前方に迫ってきた崖が、ライン河下りで、もっとも名前が知られているローレライです。
高さ130mの崖で、航路が大きく曲がる、難所になっていました。
この岩山の頂上には、金髪の水の精が住み、船が通ると歌声を聞かせます。船乗りがその声と姿に魅せられてわれを忘れると、船は岩に衝突して難破し、命を落とすことになったといいます。
岩壁に向かって叫ぶと、木霊が返ってくることから、伝説が生まれたようです。
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日曜日には、南会津の山の予定が入ったため、土曜日には福島県側の飯豊の端山あたりに登ろうかと思って地図を見ていきました。今年は、異常に雪が少ないため、雪の多そうな所を考える必要があります。
そこで目に付いたのは、喜多方の北にある暑塩温泉近くの三ノ倉山と円ノ花山です。山頂一帯は緩やかな台地状で、スノーシュー歩きに良さそうです。山麓には、三ノ倉山スキー場があり、『日本一好いてるスキー場』をキャッチフレ . . . 本文を読む
あいにくと、雨が降り出して、写真映りが悪くなってきました。
ライヒェンシュタイン城
11世紀頃に築かれ、盗賊騎士団の拠点になり、何度も破壊された古城です。
ゾォーネック城
これも盗賊騎士団の拠点になり、後に大司教の持ち物になりました。
ニーダーハイムバッハの町とハイムブルク城
フュルステンブルク城跡
シュタールエック城
プファルツ城
プファルツ城は、14世紀に . . . 本文を読む
ライン川は、スイスの山仲に源を発し、ヨーロッパ大陸の中央部を北に流れ、北海にそそぐ、長さ1320kmの大河です。
ローマ軍は、この川をさかのぼって、ゲルマンの地に植民地を作りました。後世には、重要な交易路となり、通行税を取り立てるために、支配権をめぐっての騒乱もたびたび起こるようになります。
日本でも知られているライン川下りは、マインツからコブレンツへの90kmのクルージングです。次から次に現 . . . 本文を読む
フランクフルトは、日本からの飛行機も直行便が入っており、訪れる日本人観光客も多い都市です。近代都市で、古い建物の見どころはそう多くはありません。
レーマー広場にある市公会堂
ローマ人が進出して、この地に砦を築いたことからレーマーベルクとも呼ばれます。
1405年、フランクフルト市の参議会は、三軒の貴族の館を買い取って支庁舎とし、その後、神聖ローマ帝国の皇帝選挙の場となり、宴会や戴冠式が行われ . . . 本文を読む
マールブルクは、旧西ドイツの中央部にある古都です。ラーン川に囲まれた丘の上に建つ方伯の城を見上げるように、麓に旧市街地が広がっています。
丘の上に建つ方伯の城です。
麓に広がる古い建物と合わさって、独特のムードが漂っています。
エリザベート教会
1221年にマールブルクに輿入れしたハンガリー王女エリザベートは、貧者や病人への福祉に力をつくし、聖者として崇められました。この教会は . . . 本文を読む
高内山(たかうちやま)は、長岡の西に連なる西山の、越後線石地駅近くにある里山です。
昨年末に新聞に登山道が整備されたという記事が載っていたので、様子を見るため再訪しました。
荒谷の集落に、新しく案内標識が置かれていました。
民家の脇を抜けていく細い車道を登っていくと、稜線手前に駐車スペースがあり、ここから歩き出しました。
すぐ上が三叉路で、ここは左に。
このような案内標識も置かれ . . . 本文を読む
1750年~61年にかけて建造された聖ミヒャエル教会は、ハンブルクの街のシンボルになっています。
大天使ミカエルに由来する教会ですね。フランスのモン・サン・ミシェルも大天使ミカエルに由来する修道院です。
132mの塔の上まで、エレベーターで上がることができます。
眼下に街を見下ろすことができます。
ハンブルクは、この港と共に栄えてきました。
幅広の道路が設けられている脇に . . . 本文を読む
ハンブルクは、ドイツの北西部のエルベ川の支流・アルスター川の河口にある港湾都市です。ハンザ同盟の一員で、正式には、自由ハンザ都市ハンブルクといいます。
大火や第二次大戦の被害によって旧市街地は残されていない近代的な商業都市です。
街の語源が、古ドイツ語の「湾の城」に由来するように、アルスター川をせきとめてつくった内アルスター湖と外アルスター湖、はりめぐされた運河で、現在でも水に縁の深い街です。 . . . 本文を読む
ヨーロッパの他の古都と同じく、ブレーメンでも教会が並んでいます
二つの塔を持つ聖ペトリ大聖堂(ドーム)
11世紀に基礎が置かれ、16世紀と19世紀の改造によって、現在の姿になっています。
聖母教会
ベットヒャー通り
1924年から1931年にかけて、ブレーメンのコーヒー商人ロゼリウスが私財を投じてつくらせた、ゴシック様式とアール・ヌーヴォーを取り入れて中世の街路を再現した通りです . . . 本文を読む
午前は雨のようなので、雪山はあきらめて、雪のない山に春を探しにいきました。
この山ですが、名前は出さないことにしておきます。
確かに、雪割草も咲き始めていました。太陽が出ていないので、花が充分に開いていないのは残念ですが、晴れていれば、雪山に行ってしまったでしょう。
キクバオウレンも咲き始めていました。
キクザキイチゲの蕾のようです。
ヤブツバ . . . 本文を読む
ブレーメンは、ドイツ北部の北海にそそぐヴェーザー川の河畔にある都市です。外港都市であるブレーマー・ハーフェン市とともに自由ハンザ都市ブレーメンを構成しています。
交通の要所にある古くから発展した都市ですが、ハンザ同盟の一員として繁栄を極めました。第二次大戦では、町の69%が破壊されるとう被害を受けましたが、昔の古い家並みは復元されています。
これは中心になるマルクト広場。
広場に立つ市庁舎 . . . 本文を読む
久しぶりの晴天がめぐってくるようなので、展望の雪山を楽しむため、山形県小国町の南の極楽山を登りに出かけました。
朝日連峰と飯豊連峰に挟まれた小国町も雪が少なかったですが、飯豊に向かうと雪も増えてきました。叶水から新股に入り、冬季閉鎖中の極楽峠への道を見送って弥六沢橋を目指します。
弥六沢橋を渡った先に駐車スペースがあります。
弥六沢橋を振り返ったところ。
弥六沢の左岸沿いに林道が通って . . . 本文を読む
晴天の土曜日を見逃し、雪の日曜日に山に出かけることになってしまいました。それでも午後には回復してくるようなのが救いです。雪の多い所ということで、先週に続いて山古志の猿倉岳と萱峠を登ることにしました。
途中の金倉山もすっかり雪が少なくなっていましたが、それでも種苧原に入ると、一面の銀世界が広がるようになりました。山古志の中心部で、雪も最も多い地区です。
あまやち会館下の除雪終点部が歩きだしになり . . . 本文を読む
ツェレは、北ドイツにある木組みの家が並ぶ街です。北ドイツの真珠と言われ、世界遺産に登録されています。
駅名板にも、ロマンチックな木組みの街といったことが書かれています。
駅から歩いていくと、ツェレ城に出ます。
16世紀にルネッサンス様式に改築され、後にバロック様式が加わったお城です。
小さいながら美しいお城です。
街の旧市街地は、木組みの家が並んでいます。これは、第二次大戦の . . . 本文を読む