インド人街の外れに中国風建物の潮州会館がありました。広東省東部の潮州出身者によって1870年に建てられました。
門の脇には、美しい絵が飾られていました。
隣の建物の屋根には、うだつが設けられていました。
マスジット・カピタン・クリン通りに出ると、カピタン・クリンモスクが現れましたが、この見学は後回しにして先に進みました。
続いて現れたのは、ヤップ・コンシー(叶公司)。福建省 . . . 本文を読む
ペナン・プラナカン・マンションの見学の後は、歩いて近くのインド人街に向かいました。
さっそくインド系の人が歩いてきました。
ナンを焼いている店も現れました。
家並みの中には、梅氏家廟と書かれた建物もあり、各民族が入り混じっているのが判ります。
サティ(焼き鳥)の店。インド料理というよりは、東南アジア諸国で広く食べられている串焼き料理です。
インド風の衣装を売っていまし . . . 本文を読む
クアラルンプールから別行動で走ってきたバスに乗って、ジョージタウンの中心部に向かいました。
まずは、ペナン・プラナカン・マンションの見学を行いました。
ペナン・プラナカン・マンションは、ペナンの有力者ハイキーチャンによって19世紀末に建てられた典型的なプラナカン邸宅です。プラナカンとは、15世紀後半から移住してきた中華系移民の末裔をさします。
ハイキーチャン夫妻の写真。
その昔、中 . . . 本文を読む
バタワース駅に隣接して、ペナン島のジョージタウンへのフェリー乗り場があります。現在、ペナン島へは橋も架かっていますが、車の利用も多いようです。
入口にあった動物持ち込み禁止の案内板。左は、子牛か子羊でしょうか。他はイラスト状なのに、ネコだけが漫画的になっています。
二階部に乗り込みましたが、中央にベンチが置かれて、両脇には車が入ってきていました。
バタワース側の港。貨物船や漁船が . . . 本文を読む
KLセントラル駅からマレー鉄道に乗ってバタワース駅に向かうことになりました。バスは別行動でスーツケースをジョージタウンへと運んでから合流することになります。
ペナン島へは航空機を利用するツアーもありますが、マレー鉄道の電化によって利用しやすくなって、往路は列車利用、復路はバス利用に変わってきたようです。
マレー鉄道は、KTMB(Keretapi Tanah Melayuの略)と呼ばれ、マレー半 . . . 本文を読む
2015年2月にキナバル山を登ったのでマレーシアは訪れたことになるのだが、やはり首都のクアラルンプールや歴史のあるジョージタウン、マラッカは見る必要があります。一般的なマレーシア観光を行うために、以下のツアーを選びました。
このツアーでは、茶畑で有名なキャメロン・ハイランドは訪れない代わりに、バクー洞窟を訪れます。
「はじめてのマレーシア縦断6日間」(クラブツーリズム)
2017年
1日目 . . . 本文を読む
国立人類博物館の売店で買った黒曜石でできたネコの像。マヤ文明では、エジプト文明と違ってネコ神様は登場しないようですが。
メキシコ・オパールのペンダント。
オパール生産ではオーストラリアが世界の75%、メキシコが20%程を占めるといいます。メキシコのオパールは一般にファイアー・オパールと呼ばれる赤みを帯びたものが有名なようですが、お値段の関係で、無色の透明な地に青や緑の遊色を示すクリスタル・ . . . 本文を読む
四日目の夕食。
スープ。
トルティーヤ。すり潰したトウモロコシから作る薄焼きパン。
肉のグリル。
デザート。
五日目、チチェン・イツァー遺跡近くのレストランでの昼食。
ビュッフェ・スタイルでした。
五日目、カンクンの日本食レストランでの夕食。
小鉢。
鉄火巻。
刺身。
天婦羅。
デザート。
海外旅行に出かけてまで日本食と思っていましたが . . . 本文を読む
メキシコ旅行中の食事のまとめです。
まずは、メキシコ・シティのガレリアプラザでの朝食。
メリダのハイアットリージェンシーメリダでの朝食。
ビュッフェスタイルなので、いつも同じような内容になってしまいます。メキシコでのホテルの朝食は、全般的にレベルが高かったと思います。
一日目のガレリアプラザホテル内のレストランでの夕食。
まずは前菜。
スープ。
魚のグリル。
デ . . . 本文を読む
二日目の夕食は、伝統舞踊のショーを行うレストランの「エルルガール・デル・マリアッチ」でとりました。ホテルからは、歩いて行ける距離にありました。
メキシコの伝統音楽というと、ユネスコの無形文化遺産に登録されているマリアッチが有名です。バイオリン、トランペット、ギターが用いられ、服装は着飾った旧地主たちの格好をしてソンブレロを被っています。
ショーは40分ほどで、その間に料理が出されるので . . . 本文を読む
円柱の家の南隣には、フレスコ画の神殿があります。この神殿は、15世紀前半、マヤパンが崩壊した後にトゥルムが独立性を得た時に建てられました。
内部にマヤの神々が描かれたフレスコ画が残っていることで有名ですが、ロープが張られて内部をのぞき込むことはできません。
このようなフレスコ画が残されているようです。脇に置かれた説明版より。
トゥルム遺跡で多く見られる降臨する神のレリーフが要所に . . . 本文を読む