1.2kmのシークを抜けると、ペトラ遺跡のハイライトであるエル・ハズネが忽然と姿を現します。エル・ハズネは、宝物殿とも呼ばれますが、紀元前1世紀にナバタイの王アレタス4世によって建造された、葬祭儀式を行うための墓あるいは葬祭殿ではないかと言われています。
ナバタイ人は、乳香や没薬、香料などの隊商貿易で富を蓄え、最盛期にはローマ帝国とも友好関係を結んでいました。106年のローマによる併合の後しばら . . . 本文を読む
シークの入り口です。シークとは狭い岩山の裂け目で、遺跡中心部への通路になっています。
シーク入り口から中心部のエル・ハズネの区間は、足の弱い人向けに馬車が運行しています。シーク内は幅が狭い所もあるので、あまり余所見をしていると馬車にはねられます。
シークを入ったすぐ先には、アーチ跡があります。
シーク内の道の両側には、水路が設けられています。ナバタイ人の水利システムは当時最高の水 . . . 本文を読む
ヨルダン観光の最大の見どころであるペトラ遺跡の見学のため、ペトラの街に二泊しました。宿泊ホテルは、ペトラゲストハウスです。ペトラ遺跡の入り口にあり、遺跡の見学から戻るのに便利な位置にあります。
ペトラゲストハウスは、岩山の斜面を利用して造られています。前庭には、テーブルも並べられ、奥には洞窟を利用したバーがあります。
客室は岩山の斜面に沿って設けられています。幸いというか、割り振られた . . . 本文を読む
カラク城の南側には、サラディンのアイユーブ朝をついだマムルーク時代に建てられた宮殿が広がっています。
宮殿の中に入っていきます。
ここにはモスクも設けられていました。
宮殿を出て北に向かいます。
十字軍の教会跡が遊歩道の左手に見えてきました。
アーチ状の天井が残っています。
東壁の窓。
壁の間からのぞくと、高度感のある眺めが広がっていました。車道が左上でカ . . . 本文を読む
ヨルダンに到着してその日の宿泊地のペトラに向かう途中、カラク城を見学しました。
カラク城は、アンマンの南140kmの、ダマスカスからエジプトやメッカに至る交易路の「王の道」沿いの戦略的位置にあります。
ローマ教皇の呼びかけに応えて聖地エルサレムへ向かった第1回十字軍は、殺戮、略奪、強姦などの暴虐を尽くした末、1099年にエルサレムを占領しました。十字軍の指導者になっていたゴドフロワ・ド・ブイヨ . . . 本文を読む
イランに続いて、再び中東のヨルダンに出かけました。
シリア情勢が悪化するまでは、シリアとヨルダンを合わせたツアーが一般的なようでしたが、現在はヨルダンのみか、ヨルダンとイスラエルを組み合わせたツアーが催されています。今回は、ヨルダンのみを訪れる以下のツアーを選択しましたが、じっくりと見学できて、この方が良かったと思っています。
「王の道が貫く砂漠の国 ヨルダン8日間」(西遊旅行社)
2014年 . . . 本文を読む
ドバイモール内で自由時間になったので、ブルジュ・ハリファに上がってみることにしました。
ブルジュ・ハリファの展望台への入場料は、事前予約をしておれば100ディラハムですが、当日券は400ディラハムもします。ディラハムと円の換算レートが良くわからないままに、カードで引き落として入場券を手に入れました。あとでカード引き落としの明細をみると、11584円もしていました。イラン旅行の最後にドバイで延泊し . . . 本文を読む
昼食を終えてから、ドバイ・モールの見学に出かけました。
少し歩いて、ドバイメトロの駅に入りました。
ドバイメトロの改札口
切符は式ICカード乗車券でした。
路線図は、アラビア語と英語で表記されており、判りやすくなっていました。
次の駅で乗り換えです。
乗車口には、ドアが設けられていました。そのおかげで、車両の写真を撮るのが難しくなっていました。
ドバイ・メトロは、 . . . 本文を読む
カシャーンからテヘランへのバス移動も無事に終え、21:20発の便にてドバイ経由で日本に戻ることになりました。ところがドバイが砂嵐で航空機の遅延が生じており、ドバイでの乗り継ぎができなくなっていました。ドバイから成田行きは、一日に一便のため、丸一日帰国が延びることになりました。
幸い、ドバイでのホテルと食事代はエミレーツ航空持ちで、ドバイでの簡単な観光を阪急交通社が手配してくれました。以下は、無料 . . . 本文を読む
イランの食事の続きです。
ナグジェ・ロスタム近くのレストランの昼食。
前菜のサラダ。
メインは、ホレシュテ・バーデムジャーン(ナスのシチュー)。ツアー中の食事の中で一番美味しかったという声が多数。
ヤズドのホテルでの夕食。ビュッフェスタイルだと、同じような内容になってしまいます。
デザート。
ヤズドからイスファハーンに向かう途中のナインの街での昼食。キャラバン・サラ . . . 本文を読む
イランの食事のまとめです。
朝食はビュッフェスタイルで、比較的シンプルなものでした。朝食はあまり食べないので、こんなもので済ませていました。
朝食定番のハムはありましたが、豚は禁忌のため鳥か牛でつくられているようで、あまり美味しくはありません。
テヘランの昼食です。民族的装飾が施されているレストランでした。
まずは前菜の野菜。
ここでは、アーブ・グーシュトと呼ばれる料理がメイ . . . 本文を読む
めざせ「岩合光昭の世界ネコ歩き」。
ペルシャというと思い浮かぶものの一つにペルシャネコがいます。ペルシャ(現在ではイラン)で、どのような猫がいるのか探してみました。
まずは、テヘランで見かけた猫。お行儀の良い猫です。
シラーズにて。
以下しばらくはシラーズの猫。
車の陰から。
我が家のルシファーとうり二つ。黒猫は、どこでも同じ顔ですね。
風格のある猫。
暑い . . . 本文を読む
アッパース1世が造ったフィーン庭園の離宮部分を見学しました。
正面建物の裏手にあるドーム状の東屋です。
修復工事の足場が組まれていましたが、見学には支障はありませんでした。
ドーム状の天井には美しい装飾が施されていました。
時代が新しいためか、洗練された感じがします。
花と鳥が描かれるペルシャ芸術は、具象的な絵を避けるイスラム美術とは違っています。
人物 . . . 本文を読む