トルコ料理というと世界三大料理に数えられます。パックツアーのため、予算・時間の面で制限があって多くは期待できませんが、トルコ料理の一端を経験することができました。
朝食はビュッフェスタイルのため、他の国と変わらないものです。ただ、イスラム圏とあって豚肉が使われないため、ハムやソーセージはあるものの、羊肉を使っているのかあまり美味しくありません。
早朝出発がほとんどのため、食欲は無く、朝食は簡単 . . . 本文を読む
旅行直前に、NHK・BSで「岩合光昭の世界ネコ歩き」という番組が放送され、その第一回はイスタンブールでした。トルコ旅行では、ネコ撮りも目的の一つになりました。
まずは、サフランボルのネコ
昼食の時、レストランに入り込んできました。
市街中心地に向かって歩いていくと、塀の上にネコ発見。
散歩中のネコ
見つめるネコ
見つめられるネコ
飼い主に抱かれて。
といって . . . 本文を読む
イスタンブールでの最後の訪問地は、昼食のために訪れたガラタ橋になりました。ガラタ橋は、金角湾に掛かり、新市街と旧市街を結んでいます。橋の下は、魚料理を出すレストランが並んでいます。
入り口近くには、サバ・サンドの店がありました。現在では、ファスト・フッドとして人気が高いようです。
カメラを構えると、魚を焼いていたおにいさんがこちらを向いてポーズをとりました。トルコ人は、観光地で働く人に限ら . . . 本文を読む
アヤソフィアの見学の後、グランドバザールを訪れました。ヌルオスマニエ・ジャミイの脇からグランドバザールに向かいました。
ヌルオスマニエ門からグランドバザールに入りました。
入り口の門に書かれているKAPALICALSIとは屋根のある市場という意味です。
メインストリートであるカルパクチュラル通り。
混雑しており、写真撮影も人通りが途切れるタイミングを待つ必要がありました。
. . . 本文を読む
地下宮殿に続いて、アヤソフィアを見学しました。アヤソフィアは広場を挟んでスルタンアフメット・ジャーミイ(ブルーモスコ)と向かい合っています。この広場の周囲には、トプカプ宮殿や地下宮殿もあり、イスタンブール観光の中心地になっています。
ビザンティン帝国時代にはギリシャ正教の大本山になっていましたが、後にイスラム寺院に姿を変え、現在では宗教色を排してアヤソフィア博物館になっています。
4本のミナレ . . . 本文を読む
トルコ滞在の最終日になり、午前中のイスタンブール市内観光の後、午後は飛行場に向かうことになりました。
まずは、地下宮殿を見学しました。
地下宮殿は、ビザンチン時代の4世紀から6世紀、コンスタンティヌス帝からユスティニアヌス帝の時代に造られた地下貯水池です。長さ141m、幅73m、高さ8mの空間に8万立方mの水を蓄えたといいます。水はヴァレンス水道橋でここに引かれ、オスマン朝時代まで、主要な . . . 本文を読む
ボスフォラス海峡クルーズ船が第2ボスフォラス大橋に近づくと、左手にルメリ・ヒサールの円塔が見えてきました。
ルメリ・ヒサールは、1452年、メフメット2世がコンスタンチノーブル攻略のために築いた要塞です、アジア側のアナドル・ヒサールと向かい合うように造られ、海上封鎖によって、ビザンチン帝国への食糧・武器の運搬を阻止しました。
コンスタンチノーブル攻略のため、4ヶ月で築き上げられたといい . . . 本文を読む
トプカプ宮殿見学の後に、ボスフォラス海峡クルージングを行いました。かなり大きな船なのですが、我々だけの貸切で、ゆっくりと風景を眺めることができました。
船着き場は、金角湾に掛かるガラタ橋のたもとにあり、出航すると、後ろにイェニ・ジャミイが姿を見せていました。
1597年に建築が始まり、建立者の死や資金の行き詰まりによって中断した後、1663年に完成しました。
金角湾を挟んで北は新市街 . . . 本文を読む
ハレムから出て、トプカプ宮殿の見学をさらに続けました。
これは、スルタン・アフメット三世の図書館。15世紀の建物です。
スルタン・アフメット三世の図書館脇には、美しい泉が設けられていました。
宝物館の前にでましたが、先に、その先のバーダット・キョシュクに向かいました。その手前には、ソファー・モスクがありました。
バーダット・キョシュクからは、金角湾や新市街地の眺めが広がっていま . . . 本文を読む
ハレム内の見学を続けていくと中庭にでました。この中庭は、寵姫たちの部屋に囲まれています。
ハレムの女性たちはどのような思いで過ごしたのでしょうかね。
ハレムの内部は複雑で小部屋が続きましたが、時間も限られていたため、何の部屋かを確かめることもできずに通り過ぎていきました。
壁や天井の装飾に目が引き付けられます。
壁には美しいタイルが張られています。
チェシメル・ソファ . . . 本文を読む
トプカプ宮殿は、15世紀中頃から19世紀中頃までオスマン帝国の君主が居住した宮殿です。1453年にイスタンブールを陥落させたメフメット2世は、1460年に現在の位置にトプカプ宮殿を着工し、以後歴代のサルタンが増築を重ねました。
現在は博物館になっており、イスタンブール観光のハイライトといえます。
バーブフマユーン(皇帝の門)から入場します。
バーブフマユーン(皇帝の門)の前には、アフメッ . . . 本文を読む
トルコにはイスタンブールから入国しましたが、到着の晩に泊まっただけで、他の観光地に移動してしまったため、旅の最後にイスタンブール観光をすることになりました。
ホテルは新市街地にあったため、金角湾を渡って旧市街地に入りました。アタチュルク橋の上からは、丘の上に威容を誇るスュレイマニエ・ジャーミィが目に飛び込んできました。
スュレイマニエ・ジャーミィは、オスマントルコ帝国が最も反映した時代のスュレ . . . 本文を読む
トロイ見学の後は、イスタンブールへの移動になりました。
ここまで見学してきたのはトルコのアジア側でしたが、これからはヨーロッパ側の見学になります。
チャナッカレからエジェアバトまで、フェリーで渡ることになります。
バスでフェリーに乗り込みますが、航海中は客用甲板に上がって、風景を楽しむことができます。
甲板から見た乗船所。
フェリーに車が乗りこんできます。
甲板にはベンチが . . . 本文を読む
トロイの遺跡は、ホメロスの叙事詩「イリアス」に描かれたトロイ戦争の舞台となった伝説の地です。トルコ旅行でも欠かせない訪問地になっていますが、遺跡自体の保存状態は悪く、見どころが少ないという問題点もあります。
トロイの遺跡での最大の見どころが、このトロイの木馬であるのは、ちょっと残念なことです。
このトロイの木馬も、もう少しうまく作ってくれたらなという気もします。
木馬の内部には、階段で上 . . . 本文を読む
エフェス遺跡の観光を終え、この日の宿のあるアイワルへ移動しました。アイワルクは、エーゲ海に面した小さな街です。海沿いにあるHALIC PARK HOTELに泊まりました。アイワルクはトロイからエフェスに移動する観光のメインルート途中にあるため、このホテルには、JTBや阪急旅行社など、日本からのツアー客も多く泊まっていました。
ホテルの中庭にはプール、道路の向こうは海水浴場になっていましたが、 . . . 本文を読む