第八日目は、メルブ遺跡を見学してからトルクメナバードを経てトルクメニスタンを出国し、ウズベキスタンのブハラに泊まることになりました。
メルブ遺跡の入口。
入口脇には、メルブ遺跡の模型が展示されていました。メルブは中央アジア最大の遺跡で、シルクロードのオアシス都市として栄えました。
模型よりも地図の方が判りやすいので、こちらで説明。
マルグッシュから人が移ってきて、紀元前1000年前 . . . 本文を読む
早朝の飛行機でアシガバードからマリへ移動し、まずはマルグッシュ遺跡に向かいました。
マリでは再び4駆車に乗車しました。マルグッシュ遺跡への道は、砂地の最悪級の悪路のうえに、風が吹いて砂嵐状態になっていました。
マルグッシュ遺跡の入り口。世界遺産になっています。
マルグッシュでは、紀元前29~27世紀頃、モルガブ川沿いの肥沃な土地にメソポタイアから人々が住み始め、街が築かれました。紀元前2 . . . 本文を読む
第六日目は、まず、アシガバードからマリへ飛行機で移動しました。
アシガバード発6:20のため、朝食はランチボックスになりました。飛行時の待合室で食べました。簡単な内容ですが、早朝で食欲もないので、これで充分です。
マリが近づくと、眼下には農地が広がりました。マリは、カラクム砂漠の中で、ムルガブ川が流れるシルクロードのオアシス都市でになっています。
トルクメニスタンの中でも、マリは農作 . . . 本文を読む
ヤンギ・カラを出発して、カスピ海に面するトルクメンバシにやってきました。この街は、クラスノボツクと呼ばれていましたが、トルクメニスタン初代大統領のニヤゾフによってトルクメンバシ(トルクメン人の長)に変えられました。
貨物船が停泊していました。トルクメンバシは、トルクメニスタン随一の港であり、石油の積出港になっています。
港も整備されており、展望台のようなタワーが建てられていました。
. . . 本文を読む
今晩は、ヤンギ・カラの丘の上でテント泊することになりました。展望を楽しんでいる間にスタッフがテントの設営を終えていました。
地獄の門では、他にもテント泊の者がいましたが、ヤンギ・カラでは我々だけです。
今回のツアーで二回目のテント泊です。
中央の大テントが夕食会場になりました。
夕食のメニューとしてサラダ。
メイン料理はプロフ。
スイカとウリ。
食事を終えた後 . . . 本文を読む
ヤンギ・カラを代表的する展望スポットにやってきました。
丁度、夕日が崖を赤く染める時間になっていました。地元民は、大地が赤く燃え広がっているような姿から「炎の渓谷(FRAME CANYON)」とも呼ぶといいます。崖の高さは200mほどあります。
ヤンギ・カラについての説明を行いましょう。
ヤンギ・カラの大地は、太古に存在した海「テチス海」の底であったものが、隆起した後、風と雨による浸食に . . . 本文を読む
ヤンギ・カラの台地に向かって上がっていきました。オフロード車でないと走れない状態です。
次第に崖を横から眺めるようになってきました。
台地の上に出ました。丘の上にはまばらに草が生えていました。
丘が細くなって東西の眺めが広がる所で、写真ストップになりました。
まずは東側の眺め。
崩壊が進んで、一番上部の茶色の地層が落下しています。
平地が彼方まで広がっていました . . . 本文を読む
バルカナバードを出発すると、じきに幹線道路を離れて地方道の走りになりました。
小さな集落を通過していきました。
集落ではラクダも飼育されていました。
車は平地を走っていきましたが、崖の下に平地が現れてきました。
青空トイレも兼ねてストップ。眼下には、広大な平地が広がっていました。
この平地は、約2億年前から、新生代第三紀まで存在していたテチス海の跡だといいますが、 . . . 本文を読む
第五日目の観光目的地はヤンギ・カラですが、その最寄りの町はバルカナバードになります。
アシガバードからカスピ海に面するトルクメンバシに向かう高速道を進みました。
途中のパーキングでトイレ休憩。我々グループの乗る日本製4駆がずらりと並びました。
パーキングのいっかくで果物を売っており、ヤンギ・カラでのテント泊の際のデザートとして買ってくれました。
立派なザクロも売られていました。 . . . 本文を読む
ニサ遺跡見学の後、アハルテケ飼育場を訪れました。
アハルテケは、トルクメニスタン原産の馬の品種ですが、中国の歴史に登場する汗血馬の子孫と考えられています。
紀元前4世紀頃から中国は北方民族の侵入を受け続けました。動作が機敏で頑健な北方民族の騎兵に比べ漢民族の使う馬は痩せて非力な馬が多く、重装した兵士が跨って戦う事ができませんでした。前漢の武帝時代に、張騫は対匈奴の同盟を説くため大月氏のもとに派 . . . 本文を読む
アシガバード国立博物館の見学後、郊外に残るパルティア王国時代の都市遺跡である。王の建造物群のあった旧ニサ遺跡を訪れました。民衆の居住地区であった新ニサ遺跡は1.5kmほど離れたところにあります。
バルティア王国は、紀元前3世紀から紀元後3世紀にかけて強大な力を誇った騎馬民族国家です。
旧ニサ遺跡は、40もの塔を持つ高さ11~13mの城壁で囲まれていました。塔が並んでいた跡が見られました。
. . . 本文を読む
アシガバードの市内観光で、アシガバード国立博物館を見学しました。
中央ホールの吹き抜けの上に向かって、長い柱が延びていました。
博物館の一階の大部分を占めて、ベルディムハメドフ現大統領の記念品の展示が行われていました。
見学者は私たちだけで、要所に立っている博物館スタッフの方が多い状態でした。
一階では、絨毯の展示も行われていました。
正面の絨毯は、世界で二番目に大きい絨 . . . 本文を読む
郊外にあるアハルテケ(汗血馬)飼育場の見学後、アシガバード市内に戻り、近未来的なショッピングモールの上階にあるレストランで夕食をとりました。
レストランはテラス席で、周囲の夜景が広がっていました。このレストランは高級レストランとのことでした。料理自体は普通のものでしたが。
料理が出てくる間に、風景を眺めながらテラスを一周しました。
ライトアップの光の色は刻々と変わっていきました。 . . . 本文を読む
地獄の門を出発してトルクメニスタンの首都のアシガバードに向かいました。
道路が広くなって、アシガバードが近づいたことを知りました。
アシガバードの街に入る前に洗車が行われました。広い洗車場が設けられていました。これは法律で定められており、泥だらけの状態でアシガバードに入ると罰金を取られるといいます。
他の町でも見た画一的な家が並んでいました。
遠くに見えてきたのはアシガバードの . . . 本文を読む
夕食を終えるとあたりは暗くなっており、地獄の門の夜景を見学することになりました。
まずは、宿営地脇の丘の上から眺めました。クレータが焔によって赤々と照らされています。
焔をバックにして、見学者のシルエットが浮かび上がっていました。
ヘッドランプの灯りを頼りに、地獄の門に向かいました。
昼間よりも焔が立ちあがって見えて、迫力のある眺めになっていました。
焔を眺めながらク . . . 本文を読む