今回は、ベトナムを訪れました。利用したツアー以下のものです。このツアーを選んだのは、中部ベトナムを訪れてホイアンのランタン祭りを見学できることでした。
予定の計画と若干の変更があり、さらに自由時間を利用してこれ以外の場所も訪れています。
「ロマン溢れるベトナム縦断紀行 7日間」(クラブツーリーリズム社)
2013年
第一日目 2月20日(水)
成田発 10:00 (VN0311)ハノイ着 14 . . . 本文を読む
ミャンマー旅行のホテルの朝食はビュッフェスタイルで、品物も揃っていました。ただ、出発が早いので、あわただしい食事になってしまいました。
朝食では毎回麺を食べていました。
マンダレーの夕食は、タイ料理でした。隣国とあって、ミャンマーでもタイ料理は普及しているようです。
タイ料理を代表するトムヤムクン。
ミャンマー風にアレンジされているようにも思えます。
バガンの . . . 本文を読む
ミャンマー旅行での食をまとめておきます。パック旅行のため、現地の人の食べるミャンマー料理とは少し違っていると思います。
ガイドブックにも、「料理に大量に使われている大量の油でお腹をこわすのは、いわばミャンマーの通過儀礼のようなもの」と書かれているので心配していたのですが、旅行会社の配慮のおかげか、下痢については無事に旅を終えることができました。
まず、ヤンゴン到着の夜食としてレストランで食べた . . . 本文を読む
ミャンマーでは、車は右側通行です。ミャンマーは英国植民地であった関係で左川通行であったのですが、1970年に左側通行に変更されました。ミャンマーは、右側通行の中国・ラオスと左側通行のタイ、インド、バングラデシュ両方と接していますが、その国境線の長さからすれば、右側通行にするメリットはあまりありません。英国の影響をきらったためと言われています。
右側通行にもかかわらず、ミャンマーの車のほとんどは、 . . . 本文を読む
先回のトルコ旅行では、沢山のネコに出会い、ミャンマーのネコはどうなのだろうと思いながら旅に出ました。インドではネコはほとんど見かけませんでしたが、タイではネコにも良く出会いました。その中間のミャンマーでは?
ヤンゴン到着時に寄ったレストランの入り口で、さっそくネコに出会いました。
続くバガン遺跡では、ネコには出会いませんでした。イタリアやトルコの遺跡にはネコが沢山いましたが、バガン遺跡は野良犬 . . . 本文を読む
シュエモードー・パヤーに続いて、シュエターリャウン寝仏を訪れました。
全長55m、高さ16mの巨大な仏像です。
994年にモン族のミガティパ王によって造られましたが、バゴー王朝の滅亡と同時に忘れられ、イギリス植民地時代の鉄道敷設のために訪れたインド人技術者によって再発見されたといいます。
足元から見て、ようやく全身を見通せます。
足裏には、仏教宇宙観図が描かれています。
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チャカッワイン僧院の後は、シュエモードー・パヤーを訪れました。
シュエモードー・パヤーの歴史は、1200年以上さかのぼるといいます。
仏陀の遺髪二本をおさめるために高さ23mの塔を建てたのが始まりで、その後少しずつ高さを増していったものの地震の被害を受け、特に1931年の地震では塔が崩れる被害を受けました。1954年の再建されて、現在では、ヤンゴンのシュエダゴォン・パヤーを超える114 . . . 本文を読む
バゴーは、ヤンゴンの北東約70kmにあります。13~16世紀にはモン族の王都になり、下ビルマの中心地でした。
バゴーでは、まずチャカッワイン僧院を見学しました。チャカッワイン僧院は、ミャンマー国内有数の規模を持つ僧院で、1000人以上の若い僧侶が修行に励んでいます。
10時半からの食事風景を見学することになりました。
信者から寄進されたインスタントラーメンや菓子が並べられていました。 . . . 本文を読む
シュエダゴォン・パヤーを見学した後は、「カラウェイ・パレス」で、民族舞踊ショーを見ながらの夕食になりました。
聖鳥カラウェイを模した豪華な建物です。まずは、入り口で写真撮影のために足を停めることになります。
民族衣装を着た男女が出迎えてくれます。
高く髪を結いあげた女性。
衛兵の衣装でしょうか。
国王夫妻といったところです。
客がホールを埋め尽くしていました。食 . . . 本文を読む
シュエダゴォン・パヤーは、ミャンマー最大の聖地で、ヤンゴン市街地北部のシングッダヤの丘の上に建てられています。
シュエダゴォン・パヤーは、2500年以上の歴史を持つといわれ、仏陀の八本の整髪を収めたのが始まりとされています。
南参道から入りエレベーターで上がって境内に入りました。本当は、参道を歩いて入りたかったのですが。
広い境内には、建物が並んでいますが、菩提樹の大木もありました。
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スーレーパヤーに続いて、ボーヂョーアウンサン・マーケットを訪れました。
ボーヂョーアウンサン・マーケットは、英国時代の1926年に建てられ、ヤンゴンで一番大きなマーケットです。観光客も大勢訪れていました。
中央の通路の両脇に、小さな店が密集して広がっています。
まずは、Tシャツのお店で買い物をしました。
自分用の海外土産としてTシャツを買うのですが、着ないものがたまっていま . . . 本文を読む
交通量の多い車道を横断して、ロータリーの中にあるスーレー・パヤーに進みました。
スーレー・パヤーは、街の中心にあって参拝者も多く、内部は豪華な造りになっています。
四面に仏さまが置かれており、光背が電飾で輝いています。
若い女性が、「八曜日」の像に水をかけて熱心におまいりしていました。
ミャンマーでは、上座仏教が信仰されていますが、庶民には「八曜日」信仰が広まっています。
「 . . . 本文を読む
旅の六日目になって、ミャンマー到着地点であるヤンゴンに戻ってきました。
ヤンゴンは、1852年の第二次英緬戦争によって英国により占領され、以後、英国領ビルマの商業的かつ政治的な中心地として発展してきました。
ヤンゴンの街並みは英国領時代に造られ、現在でも当時の建物がそのまま残されています。
英国時代からの税関建物
まずは、ヤンゴン港を訪れました。
ヤンゴン港は、ミャンマー最大 . . . 本文を読む