ヨルダンは砂漠の国というイメージがあったのですが、道端に多くの花を見ることができました。
ガラク城にて
日本の花で該当するものが思い浮かばないものが多いです。
アヤメ科の花でしょうか。
ワディラムにて
砂漠にも花が咲いていました。
ウンム・カイスにて
シクラメンの原種でしょうか。
シクラメンは、元々地中海沿岸、トルコからイスラエルにかけて原種が自生しているといい . . . 本文を読む
岩合光昭の「世界ネコ歩き」に負けじとヨルダンでもネコの写真を撮りました。ネコの写真も観光の片手間に撮影するには難しく、じっくりと時間をかける必要があるようです。
まずは、カラク城で出会ったネコ。
我が縄張りとばかり場内を巡回していました。
ペトラ遺跡のネコ。
ペトラ遺跡の中は、結構ネコがいました。
泊まったホテル・ペトラゲストハウスの中庭にて。
ペトラ遺跡の . . . 本文を読む
ウマイヤ朝宮殿の前には。ウマイヤ朝モスクの遺構が広がっていました。
残っている壁には、イスラム風の装飾が施されています。
ヘラクレス神殿の前に出てきました。
厳重な石の扉が残されていました。
昔のお棺。
ヘラクレス神殿の脇には、ヘラクレス像の手が置かれていました。
巨大な手で、全体の大きさを想像することになりますが、他の部分は失われています。
ヘラクレス神 . . . 本文を読む
ヨルダン滞在の最終日、デザートパレスの見学を終えた後に残っていたアンマン城の見学を行いました。
アンマンは沢沿いのダウンタウンを中心に七つの丘の上に建設された街です。市街地の地図を見ても、道は丘を取り巻いて曲線を描いており、交通渋滞もひどくなっています。
アンマン城は、ジャバル・アル・カラアの丘の山頂に設けられています。三方は崖で、一方のみが尾根という地形から、古くから要塞として用いられて . . . 本文を読む
ローマ劇場を出て、スーク(市場)に向かいました。市場巡りは大好きなのですが、雨の中、少々辛い見学になりました。
衣料品店。
穀物店。
パン店。
菓子店。
歩いていくと道路脇にニンファエムの遺跡があらわれました。191年に造られたニンフを称えた噴水ですが、繁華街に飲み込まれようとしています。
野菜スークに入りました。
デーツ(ナツメヤシ)の店。デーツは、イスラム諸国 . . . 本文を読む
アンマンのホテルには、第5日目、マバダの聖ジョージ教会の見学の後に入り、二泊しました。
宿泊したル・メリディアンは、世界的なチェーンホテルで、設備も整っていました。
部屋も広々としていました。
レセプションにいたアラブスタイルの男性二人。
ヨルダンのベドウィンは、赤と白のチェック模様の布(カフィーヤ)を被ることが多いようです。右はサウジアラビアかアラブ首長国の人でしょうか。ただ . . . 本文を読む
ヨルダン東部のデザートパレスの見学の最後に、ハラナ城を訪れました。ハラナ城はアンマンに一番近いところの道沿いにありましたが、見学の都合なのか後回しになりました。
周囲に人家の全く無い砂漠の中にありました。
一辺が35mの壁を持つ長方形で、角は円塔になっています。十字軍の要塞、カリフの休憩所という説もありますが、隊商宿であったという説が有力のようです。
強固な造りで、壁には矢を射るため . . . 本文を読む
アムラ城の見学を終え、砂漠をさらに東に進んでアズラック城に向かいました。
アズラックは、砂漠の中にある町で、サウジアラビアとイラクへの経由地になります。
観光地といっても訪問者は少ないようで、入り口は閉まっており、管理人が出てくるまでしばらく時間がかかりました。
アズラック城は、3世紀のローマ時代には要塞が築かれ、その後にビザンチン帝国、ウマイヤ朝、マムルーク朝、オスマントルコなどを . . . 本文を読む
ヨルダン滞在の最終日、ヨルダン東部に広がる砂漠地帯の中にあるデザートキャッスルを見学しました。
砂漠の中に延びる車道を進んでいきました。
赤い砂の砂漠が広がっています。朝方の雨で砂漠に水溜りができていました。
車道脇にアムラ城が現れました。思ったよりも小さな建物です。なお、アムラ城は世界遺産に登録されています。
8世紀頃のウマイヤ朝の王が、離宮として建設したといわれています。表 . . . 本文を読む
「クロアチア・スロべニア・モンテネグロ・ボスニアヘルツェゴビナ」おまけにオーストリアの旅から戻ってきました。
バルカン半島での洪水のニュースが日本でも報道されていたようですが、今回の訪問地はアドリア海沿岸部であったため、観光にはほとんど影響はありませんでした。もっとも雲が流れてくると雨になるという不安定な天気でしたが、観光中に傘をさすことはありませんでした。
写真は、一番の目的地ともいえるドブ . . . 本文を読む
南劇場を出て丘の上の道を歩いていくと、聖ゲオルキウス教会、洗礼者ヨハネ教会、聖コスマス・ダミアヌス教会の遺跡が見えてきました。
小規模な三つの教会の遺跡が並んでいます。ジェラシュでは、現在まで15のビザンチン時代の教会が発掘されていますが、地中にはもっと多くの遺跡が眠っているようです。
ここでの見どころは、聖コスマス・ダミアヌス教会で、モザイクの床が残されています。内部は立ち入り禁止で . . . 本文を読む
ウンム・カイスに続いてジェラシュ遺跡を見学しました。
ジェラシュの街に到着して、まずは昼食のためにレストランに向かいましたが、街中に広がる遺跡が目に飛び込んできました。
ジェラシュ遺跡の駐車場から歩き出すと、まずは凱旋門が現れました。
ジェラシュは、ローマ人がアラブに造った都市の中でも最大級のものです。ポンペイウス率いるローマ軍は、紀元前64年にジェラシュを植民地に吸収しました。紀元前5 . . . 本文を読む
マダバの見学を終えてからアンマンに移動しました。アンマンでは、ル・メリディアン・ホテルに二泊し、周辺の観光を行うことになりました。
6日目は、ヨルダン北部のウンム・カイスをまず訪れました。北上してヨルダン第三の都市イルピッドを過ぎた先で西に向きを変えました。もう少し北上を続ければシリアとの国境になります。その国境を越えてシリアに入れるようになるのはいつになるのでしょうか。
ウンム・カイスは . . . 本文を読む