ウルド・エル・ハデフ地区の見学を終えて、街の中心地のハビブ・ブルギバ通りに向かいました。
編んだ籠が沢山売られていました。
ハビブ・ブルギバ通りに出ました。噴水風のモニュメントが置かれていました。
トズールのナツメヤシのオアシスは、北アフリカ最大のものといいます。通りでは、枝に付いたデイツが沢山売られていました。
デイツの店が何軒も出ていました。
自由時間とな . . . 本文を読む
トズールの旧市街に到着してバスを降り、まずウルド・エル・ハデフ地区に向かいました。
ウルド・エル・ハデフ地区は、14世紀に造られた古い地区で、幾何学的な模様を描く装飾レンガが特徴になっています。
ゲートをくぐって小路に進みました。
一時は荒廃が進んでいたようですが、現在はきれいに修復されて、土産物屋が店を開いています。
壁には花やアラビア語、ベルベルのシンボルが描かれて . . . 本文を読む
ネフタからトズールに戻ってきました。
土日で開かれる市の脇を通り過ぎました。
衣類が乱雑に積み上げられていました。古着かな。
この売り場では、きれいに衣類が吊るされていました。
靴の売り場。
ウサギが売られていました。食肉用かと現地ガイドに聞いたところ、ペット用とのこと。
市内観光の前に、南の街外れにあるラス・エル・アイン公園を訪れました。
丘の上の岩山には、 . . . 本文を読む
第4日目は、ツアーの日程には含まれていませんでしたが、まずネフタの街を訪れてからトズールに戻って市内観光を行うことになりました。この日から翌日の昼までは、4輪駆動5台に分乗しての移動になりました。
ネフタは、トズールから西のアルジェリア方向へ約25kmの距離にあります。
砂漠地帯を進んでいくと、ラクダに注意の看板が置かれていました。
ネフタは、チュニジア建国の父といわれるハビブ・ブル . . . 本文を読む
夕刻にトズールの街に到着しました。これは街の入口のモニュメントのようです。
トズールは、かつて「ローマ・アフリカの果て」と呼ばれ、アルジェリアとの国境近くの大オアシスの街です。
街の入口には、石膏あるいは重晶石と砂がバラの花状に結晶化した「砂漠のバラ」のモニュメントが置かれていました。これは、巨大過ぎて細部が判らなくなっています。
「砂漠のバラ」は、チュニジアの土産物屋で小さな物が沢山売 . . . 本文を読む
スベイトラ遺跡の見学を終えて、アルジェリアとの国境近くのトズールへと南下しました。
途中でガフサの街を通過しました。ガフサは南部チュニジアの玄関口にあたり、ビザンチン時代の砦も残っているようですが、そのまま通過です。
ガフサの街外れのホテルでトイレ休憩をしました。道路に出てみると、砂嵐がひどくなっていました。
砂嵐の中、ドライブが続きました。
メトラウイの街を通過。
観光 . . . 本文を読む
スベイトラ遺跡の中心部にやってきました。
アントニウス・ピウスの門をくぐります。
139年に、ハドリアヌス帝の後を継いだ15代ローマ皇帝のアントニヌス・ピウスとその二人の息子に捧げるために造られました。
門をくぐると、広場の向こうに三つの神殿が並ぶ眺めが広がりました。左より、ミメルバ、ジュピター、ジュノーの神を祀ったものです。三人の神のためにそれぞれの神殿を建てたことからスベイトラの繁栄 . . . 本文を読む
カイラワーンの見学を終えて、南西100kmにあるスベイトラ遺跡に移動しました。
街に到着すると、アイ・ラブ・スベイトラの看板が置かれていました。ニューヨークがオリジナルなはずですが、世界中に広がっていますね。
まず、道路脇に凱旋門が現れました。紀元前300年頃に造られました。
スベイトラ遺跡へ入場。
ローマ帝国が東西に分裂してしまった後の7世紀半ば、ビザンチン帝国(東ローマ帝国)の . . . 本文を読む
カイラワーンの最後の見学地として、旧市街地の北西の郊外にあるシディ・サハブ霊廟を訪れました。
途中で見かけたイスラム教関係と思われるモニュメント。
シディ・サハブ霊廟とは。「シディ」は「聖人」を、「サハブ」とは「友人」を意味しています。
預言者ムハンマドの同志であったアブ・ザマエル・ベラウィが眠る霊廟で、彼は常にムハンマドのあごひげを三本持ち歩いていたことから。「バルバリエ(床屋)のモス . . . 本文を読む
アグラブ朝の貯水池に続いて、グランド・モスクの見学を行いました。
670年、ウクバ・イブン・ナーフィによって建てられたアフリカ最高のモスクです。現在の建物は、9世紀のアグラ朝の時代に再建されたもので、その後多くの改装が重ねられてきました。
メインゲートに向かって、土産物屋の並ぶ通りを進みました。
グランド・モスクは、四方を厚い壁に囲まれ、中庭の北側には高さ31.5mのミナレットが立っ . . . 本文を読む
3日目のツアーでは、まずメディナの北の郊外にあるアグラブ朝の貯水池を訪れました。
壁の奥に貯水池があります。
貯水池は、この建物の上から見学することになります。
9世紀にアグラブ朝によって中世時代としては最高の技術で造られた貯水池です。当時は14の貯水池が造られましたが、現在では大小4つが残されています。
水はカイラワーンの西36kmにある丘の上から水道で引かれ、最初に小さな浄 . . . 本文を読む
旅の三日目、カイラワーンのツアー観光が始まります。ただ、ツアー日程ではメディナが入っていなかったので、早起きをして、朝食前に昨夜歩いたコースを再び辿ることにしました。
改めて、ホテルの入口。右手に停まっているのは、私たちのツアーのバスです。わざわざ新車おろしたての車を使ってくれました。
泊まったラ・カスパの外観です。メディナを囲む城壁よりも強固な造りです。
メディナの外ですが、ミナレ . . . 本文を読む
ホテル内の探索を終えて、次は夜のメディナを見学したいと思いました。ホテル前の駐車場出口に行くと、ツアーの参加者と出会ったので、二人で出かけることになりました。
門衛のいる出口から出て左に回り込んでいくと、高い壁が現れましたが、これは泊まっているラ・カスパ・ホテルの外壁です。
通りを進むと、チュニス門に出ました。城壁の前には、店じまいしていましたが露店が並んでいました。
門の脇の城 . . . 本文を読む
チュニスを出発して、この日の宿のカイラワーンに向かいました。カイラワーンは、チュニスの南165kmの位置にあります。
なお、カイラワーンの日本語表記は、ケロアン、カイルアン、ケルアンなどと定まっていません。
チュニスの郊外に出て高速道路に乗ると、放牧地が広がるようになりました。
一般道に入ると道路脇の店も良く見えるようになりました。オレンジやイチゴなどが売られていました。
レストラ . . . 本文を読む
バルドー博物館の見学を終えてカイラワーンに向かうことになりましたが、チュニスの街を横断することになりました。
バスが走り出してまもなく、ローマ時代の水道橋跡が現れたので、写真ストップしました。
この水道橋は、チュニスの南のザグーアンからカルタゴまでの132kmを結んでおり、世界最長のものになっています。創建は2世紀のハドリアヌス帝時代で、その後ヴァンダル族に一部破壊されましたが、ビザンチン時代 . . . 本文を読む