アミール・ティムール廟は、ティムール一族が眠る廟です。「支配者の墓」という意味からグリ・アミ-ル廟とも呼ばれます。
もとは、ここにティムールの孫のムハンマド・スルタンが建てたメドレセとモスクがありましたが、1403年のトルコ遠征で彼は戦死してしまったため、ティムールは彼を偲んで廟を建設しました。廟は1404年に完成しましたが、その1年後にティムールは中国遠征の途上で病死してしまったため、ここに葬 . . . 本文を読む
シャーヒズィング廟群の参道の最奥部です。正面はフッジャ・アフマッド廟で、1350年に造られた二番目に古い廟です。他の廟の原型になっています。
奥に向かって右にあるのは、クサム・イブン・アッバース廟です。11世紀に造られ、モンゴル来襲の際にも壊されず、サマルカンドで最も古い建造物になっています。
クサム・イブン・アッバース廟内部の天井装飾。
美しい装飾が施されていました。
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ジョブ・バザールに続いて、シャーヒズィング廟群を訪れました。
ティムール縁りの人々の霊廟が、丘の上に向かって一直線に並んでいます。
シャーヒズィングとは、「生ける王」という意味で、伝説に基づいています。7世紀のこと、布教のためにサマルカンドにやってきたムハンマドの従兄クサム・イブン・アッパースは、ここで礼拝している最中に異教徒に襲われ、首をはねられてしまいます。ところが、彼は動ずることなく礼拝 . . . 本文を読む
ビハニム・モスクの見学を終えて、隣接するジョブ・バザールを見学しました。
ジョブ・バザールは、丘の麓に設けられており、上下二段のフロアーになっていました。ビハニム・モスクの入り口脇が集合場所であったため、下段のフローアーまでは行く時間がありませんでした。下段は、野菜などが売られて、より庶民的な店揃えになっているようでした。
上段の市場は、パンや菓子、スパイスが売られており、観光客が見て . . . 本文を読む
サマルカンド市内に戻って、まずはビビハニム・モスクの見学を行いました。
通りを挟んでハズラティ・ヒズル・モスクがあります。
廟に向かう通りには、針金でできた飾りが取り付けられていました。夜になると電飾が光るようです。
ビビハニム・モスクは、かつてイスラム世界で最大級の規模を誇ったモスクの跡です。
1399年、遠征から戻ったティムールは、世界に比類ない壮麗なモスクを造る決意をしま . . . 本文を読む
シャフリサーブスからサマルカンドへは3時間の移動になりました。
丘陵地帯が広がるようになり、時折現れる民家には、家畜を飼うための囲いが設けられていました。
羊の大群。
羊が一匹、羊が二匹、羊が三匹・・・眠くなる目をこすりながら、風景を眺め続けました。
山も現れてきました。
高原地帯に入ってきているので、標高2000m級の山でしょうか。登頂意欲がそそられます。
あの尾根を . . . 本文を読む
シャフリサーブスでは、アク・サライ宮殿に続いてドルサオダット建築群を見学しました。
ドルサオダット建築群は、「大いなる力の座」という意味で、かつては広大な建築群が設けられていました。
ティムールが、22才の若さで戦死した長男のために建てたジャハンギール廟が崩れかかった姿でそそり立っています。
ジャハンギール廟の壁には、一部ですが、模様も残されています。
ジャハンギール廟の背後は . . . 本文を読む
東京と違って、展覧会開催状況には不満足なところもある新潟ですが、それでも時々は興味深いものが開催されます。
ミュシャ展が2013年6月1日から8月11日の期間、新潟県立万代島美術館で開催されているので、見学してきました。
東京、新潟、松山、仙台、札幌で開催されるとのことですが、金曜の午後の新潟会場では、絵に向き合うのに不自由しない空いた状態でした。
ポスターや公式プログラムの表紙には、ミュシ . . . 本文を読む
旅の五日目は、ブハラからシャフリサーブス経由でサマルカンドへ移動することになりました。今回の旅では、一番長時間の移動になりました。まずは、シャフリサーブスまで4時間の移動。
道は、「ステップ」と呼ばれる乾燥した原野の中に続いていました。
「ステップ」は、森林を形成するほど湿潤ではないが、砂漠というほど乾燥していないような原野で、中央アジアを中心とするものは最大規模のもので、グレートステップ . . . 本文を読む
ブハラの夕食は、民族舞踊ショーを見ながらのものになりました。会場は、宿泊ホテルの隣のグランド・ブハラでした。
食事の間にショーが続いたので、いそがしい撮影になりました。
まずは、民族服を着た女性の踊り。
一曲終わると、創作民族衣装のモデルが登場しました。
この後は、踊りとファッションショーが交互に繰り返されることになりました。
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ラビハウズ周辺の見学を終えてバスに戻り、チョル・ミナルに向かいました。
旧市街地の路地を歩いていくと、チョル・ミナルが現れました。
チョル・ミナルとは、四本のミナレットという意味です。
1807年にトルクメニスタン人の大富豪によって、メドレセの門番小屋として建てられました。メドレセは無くなっていますが、この建物だけが残されています。
建物に上がることができました。ミナレットの上 . . . 本文を読む
アブドゥールアジス・ハン・メドレセの見学を終えて通りを歩いていくと、タキ・テルパクフルパクシャンに出ました。
タキ・テルパクフルパクシャンは、かつては帽子市場でしたが、ここも土産物屋が並んでいます。
アゴキ・アッタリ・モスク。
マゴキは「穴の中」という意味で、1936年ロシアの考古学者が砂の中に埋もれているのを発見しました。創建は9世紀に遡ることができるようですが、破壊と再建が繰り返 . . . 本文を読む
カラーン・モスクの見学を終えて旧市街地を東に向かうと、タキ・ザルガロンが現れました。
タキとは、大通りの交差点を丸屋根で覆ったバザールです。
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16世紀当初のタキは専門色が強く、宝石商市場、帽子市場、両替屋のバザールが発達しました。
このタキ・ザルガロンは、宝石商市場でした。
現在では、タキ内には土産物屋が並んでいます。これは、スザニの店。
これはシルク製で大きく . . . 本文を読む
アルク城の下に広がるレギスタン広場に立つと、青いドームやミナレットが見えてきました。
旧市街の中心地に向かって歩いてきます。
通りに面して、屋根つきの通路が設けてあります。雪国新潟の街では、雪が積もっても店の前の屋根付き通路を自由に歩けるようにするため、雁木造りと呼ばれる建築形式が発達しましたが、ここは日除けが目的でしょうか。
青いドームは、文字の模様で飾られています。
通 . . . 本文を読む