昼食後、別の展望地へと河畔の道を東に向かいました。雪をまとった山も良く見えるようになってきました。
手の届くような高さですが、バンゴン・ツォの標高が4250mなので、5000m級の山でしょうか。登ってみたくなりますね。ただ、ヒマラヤでは、5000m級の山ではわざわざ名前が付けられないことが多いようです。
バンゴン・ツォは、東に向かって長く広がっていました。
人工物が見えてきました . . . 本文を読む
ようやくバンゴン・ツォに到着しました。青い湖面が広がっていました。バンゴン・ツォは、標高4250mのラダック東部からチベットにかけて広がる全長130kmに及ぶ細長い湖です。
かつての中華民国と長年イギリスの植民地であったインドは、途中にネパールとブータンを挟んで長く国境を接していたものの、ほぼ全域がヒマラヤ山脈といった高山地帯であるため正確な国境はあいまいでした。また、独立したダライラマ政権 . . . 本文を読む
登ってきた南側と違って、チャン・ラの北側は緩やかな斜面が広がっていました。
大きなカーブを繰り返しながら下っていきました。
雪解け水が小川を造り始めました。
小川の縁は凍っていました。
谷の前方にも岩山が見えてきました。
谷は次第に広がってきました。
雪山も間近に見られるようになってきました。
まとまった広さの平地が現れると、そこにはインド軍の駐屯 . . . 本文を読む
5日目は、レーの東のインド・中国国境部に広がるバンゴン・ツォ(バンゴン湖)を訪れました。150km程の距離で片道5~6時間かかるため、薄暗い中を出発しました。
道路沿いに、ティクセ僧院が現れましたが、上ラダックと呼ばれる地域の僧院の見学は翌日に行うことになります。
カルーの街で入域申請を行ってから、インダス川と分かれて北の谷に向かいました。
なお、バンゴン・ツォへは左の道に進みますが . . . 本文を読む
レーの街の自由散策後、ホテルの中庭でラダック地方の民族舞踊を見学しました。
CATSというラダック内で活躍しているプロの団体です。
音楽は、ダーマン(太鼓)、ソルナ(パイプ)で演奏されました。
まずは、チャプサルダンス(お茶を王様に給仕する踊り)。
ションドルダンス(王族を楽しませる踊り)。
女性が被っている頭飾りはペラク、マントはボクと呼ばれ、祭りや行事の際に身に着けら . . . 本文を読む
ラダック到着後、アルチに2泊して下ラダック方面の観光を行ってから、レーに戻ってきました。
ラダックの街が近づいてくると、まず丘の上にある仏塔が目に入ってきました。これは、シャンティ・ストゥーパといい、日本人僧侶の中村行明氏が、ラダックの仏教徒とインド政府の協力を得て1991年に完成したものです。
レーでの宿のグランドウィローは、中心地のメイン・バザールにも近いフォート・ロード沿いにあり . . . 本文を読む
チャムチュン・ラカン(弥勒堂)の後は、チャンバ・ラカン(弥勒堂)を見学しました。階段を上がっていく必要があり、ラダック観光では体力が必要です。
チャンバ・ラカン(弥勒堂)は、ヘミス系ドゥク派の寺院で、16世紀にツェワン・ナムギャル王によって建てられました。
王宮跡が目の高さになってきました。
チャンバ・ラカン(弥勒堂)に入ると、高さはおよそ10mの弥勒菩薩を仰ぎ見ることになりまし . . . 本文を読む
リキール僧院を後にしてレーに向かい、その手前45kmほど手前にあるバスゴーを訪れました。
バスゴー村の背後にあるラブタン・ラツェの丘には、立派な王城や僧院が建設されました。19世紀のドグラ戦争で城は破壊されて廃墟となりましたが、僧院は現在まで存続しています。
ここもラダックならではの魅力的な眺めです。
駐車場からの眺め。
11世紀、リンチェン・サンポがこの丘陵地に寺とストゥーパを建 . . . 本文を読む
ドゥカン(勤行堂)に続いてバカン(経堂)を見学しました。
入口の壁には、仏の絵が描かれていました。
お堂の壁には経典が納められ、十一面千手観音菩薩が中央に祀られていました。
日本の仏像とは違っていますが、魅入られる表情をしています。
お堂内部の壁は絵で飾られていました。
四天王も描かれていました。
この絵は、黒い象がうさぎや猿の邪魔にも負けずに修行を続け . . . 本文を読む
ニダプク石窟建学の後、インダス川沿いにレーに向かい、途中から北に方向を変えました。高原を進んでいくと、幾層にも建物が重なったリキール僧院が見えてきました。チベット仏教独特の造りです。
展望の良い所で写真ストップしました。絵になる風景です。
リキール僧院は、ラダック、ザンスカール一帯のゲルク派の総本山で、ラダックではヘミス僧院に次ぐ権威を有しているといいます。ダライ・ラマ14世の実弟が座主を . . . 本文を読む
4日目は、途中三か所を見学しながらアルチからレーへと戻りました。
インダス川を挟んでアルチ村と向かい合うようにサスポール村があります。ここにあるニダプク石窟をまず見学しました。
村内の細い道を上がっていくと、僧院跡のような建物が現れました。ここで車を降りました。
村内に入っていく道もありましたが、人影は見当たりませんでした。
岩山の上には、サスポール・カルという砦跡が見えました . . . 本文を読む
観音堂に向かいました。
観音堂に入りました。
ここの本尊は、千手千眼観音です。「千手千眼」の名は、千本の手のそれぞれの掌に一眼をもち、千本の手でどのような衆生をも漏らさず救済するといいます。
美しく、印象的な姿をしています。
壁一面には、釈迦の前世の物語であるジャータカが描かれています。
判らない物語がほとんどですが、これは「捨身飼虎図」ですね。釈迦の前世の薩埵王子は . . . 本文を読む
お堂の間に延びる細い道に出ました。
階段を下ってセンゲカンに向かいました。
センゲカンは、11世紀にリンチェン・サンポによって創建されたラマユル僧院で最も古い建物とされています。
堂内には、仏の像が置かれています。
正面に置かれているのは、大日如来のようです。
大日如来の上に置かれているのは、迦陵頻伽でしょうか。
堂内には五仏が祀られていますが、これは青く塗 . . . 本文を読む
ラマユル僧院は、「ユンドゥン・タルパリン」という名前を持つ、カルギル地区のディグン・カギュ派の総本山の僧院です。11世紀にカギュ派の祖師のナロ-パがこの地を訪れ瞑想し、その後大翻訳官リンチェン・サンポが訪れて多くのお堂とチョルテンを建立したといいます。現在でも200名の僧侶がこの僧院で修行を行っています。
入口に並べられたマニ車を回しながら進みました。
まずは、ドゥカン(勤行堂)を見学 . . . 本文を読む
3日目は、アルチに連泊して、ラマユル僧院を往復することになりました。
アルチの村の入口に置かれていたゲート。
色の異なるストゥーパが置かれていますが、黄は宝生如来、白は大日如来、青は阿閦如来を象徴しています。
インダス川に架かる橋を渡って、レーから走ってきた右岸沿いの道に戻りました。
インダス川に沿って、快適なドライブが続きました。
インダス川の両岸には、緑のほとんど無い荒涼 . . . 本文を読む