第六日目は、レバノン観光のハイライトといえるバールベック遺跡の見学になりますが、まずはニハ遺跡を訪れました。
駐車スペースの関係で、村の入り口から歩きました。ニハとは、静かな場所という意味のようですが、観光客もおらず静かな田舎の村でした。
道路脇のブドウ畑の菜の花は花盛りでした。
果樹の花も咲いていました。
ニハ遺跡には、かつては四つの神殿があったようですが、二つの神殿が残され . . . 本文を読む
ベカー高原に到着してシュトゥーラのホテルに入る前に、アンジャル遺跡を見学しました。
アンジャルは、8世紀のウマイヤ朝による都市ですが、当時には技術が無かったため、ビザンチン朝の技術者に依頼して建てられました。アンジャルは、ダマスカスとの交易の都市として発展しました。なお、アラブ人の造ったものとしては、レバンにおける唯一の世界遺産になっています。
列柱の残る通りが延びています。
遺跡の . . . 本文を読む
ダル・エル・カマルを出発して東に向かうと、残雪をまとったレバノン山脈が見えてきました。
低い所で峠越えをするため、北に向かって山脈と平行に走ることになりました。
山裾には、小さな集落が広がっていました。
雪山を眺めながらのドライブが続きました。
谷沿いに上がっていくと、高架橋の下に出ました。
大きくループして、高架橋になっていた道路に乗りました。この道路は、ベ . . . 本文を読む
ベイト・エッディーン宮殿の見学を終えて、通り過ぎてきたディル・エル・カマルに戻りました。まず昼食をとってから見学を行いました。
広場のいっかくには、ファハルッデインの建てたモスクがあります。
ファハルッデインは、17世紀に急峻な山岳地帯と狭い海岸線に散らばっていた人々をまとめて現在のレバノンの基礎を造り、ディル・エル・カマル村に宮殿を置きました。オスマン帝国からの独立をはかり勢力を拡大しま . . . 本文を読む
ベイト・エッディーン宮殿には、レバノン国内から集められたモザイクが展示されていました。
一部は芝地の庭に展示されていました。
二階から見下ろしたモザイク。なかなか見事です。
これも庭に展示されていたモザイク。
一階部の倉庫がモザイクの展示室になっていました。
中央は、聖人像でしょうか。
葉の生えた杖を持っています。
庭に面して回廊が続き、モザイクが展示され . . . 本文を読む
次いで、宮殿の裏手にあるハマムを見学しました。
入り口には、脱衣と冷浴のための部屋がありました。
ドーム状の天井が設けられていました。
ハマムには、熱浴室、温浴室、冷浴室がそろえられています。
床は大理石張りで豪華です。
小部屋が続いて設けられていました。
天井の明り採りにも工夫がこらされており、これは花のように見えるもの。
これは、マルタ十字に見える . . . 本文を読む
第五日目は、一旦来た道を戻ってシドンとベイルートの中間で内陸部へ向かいました。山間部に入ると、茶色の屋根の家が立ち並び、ヨーロッパの田舎といった雰囲気になりました。
ディル・エル・カマル村の見学は後回しにして通り過ぎ、まずベイト・エッディーン宮殿を訪れました。
最初の広場。
日曜日のためか、校外学習の学生が大勢いました。女学生達が日本人を珍しがってか写真を撮らせてといってきたので . . . 本文を読む
ティールの海の遺跡にやってきました。入り口を入ると列柱通りを見ることができました。
市街地のレベルと比べると一段低く、地面に埋もれていたものを発掘して柱を立て直したようです。
海側に進むとフォーラムがありました。
ローマ遺跡では珍しい、円形ではない方形の劇場。
広大なテルマエ(浴場)が設けられていました。
床暖房用なのか、円形のレンガ板が積み重なって残されていまし . . . 本文を読む
シドンの街の見学を終えてティール(現在はスール)にやってきました。ティールは、紀元前10世紀ころに、シドンを抜いて最も栄えたフェニキア人の都市国家になりました。なお、カルタゴはティール出身の女王ディドーによって建国されました。紀元前332年、アレキサンダー大王の東征に対しフェニキア人の中では唯一激しく抵抗し、要塞化されたティールの島に立てこもりました。これに対し、アレキサンダー大王の軍は海上封鎖の . . . 本文を読む
海の要塞の見学後、シドンの街を見学することになり、まず隊商宿のハーン・エル・フランジュを訪れました。ハーンは、隊商宿の意味です。
城砦状の厚い壁に囲まれていました。
中庭を二階建ての建物が囲んでいました。19世紀まではこの街の商業活動の中心地で、その後フランス領事館として使われ、今でもフランス政府の所有になっているといいます。
一階部は倉庫になっていました。
壁や柱には、馬 . . . 本文を読む
エシュムーン神殿の見学を終えてシドンの街に向かうと、巨大なモスクが見えてきました。
シドンは、暗殺されたハリーリ前首相の出身地でスンニ派のイスラム教徒が多いようです。
海沿いの道を走ると、十字軍の建てた「海の要塞」が見えてきました。
海の要塞の見学前に、入り口の正面にあるファラフェルの店で味見をすることになりました。
人気の店で、次々に揚げていました。
ファラフェルは、ソ . . . 本文を読む
シドンの街に入る前に、その郊外にあるエシュムーン神殿を訪れました。
エシュムーン神殿は、フェニキア時代の紀元前7世紀に建てられました。エシュムーンは、シドンの守護神で、医学の神であり、特に子供の守り神という性格を持っています。
モザイクで飾られた床も残されていました。
列柱の土台部が残されていました。
丘の斜面を背後にして神殿が建てられていました。
神殿の . . . 本文を読む
ビブロス遺跡の見学を終えて、ジェイタ洞窟の下の洞窟を見学してから、ベイルートの街に向かいました。
地中海に夕日が沈んでいくのを眺めることができました。
レバノン北部地域の見学を終えてベイルートの街に戻ってきました。
滞在最終日に訪れることになった近代的に再開発されたベイルート・スークの脇を通りました。
かつてベイルートは、「中東のパリ」と呼ばれていましたが、趣のある古い建物も残 . . . 本文を読む
十字軍の要塞内部には、簡単な展示場が設けられていました。
出土した土器類。
人骨が納められた壺。
フェニキア文字の石碑。
フェニキア文字は、紀元前1050年頃に生まれ、フェニキア商人により欧州と中東にかけた広範な地域で様々な種類の言語を表記する為に使われるようになりました。フェニキア文字からギリシア文字を経てアルファベットが生まれました。さらにこれを発展させてラテン文字、キリル . . . 本文を読む
聖アントニウス修道院の見学を終えて、ベイルートの北36kmの海岸線部にあるビブロス(現在の名前はジュベイル)の町に向かいました。城壁をくぐって町に入りました。
ビブロスは、紀元前3000年頃地中海貿易で栄えたフェニキア人が建てた、パレスチナのジェリコと共に世界最古の町の一つと言われます。聖書を意味するバイブルは、ビブロスのギリシャ名パピルス(書物)に由来するといいます。
歩いていくと、聖ヨ . . . 本文を読む