです。
円形劇場のミニチュ . . . 本文を読む
第七日目は帰国日となり、ベイルートへ戻ることになりました。途中まではダル・エル・カマル村からやってきた道と同じで、霧に包まれた峠を越えるとじきにベイルートの街が見えてきました。
ベイルートの街に戻って、まず国立博物館の見学を行いました。
入館すると、石棺やモザイクが目に飛び込んできました。1919年に開館された2階建て、
地下1階の中東屈指の博物館です。
国立博物館は、レバノン内 . . . 本文を読む
バールベック遺跡の見学後昼食をとり、クサラのワイナリーに向かいました。雪山や緑豊かな畑の眺めは、中東というイメージからは外れています。
モスクを見て、やはり中東であることを思い出しました。
クサラのワイナリーの前庭。
シャトー・クサラというワイナリーは、1974年まではイエズス会が管理していました。
このワイナリーは、観光客向けの見学コースが設けられています。
三通り . . . 本文を読む
バッカス神殿に続いて、その脇にあるアラブ人の要塞を利用した展示場を見学しました。
鷲の像。
展示物の由来をひとつずつ確認する余裕は無かったので、写真だけを載せておきます。
キリスト教時代の聖人像でしょうか。
墓石かな。
石棺。
ライオン。
彫られているのは、アラビア文字でしょうか。
入り口付近の壁にはモザイクも飾られていました。
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ジュピター神殿の基壇の縁に立つと、バッカス神殿が目に飛び込んできました。
最初は、原形が良く保存されている神殿だなという印象でしたが、下に立つ人と比べるとその巨大さをようやく認識することができました。
入り口の幅34m、奥行き69mで、ジュピター神殿よりは小さいものの、ギリシャのパルテノン神殿よりも巨大です。
バールベック遺跡は、シリアのパルミラ遺跡、ヨルダンのペトラ遺跡と並んで、中東の . . . 本文を読む
バールベック遺跡へ入場しました。
バールベックの名前はベッカー高原のバール神(嵐と慈雨の神)の意味です。歴史家ヘリオドスは、ここをギリシャ神のゼウス神になぞらえてヘリオポリス(太陽神の都市)と呼んでいます。本来はフェニキア系の神々の聖地でしたが、後にギリシア・ローマ系の神々と習合し、祭神はジュピター・ビーナス・バッカスと呼ばれるようになり、2世紀から3世紀の頃には三神をそれぞれ祀る三つの神殿が設 . . . 本文を読む
バールベック遺跡では、まず石切り場を見学しました。バールベックで用いられた石はここで切り出されました。入り口に立つと巨大な石が目に入ってきました。
下に立つ人と比べて、ようやく石の巨大さが把握できます。
石切り場に下りて、巨大な石の周りを一周しました。
もう一個の巨石が、作業中止によって半ば埋まった状態になっていました。
置かれていた案内板によれば、長さ21m、幅4.5m、 . . . 本文を読む