アーテシュキャデの見学を終えて旧市街地に向かいました。
ヤズドは、砂漠の中のオアシス都市として発達したため、特異な建築様式が発達しています。
これは、沈黙の塔でも見たアーブ・アンバールです。ガナート(地下水路)で引いた水の貯水槽をドームで覆い、その周りにバードギール(風採り塔)を立てています。
旧市街地の奥に一歩入ると、日干しレンガを積み上げて泥で固めた家の壁が続いています。
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沈黙の塔の見学を終え、ヤズド市内に移動してゾロアスター寺院のアーテシュキャデを見学しました。アーテシュキャデとは「火の家」という意味で、ヤズドにいくつかあるゾロアスター神殿の中でも最も重要なものになっています。
神殿自体は、インドのゾロアスター教信徒の寄付によって賄われ1934年に建てられた新しいものです。
建物上部には、ゾロアスター教の守護霊フラワシの像が飾られています。この世の森羅万象 . . . 本文を読む
ヤズドでは、街外れにあるSAFAYIEH YAZDに泊まりました。長時間のバス移動で、すっかり暗くなった7時過ぎに到着し、ホテルのレストランで夕食をとって後は寝るだけになりました。
新しくできたホテルのようで、部屋もきれいでした。
朝になってから見たホテルの外観。アラブ的な造りになっていました。
5日目は、まず沈黙の塔から見学を始めました。沈黙の塔は、ダフネと呼ばれるゾロアスター . . . 本文を読む
ペルセポリス見学の後、ナグシェ・ロスタムに向かいました。ナグシェ・ロスタムは、ペルセポリスの北東6kmの所にある岩山に造られたアケメネス朝の王墓です。
車窓から、岩山の尾根の末端部に造られた王墓が見えてきました。
ナグシェ・ロスタムの入り口。
入ってすぐの所に高台があり、ナグシェ・ロスタムの全景を眺めることができました。
右端に、角度が少し違えてクセルクセス1世の墓。
続いて . . . 本文を読む
ペルセポリスの中心部を一周して、アパダーナ(謁見の間)の南東ににある中央宮殿(会議の間)にやってきました。
ここにも、日傘をさしかけられた貴人のレリーフが飾られていました。
ゾロアスター教のシンボル。
王座かつぎのレリーフ。
28の属州の臣民がダレイオス1世の王座を支え、王の背後にクセルクセス1世が控えています。
アパダーナ(謁見の間)の東側には、百柱の間があります。
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アバダーナ(謁見の間)は、屋根は失われて、12本の柱だけが残されています。かつては高さ19mの屋根を36本の柱で支えていたようです。
高い柱で、当時の壮麗さがうかがわれます。
遠くに見えている崖をめぐらせた岩山で、この遺跡の石が切り出されたようです。
アバダーナ(謁見の間)の中に巨大な双頭鷲像が見えています。
アバダーナ(謁見の間)の西側に回り込みながら見学を続けました。
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続けてアパダーナ(謁見の間)に向かいました。アパダーナ(謁見の間)は、ダレイオス1世の命によって建てられた宮殿で、属国からの使者との謁見、ノウルーズ(新年)の祭儀のために用いられました。
ここでの見どころはレリーフが良く残されている東階段で、保護のために屋根が設けられています。遺跡の景観としては違和感がありますが、保護のためとあっては仕方がありませんね。
アパダーナ(謁見の間)は、高さ . . . 本文を読む
旅の四日目は、イラン観光の最大の見どころであるペトラ遺跡の見学になります。
シラーズの街を出ると、茶色に染まった岩山が広がるようになりました。
ペルセポリスの到着直前になると、直線道路の先に遺跡が見えてきました。この直線道路は、王の道と呼ばれ、ダレイオス一世が支配地にめぐらせた道路の一部になっています。
バスを下りて、しばらく参道を歩きます。
観光客の団体は我々だけだったのです . . . 本文を読む
夕方近くなって、シラーズ観光の最後として街の中心地を訪れました。
キャリーム・ハーン城塞の脇でバスを下りました。キャリーム・ハーン城塞は、ザンド朝時代にキャリーム・ハーンの居城として使われていました。四隅に円塔を備えています。
この円塔は傾いてしまっています。
バザーレ・ヴァルキールに向かいましたが、古本屋なのか壁に本が並べられていました。なかなかユニークな展示です。
通りには . . . 本文を読む
アリー・エブネ・ハムゼ聖廟に続いて、サアディー廟を訪れました。
サアディーは、1290年に亡くなった抒情詩人で、70歳を過ぎてからシラーズに戻り、代表作「ゴレスターン(薔薇園)」を書き上げました。
サアディー廟は、1864年に建てられました。
廟の中には墓石が置かれていました。
ガイドのアリさんが、サアディーの詩を朗読してくれました。「盗賊が隠者の庵に入ってめぼしい物が無いので . . . 本文を読む
エラム庭園に続いて、アリー・エブネ・ハムゼ聖廟を訪れました。
外からは、タイルで装飾されたドームの頭が見えていました。
アリー・エブネ・ハムゼ聖廟に入場すると、中庭に出ます。この聖廟では、女性は頭から全身を覆う布のチャドルを着用することが決まっています。チャドルは無料で借りることができ、女性群は、チョドルを着た姿での記念写真に興じていました。
ここのドームは、たまねぎ型の美しい姿をしてい . . . 本文を読む
エラム庭園に向かう途中、街中に大きなスイセンの飾りが置かれていました。香の強いスイセンが、シラーズの特産品になっています。
エラム庭園に入場しました。
エラム庭園は、ガージャール朝時代の1800年代に造られた庭園で、「ペルシャ式庭園」として世界遺産の構成物の一つに選ばれています。
バラ園も設けられていました。エラムとは、ペルシャ語で天国という意味です。
12月とあってバラの . . . 本文を読む
イランの観光は、テヘランから南部のシラーズに移動し、そこから北上しながら観光を行ってテヘランへ戻るという行程になりました。
シラーズは、紀元前のアケメネス朝以来四度にわたって首都が置かれ、現在ではイランで五番目に人口の多い街になっています。特に、ザンド朝の名君キャリーム・ハーン(1750年~1779年)によって、寺院や市街地が整備されました。近くには、アケメネス朝ペルシャ(紀元前550年~紀元前 . . . 本文を読む
テヘランの市内観光を終えてホテルに向かいました。
思っていたよりも近代的な街並みが広がっていました。
車窓から見たウェディングドレスのお店。体の線の露出度も高く、日本と変わりませんね。
テヘランの宿は、TEHERAN ENGHELAB HOTELでした。
部屋は、ところどころガタがきている所もありましたが、きれいでアメニティーグッズも揃っていました。
部屋の中を見てい . . . 本文を読む
宝石博物館に続いてイラン考古学博物館を訪れました。
イラン考古学博物館は、パフレヴィー朝時代の1935年に、ササン朝時代をイメージさせる建築様式で建てられました。紀元前6000年から19世紀に到るまでのイランの考古学的、美術的に重要な美術品が収蔵されています。
館内では時代順に展示されており、最初は紀元前6~4世紀の土器、陶磁器、青銅器が並んでいます。
紀元前3000年頃の土器。
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