メテヒ橋を渡ると、旧市街地の入口になるゴルサガリ広場に出ます。
古都としての趣充分で、マルコ・ポーロもこのような眺めを見たのかと、想像しました。
ゴルサガリ広場から小路に入ると、観光客向けのレストランが並んでいました。
金属製の看板がおしゃれです。右側はグルジア文字のようですが、針金を曲げて造れる形なのが面白いですね。
通りいっぱいに屋外席が造られていました。夜は賑わいそうです . . . 本文を読む
五日目は、トビリシの市内観光を行った後、アルメニアのエレバンへ移動することになります。
まずは、メテヒ教会に向かいました。
メテヒ教会のテラスに上がると、周囲の展望が広がっていました。
下は、リケ公園。右側に見えるのは、ムトゥクヴァリ川(クラ川)をまたいでナリカラ要塞に上がるロープウェイ駅。左側のガラス屋根に覆われているのは、平和橋。
平和橋のズームアップ。トビリシでは、新しい建物 . . . 本文を読む
グルジア軍道の見学を終えてトビリシに戻ったのは夜になりました。市内のレストランで夕食をとってからホテルに向かいました。
ホテルへの移動途中、自由広場を通り過ぎました。正面は、市庁舎。写ってはいませんが、左端に聖ジョージ像があります。
ホテルの前からは、ライトアップされたムタツミンダ山のテレビ塔が見えていました。
朝になってから撮影した ホテル・アストリア・トリビシ。
ホテルのロ . . . 本文を読む
カズベキ村の広場に到着しました。ここから数キロでロシアとの国境になり、グルジア軍道の走行はここまでになります。
谷奥に見えている白い峰は、ジョージア第二の高峰である標高5040mのカズベキ山のようですが、残念ながら山頂は隠されていました。
広場に立ってのは、19世紀の詩人のカズベキの像です。その背後の丘の上に、ツミンダ・サメバ教会が見えています。
ツミンダ・サメバ教会がこの日の最終目 . . . 本文を読む
アナヌリ教会の見学を終えてバスに戻ると、本降りの雨が始まりました。
窓ガラスも曇って、写真撮影もままならぬ状態になってしまいました。
なお、グルジア軍道のツアー観光は、山岳道路の積雪の関係で5月から10月の期間だけで、それ以外の時期はアナヌリアで引き返しになるので、ツアー選びの際には注意が必要です。
カーブを交えながら高度を上げていき、樹林限界も越してきました。
通り過ぎてきた集落 . . . 本文を読む
ムツヘタの見学を終えて、いよいよグルジア軍道へと進みました。
グルジア軍用道路は、コーカサス山脈を貫いて、グルジアのトビリシからロシア連邦・北オセチア共和国の首都ウラジカフカスまで続く南北全長約210kmの道のことを指します。19世紀初頭に、ペルシャの侵略に苦しんだカルトゥリ-カヘティ王国が、ロシア帝国の庇護を受けたことによりこの道路の建設が始まりました。その後、この道はロシアの作家プーシキンや . . . 本文を読む
スヴェティ・ツホヴェリ大聖堂の中に入りましょう。
入口の上に飾られた聖母子像。
入口の上に置かれた木のレリーフですが、左は聖ニノの奇跡の「生きている柱」を現しています。
スヴェティ・ツホヴェリ大聖堂は、高い天井を持ち、正面に大きなキリスト像が飾られていました。
キリスト像のアップ。
堂内に置かれた小塔の下には、キリストの上着の一部が埋められているという言い伝えがあります。 . . . 本文を読む
ジュヴァリ聖堂の見学を終えて、丘を下ってムツヘタの街に入りました。駐車場で下りると、スヴェティ・ツホヴェリ大聖堂が見えました。
丘の上に先ほど見学したジュヴァリ聖堂が見えています。
土産物屋が並ぶ小路を聖堂に向かいました。
土産物屋も開店の準備をしているところでした。聖堂見学後の自由時間に土産物屋をのぞいてみるつもりです。
スヴェティ・ツホヴェリ大聖堂の脇に出てきました。
. . . 本文を読む
旅の四日目は、トビリシの市内観光は後回しにして、ムツヘタからグルジア軍用道路に向かいました。
トビリシの北20kmの場所にグルジアの東南部を治めたイベリア王国の首都であったムツヘタの街があります。その手前で、丘の上に建つジュヴァリ聖堂が見えてきました。まずは、この聖堂の見学を行うために、丘の上を目指しました。
丘の上に出るとジュヴァリ聖堂が正面に見えてきたので、写真ストップになりました。道 . . . 本文を読む
ジョージアの首都トビリシへ移動するため、ヘイダル・アリエフ空港に再びやってきました。
到着時にはあわただしく空港を出てしまっため、改めて空港の見学です。小ぶりながら、近代的な造りになっています。
成田や羽田といった日本の空港の建物は、箱型のあたりまえの形で面白みに欠けますね。
出国手続き後の、出発フロアーの売店。こぶりで、海外からの観光客は少ないようです。
空港に並んでい . . . 本文を読む
この日の夜は、バクーからトビリシへと飛行機で移動するのですが、バクー最後の見学場所として拝火教寺院を訪れました。ツアーの日程には書かれていませんでしたが、飛行場にも近いことから通常は訪れるようです。
この寺院は、アテシュギャーフ拝火教寺院と呼ばれ、イスラムの流入によってこの地を追われたゾロアスター教徒がインド西北部に逃れ、その地でシヴァ女神信仰と混合するなど、 ヒンズー教の影響を受けつつ引き . . . 本文を読む
ゴブスタンからバクー市内に戻りって昼食をとり、午後にヘイダル・アリエフ文化センターを見学しました。
ヘイダル・アリエフ文化センターは、ミュージアム、コンサート会場、エキシビションホールなどが入った総合文化施設で、アゼルバイジャン前大統領のヘイダル・アリエフの名を冠しています。
ヘイダル・アリエフ文化センターは、イラク・バグダード出身、イギリス在住の女性建築家ザハ・ハディッド氏の設計によるもので . . . 本文を読む
博物館の見学後、バスに戻って、岩山の上を目指しました。管理棟の上に設けられた展望台の天蓋が近づいてきました。
まずはトイレを使い、皆が集まる前に展望台に上がりました。
山の斜面には大岩が転がっていますが、そこに岩絵が描かれています。
振り返るとカスピ海を望むことができます。大昔は、この岩山の麓までカスピ海が広がっていたようです。
ゴブスタンの岩絵見学のための遊歩道入口。この . . . 本文を読む
旅の三日目は、バクーの南西60kmにある石器時代の岩絵の残るゴブスタンを訪れました。
バクーの街からカスピ海沿いに南西に移動すると、海上油田掘削プラットフォームが見えてきました。
また、内陸部に広がる荒野には油井も見えていました。
バクー油田の歴史は古く、1830年代から始まり、ペルシャ湾の油田が見つかるまでは世界の石油生産の過半数を占める世界一の油田でした。
独ソ戦中、アドルフ・ヒト . . . 本文を読む
乙女の塔の見学を終えてカスピ海の海辺に向かいました。
乙女の塔の脇にあるのは、ハジンスキー邸。1912年に建設されたゴシック様式のマンションです。1944年、仏レジスタンス運動のリーダーであるドゴールが、スターリンとの会談のためモスクワへ向かう途中、この邸宅に滞在したという話も残されています。
F1レースのために交通規制が敷かれており、限られた場所でしか道路を渡ることができませんでした。も . . . 本文を読む