陝西省歴史博物館の展示物を歴史順に見ていき、秦の時代になると、兵馬俑が沢山並んでいました。
ここでは、間近に見られることが魅力でしょうか。
兵馬俑に武器類、埋葬品が展示されていました。
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西安二日目の午後には、陝西省歴史博物館を訪れました。歴史順に展示されており、その数も多く、とても見切れるものではありませんでした。
館内は、フラッシュを使わなければ撮影可能でしたので、写真を撮りながら歩くことになりました。
入り口を入ると、則天武后の母の楊氏の陵墓から出土した巨大な獅子像が出迎えてくれました。
まずは、旧石器時代の頭蓋骨の展示から始まりました。
土器
模様 . . . 本文を読む
華清池(かせいち)は、西安の北東約30kmの、標高1256mの驪山(りざん)の麓にあります。2700年前に発見された温泉地で、歴代の王朝によって離宮が造られてきました。
特に、唐の玄宗皇帝と楊貴妃の恋愛をうたった長恨歌の舞台として有名です。
入場すると、まず展覧館が目に入ってきます。
その左手には九龍湖があります。池には、夜に行われる舞踊ショーの舞台が浮かべられていました。
池 . . . 本文を読む
兵馬俑坑に続いて、秦始皇陵を訪れました。
秦始皇帝の陵墓で、小さな丘になっています。これも、1974年の最近に発見されたものです。兵馬俑坑は、秦始皇陵の一部と言うことになります。
丘の上に向かって階段が続いています。
集合時間を決めて、ツアー客のうち数人が丘の上に向かいました。
頂上から振り返ったところ。
せっかく登った丘の頂上ですが、特に見るようなものはありませんで . . . 本文を読む
最後に、文物陳列館を見ました。
吹き抜けには、大きな人形が飾られていましたが、お目当ては、地階にあります。
二分の一サイズで作成された銅馬車が展示されています。
1980年12月に二台の馬車が発掘されました。こちらは、一号車と呼ばれています。
人・馬・車は銅で造られ、金銀で装飾されています。
こちらは、二号車。
このような埋葬品が、これからも発掘される可能性があ . . . 本文を読む
秦始皇帝兵馬俑の2号抗は、広大な発掘現場です。
この抗では、発掘状態がそのまま展示され、大部分はまだ土に埋められたまま保存されています。
一部は試掘されています。
この坑が発掘されたのは、まだ最近のことです。
発掘直後の写真が展示されていました。人々が驚かされたことは、彩色された兵馬俑が発見されたことです。
彩色された兵馬俑は、生きているように見えます。しかし残念なが . . . 本文を読む
兵馬俑1号抗に続いて、3号抗に入りました。
兵馬俑3号抗は、比較的小規模です。
発掘状態のまま展示されています。
2号抗は、戦車を含んだ、重装備の隊で構成されています。
修復中の頭が無い像が多く見られます。
一周して3号坑に向かいました。 . . . 本文を読む
高頭山(たかずこやま)は、富山県中央部の熊野川沿いにある山です。
この山の登山口は、「槍ヶ岳開山」で名高い播隆上人生誕の地にあります。
立山ICで高速を下りて、立山方面に向かい、岩峅寺から熊野川ダムに向かいます。ダムを過ぎると、ガードレールも無い崖際の細い道に変わって、河内に到着します。今は廃村になっており、人影も見当たりません。
まずは、播隆上人のお墓が現れます。播隆上人の生家である中村家 . . . 本文を読む
西安二日目は、まず秦始皇帝兵馬俑博物館に向かいました。
今回は、1991年に続いての二回目の訪問ですが、全くさま変わりしていました。
駐車場から博物館入り口までは、土産物屋やレストランが並ぶ近代的なストリートになっており、行きは電気自動車で入口まで進みました。
現在、兵馬俑博物館には、1号抗、2号抗、3号抗及び文物陳列庁などが整備されています。
先回あったのは、この1号抗だけでした。
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夜になったところで、西安の夜の街に出かけました。先回見逃していた鼓楼と鐘楼を目的に、中心地に向かいました。
西の城門から、西大街の大通りを進みましたが、大通り沿いには、新しいビルが並んでいました。
中国では、上海などの海岸部の都市と比べて経済発達が遅れているということで、内陸部の西安の再開発に力が投じられます。
通りに面してなにかの廟の入り口がありました。
なかなか派手な色合いです . . . 本文を読む
興慶宮公園に続いて、空海ゆかりの青龍寺に向かいました。
青龍寺は、隋の時代に建てられた霊感寺がはじまりで、唐の時代に名前を変えました。
その後、廃寺になっていたものを、1973年に土台が発掘されたことから、再建されたものです。
細い未舗装の道の奥に、入り口がありました。
入り口の先には、庭が広がり、塔が奥に見えていました。
日本語を話すことのできる女性スタッフが説明につきました。
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西安で西門を見た後は、興慶宮公園に向かいました。
興慶宮は、唐代の三大宮に数えられ、その跡地に設けられた公園です。
この公園を日本人観光客が訪れるのは、阿倍仲麻呂の碑があるためです。
この碑は、奈良と西安が姉妹都市になった五周年を記念して、1978年に造られたものです。
阿倍仲麻呂は、遣唐使として中国に渡り、科挙試験にも合格して、玄宗皇帝のもとで政府の要職につきました。日本に帰国しよう . . . 本文を読む
西安の城壁は、夜になるとライトアップされます。初日の夜は、雨のために城門の上のライトアップが行われていなかったため、二日目の夜に、再度出かけました。
幸い、泊まったホテルから西の城門へは、2kmほどの距離だったので、歩くことができました。
ツアーでは、この夜景は案内されないため、西安を訪問することがありましたら、鼓楼や鐘楼と合わせて見学することをお勧めします。
旧城門の脇の城門には穴が開 . . . 本文を読む
敦煌観光を終えて、飛行機で西安に移動しました。
西安は、古くは長安と呼ばれ、紀元前11世紀頃から各王朝の首都がおかれ、歴史を有する古都です。明の時代に、西安府が置かれたことが、西安の名前のはじまりになっています。
西安に到着して、まずは西の城門から観光を始めました。
現在の西安の旧市街地は、南北2.5km、東西4.2kmの城壁で囲まれています。この城壁は明の時代に造られたものです。長安が最盛 . . . 本文を読む
敦煌大劇院の雑技と舞踊を合わせたショーの続きです。
最後は、千手観音の踊りになりましたが、最前席に座っていたため、撮影の際にセンターがずれてしまったのは残念でした。
これにて敦煌での観光は終わりで、翌日は飛行機で西安に向かいました。 . . . 本文を読む